0-8 敵わない相手、叶わない想い

 この鐘は、水杜における警鐘だ。それも、魔物や妖魔が出た際に鳴らす鐘。

 それを聞いた瞬間、織雅の中にあった雑念がすう、と引いていく。


(……そこそこ遠いわね。私は耳がいいから聞こえたけど、櫻庭にいる人の耳には届いていないはず。場所は……『佐保さほ』の辺りかしら)


 『佐保』は、『徒和』の東に位置する島だ。

 この感じからして都の近くというわけではないので、魔物や妖魔の侵攻を気にする必要はないだろう。

 しかし最近、頻度が増していた。それは、水杜の瘴気を浄化する役割を担っている桜の神木の力が落ち込んでいるからだ。


 そしてそれが、織雅に代替わりする理由でもある。咲良家の人間には必ず神力という、個人が保持する魔力とは別の力があり、それによって神木の力を引き出しているのだ。それは歳を重ねるごとに枯渇していき、最終的には消えてしまう。それが、神様の代行者としての仕事を終える瞬間だ。

 つまり織雅の母が持つ神力が、だんだんと衰え始めているということ。

 だから代替わりをして、神木の力を再度引き出さなければならない。


(水杜を、華王陛下の代わりに統べる一族の娘として……ちゃんとしなきゃ)


 自分の浮ついた心に、そう言い聞かせる。

 そして一度瞼を閉じ、再度開いた。

 なるべく意識して笑みを作り、ルシフェルのほうを向く。


「……遅くなるといけないし、そろそろ帰りましょうか」


 すると、ルシフェルの赤と青の虹彩妖眼オッドアイとかち合った。その瞳がなんだか物言いたげに揺れていた気がしたが、それも一瞬。彼は顔を逸らすと、頷く。


「はい」



 *



「……それで。御社に戻りましたし、解散ではないのでしょうか」

「あら、そんなに私と離れたかった?」

「……そういうわけでは、ありませんが……」

「なら、最後まで付き合ってちょうだい」


 そんなやりとりを経て織雅が最後に立ち寄ったのは、御社の中心部、この国最古の桜の神木がある中庭だった。

 周りは渡り廊下になっているが、ここまで立ち入ることができる人間はごくわずかだ。人がいないということもあるが、立ち込める空気は厳かで清らか。まるでここだけ、時間が止まってしまったかのようだと織雅はいつも思う。

 ご神木の四方には赤、青、白、黒の鳥居が建てられており、しめ縄や五色の布がいくつも連なっていた。


 肝心のご神木は、それはそれは美しく凛然とした佇まいをしている。

 年中咲き続ける桜は、花びらを何度もこぼしながらまた蕾をつけ、幾度となく咲き誇るのだ。

 ゆえにこの桜は『永久咲とわさきの桜』『環桜たまきさくら』などと呼ばれる。散っては蕾をつけて、また花開く。その姿が巡り続けているように見えることからついた名前だ。


 はらはらと薄紅色の花びらが降り注ぐこの場所が、織雅の一番お気に入りの場所だった。


 悲しいこと、辛いこと、楽しいこと、嬉しかったこと。


 何かあるたび、織雅はここにくる。

 織雅にとってここは憩いの場所であり、帰る場所だからだ。


「少し早いけれど、ここでお花見でもしようと思って」


 そう言い、織雅は普段から持ち歩いている風呂敷を袖口から引っ張り出した。それにふう、と息を吹きかけながら広げれば、元の大きさの数倍に膨れ上がる。これは術式で大きくしたのではなく、魔導具の一種だ。伸縮自在で、織雅は重宝している。


 簡易の敷物の完成だ。

 そうやって準備を整える織雅に、ルシフェルは感情の宿らない瞳で織雅を見つめてくる。


「……ご神木の前で花見とは、さすがに罰当たりなのでは?」

「そう? 私はよく、ここでお花見するけれど」

「……王族が、それで良いのですか」

「あら、古来から捧げ物をするのも祭りを開くのも、神を敬っての行動よ。お花見だって同じじゃない? それに、ルゥは主以外を敬わないのでしょう。あなたがそう言うなんて、ちょっと意外だわ」


 すると、ルシフェルは少し間を空けてからため息をこぼす。

 そして無言で、靴を脱いで風呂敷の上に座った。しかもその靴を綺麗に揃えているのが態度とちぐはぐで、織雅は思わず笑いそうになる。すんでのところでこらえたが、どうしたのだという顔でルシフェルに見られてしまった。


(だってその冷めた態度で……綺麗に靴を揃えるから)


 これが、隠し切れない育ちの良さ、というものなのだろうか。なんだかかわいいな、と思ってしまい、織雅はまた浮ついてしまった自分に呆れた。

 それを笑顔で隠しつつ、織雅はルシフェルから受け取った菓子の包みを開く。そこには桜餅が入っていた。


「あら。ちょうどいいわね」


 そう呟きルシフェルにも桜餅を勧めれば、彼は一瞬固まった後、一つ手に取る。

 織雅も一つ手に取り、ぱくりと口に含んだ。


 初めに餅を包む塩漬けの桜葉の塩気と香りが、ふっと鼻を抜ける。続いて餅の柔らかさ、餡子の甘さがやってきて、それがすべて上手くまとまり、調和する。

 これが桜餅だと、織雅は思わず安心した。


 緑茶でも淹れればもっと風情があったのだが、外に出た足でここにきてしまったので、そんな殊勝なものは持っていない。そう思っていたのだが、すっと湯呑を差し出されて織雅はたじろいだ。


「え」

「緑茶を淹れましたので、よろしければどうぞ」

「あ、ありがとう……」


 見れば、茶器一式が揃っている。そんなものを持っている様子はなかったので、おそらく圧縮した空間に物を忍ばせているのだと思う。こういう術式は、空間系と呼ばれていた。使える術者が限られている高位の術式だ。織雅自身は使えないが、知識として知ってはいる。

 なのでそこには特に驚かなかったが、水杜の茶器一式を持っていて、尚且つそれを慣れた様子で扱っているのだけは気になる。


(櫻庭は見て回ったことがないのに、水杜の茶器を扱えるって……こう、ちぐはぐよね)


 身に着けていた物といい、覚えている知識といい、偏っているのが面白い。

 靴に関しても、水杜では基本土足厳禁。脱いだものは風呂敷にくるんで先ほどルシフェルがやったような空間系の圧縮術式……それを魔導具にしたものの中に入れて持ち歩くことが大半だ。そして、外に出るときに出して履くのである。

 それは、基本的に室内でも靴を履いたままの文化圏であるエーデルフューレン帝国人からしてみれば、面倒臭いことこの上ないだろう。


 しかしルシフェルはそれを嫌がる素振りすら見せず、ごくごく自然に行なっていた。

 きっとそれは、彼の主人が関係しているのだろうな、と思い、織雅はこっそり、ふう、と息を吐き出す。胸に何か重しでも乗っかったような心苦しさだ。


 それを隠す意味でも湯呑に口をつければ、爽やかな緑の香りが鼻を抜ける。甘みを強く感じるのは、これが一番茶だからだろう。また、とてもいい茶葉を使っているなとも思った。

 それと合わせて食べる桜餅は、とても美味しい。

 だが心なしか、なんだか緑茶の味が渋く感じてしまった。


 それを隠す意味で、織雅は口を開く。


「ずっと気になっていたのだけれど」

「なんでしょうか」

「ルシフェルはこの政略結婚に対して、不満はないの?」


 茶器を片付けていたルシフェルの手が、ぴたりと止まる。

 しかしそれも一瞬、彼は自分用の湯呑を手に持ったまま、首を傾げた。


「不満があれば、そもそも織雅にお会いしてはいません」

「そうなの?」

「俺の主は、エーデルフューレン帝国の君主ではございませんから。なのであの男の言うことを聞く義理はありません」


 だったら、あなたの主はいったい誰なの?


 そう問おうとして、しかし言えなかった。その一線を越えれば、きっと結婚式どころではない。これから一緒に生活していくことすら、ぎこちなくなってしまうだろう。それは、お互いにとってもよくはない。


 だから織雅は、膝を抱えながら笑った。


「あなたがそこまで言う方なのだから、きっととても、素晴らしい方なのでしょうね」


 するとルシフェルは、一度目を伏せてから深く頷く。


「はい、俺にはもったいないくらい、高貴で美しいお方です」


 その言葉には、微かだが確かに熱がこもっていて。織雅はぎゅっと自身の体を抱き締める。


(……やっぱり、私では敵わないのね)


 織雅は改めて、そのことを突き付けられたのだった――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る