第113話 突きつけられた現実

 数ヶ月が過ぎ、年が改まってトゥリ・ハイラ・ハーンの3年(王国歴595年)に入り、しばらくが過ぎた頃の事だった。



「ほほほっ、今日も楽しいのぅ……」

 国司庁舎の城壁を歩きながら、コランは楽しそうに呟いた。


 その日のコランも、4人の娘達に囲まれながら国司の業務(実質は何もせずに娘達と戯れる)を努めていたが、ふと手洗いに行きたくなって中座したのだった。

 娘達に囲まれて過ごしていた「国司の間」から出て手洗いを済ませた彼は、ふとした気まぐれで、部屋に戻る前に庁舎の城壁を散歩してみたくなったのである。

 この数ヶ月で娘達に甘やかされ、ご馳走を食べ続けてすっかり緩んでしまった身体を揺らしながら、コランは城壁の通路を歩いていた。


「娘達に囲まれ、皆に慕われての良き統治。麻呂は幸せ者でおじゃるな……」

 普段は常に娘達に囲まれているので、一人で過ごすのも久しぶりな気がする。もしかしたら、初めてかもしれない。

 上機嫌で城壁を歩きながら、コランは城壁からユガの街を眺めてみた。

「麻呂の善政で、この地方の者たちも、さぞかし豊かで幸せな生活を……」

 そこまで呟いたところで、街の人々の様子が目に飛び込んできて、言葉が止まる。


「!?」

 目に飛び込んできたのは、立ち並ぶボロボロの家が建ち並ぶ様子。そして粗末な衣服に身を包んだゴブリンたち。

 それは、彼の出身地であるイプ=スキ族と比べても明らかに貧しい、人々の暮らしだった。

 前年の「シブシ戦役」で見た、搾取されていたシブシ族の者たちとさほど変わらない、明らかに生活レベルの低い者たち。彼らが「豊かで幸せな生活」では無いのは明らかだった。


「そ、そんなばかな……」

 コランは、国司として赴任した時に見た町並みを思い出していた。

 あの時見た人々はもう少し賑やかで、少しは裕福そうで、平穏な暮らしを送っていた様に見えたが……あの時見たのは、街の表通り沿いに住む、比較的裕福な者たちだったのだろうか。

 いや、もしかして四部族の者が手配して、「豊かな街並み」を偽装していたのかもしれない。

 いずれにしても、これまで想像していた「国司の統治でユガ地方の人々が平穏に、豊かで幸せな生活を過ごしている」様子とはかけ離れた様子に、コランは衝撃を受けた。


「麻呂が統治しているのに……なぜ皆、あの様に苦しそうに暮らしているのじゃ!?」

 娘達に囲まれて気楽に楽しい日々を送っていたコランは、冷水を浴びせられた様な気分になった。

 そのまま、ふらふらと歩きながら、「国司の間」に戻っていく。


 国司として赴任してから、増税の停止をはじめとして、彼らユガの部族が出してきた書類をそのまま認可している様なものだ。だから、ユガの民達の不利益になる様な政策は行っていない筈だ。

 それ故に、コランの統治(何もしない)は、ユガの民達にとってプラスに働くはず。

 だから、コランの統治下で、住民たちは比較的裕福な生活を送っているのものだと思っていた。


 それなのに……実際の姿、貧しく暮らしている住民たちの姿は、何なのか。

 自分が統治しているのに、どうしてユガの民たちは苦しい生活をしているのか。


「もしかして……麻呂の統治は……、正しくない、のでおじゃるか……?」

 コランの頭の中で、ぐるぐると混乱が広がっていく。

 娘達に「善政を行っている」「民衆は幸せに暮らしている」と日々吹き込まれていた言葉は、嘘だったのか!?

 本当は……民衆達の生活は苦しいのか? そして……それは、自分のせいなのか?

 娘達の言葉で信じていた「自分の統治でユガ地方の皆が幸せに暮らしている」世界は、自分が信じていた世界は、全てが嘘だったのか?



(……皆に、聞いてみるしかない)

 コランはそう思いながら、ふらふらと部屋へと戻っていった。



 このユガ地方の実情を、本当の姿を教えて貰おう。

 そう思いながら、「国司の間」の扉を開けようとした時。

 コランは、扉を開けようとする手が止まり、思わずその場に立ち止まってしまった。


 扉の向こう側から……

 すすり泣く声が。聞こえてきたのだった。



 その場で聞くことになった言葉。

 それは、コランがこれまで信じて来た世界を、更にもう一度、根本から叩き壊すものだった。



 ……………



 扉の向こう側からすすり泣く声が聞こえて来て、コランはびくりとして動きが止まる。

「……………」

 そして、少しだけ扉を開けて、「国司の間」を覗き込んだ。


 そこには……クリークにしがみついてすすり泣く、サシオとハッチャの姿があった。

「!」

 コランは驚いて身体を止めて……そのまま、扉の外から覗きながら、耳を澄ませる。扉の中からは……コランが思ってもいなかった言葉が聞こえて来た。


「クリークさん……私もう、耐えられません……」

 これまで元気な声しか聞いた事のなかったサシオの、震える鳴き声。

「毎日、国司様に触られて、それだけじゃなく、あんな、あんなことをされ続けて……。こんなこと、いつまで続くのですか?」

「もうわたし、お嫁に行けない……」

 その横で、ハッチャも涙を流しながらクリークに訴えかけていた。

「部族を守るためとはいえ……国司様に身を差し出して、ずっと弄ばれるなんて、もう限界……」

 思わぬ声が聞こえて来て、コランはどきりとして身を隠した。

 扉の隙間からは、続いて声が聞こえてくる。



「貴方たち、覚悟が足りませんよ」

 クリークの声。

 それはいつもコランが聞いている、蕩ける甘い声ではない、鋭い、そして怖い声だったので、コランはびくりと背筋を震わせた。

 声を掛けられたサシオとハッチャも同様の様で、身体を震わせて俯いてしまう。

「われら四部族と、ユガ地方の諸部族と民衆の生活を守るため、わたしたち四部族がそれぞれ娘を国司に差し出して、身を挺して国司を『制御』する……。その使命を忘れたのですか?」

「で、でも……」

「いつまで続く? お嫁に行けない? 何を甘いことを言っているのです。わたしたちはその身を、未来の全てを国司に差し出した身。『お嫁に行ける』わけがないでしょう」

 クリークが、二人に厳しい声で言った。

「自分の部族を。このユガに暮らす皆を守るために、国司にその身を捧げる。そして、身体だけでなく、形だけでも『心』も差し出して、国司に尽くし、国司を傀儡としてわたしたちに依存させる……それがわたしたちの役目です」

 クリークは、サシオとハッチャの肩に手を置いて言った。鋭い声。だが、彼女の声も震えているのがわかった。

「一族を代表して、その身を『差し出された』『捧げられた』のがわたしたちなのですよ。自覚を持ちなさい。国司に全てを捧げることで……身を挺して皆を守るのがわたしたちの役目です」

「う、ううっ……」

「……………」

 声にならない泣き声を上げる、サシオとハッチャ。



 ……………



 扉の外で漏れ聞こえる言葉を聞いて、コランは、頭を殴られた様なショックを受けていた。

(そんな……麻呂は……皆に好かれていたわけではないのでおじゃるか?)


 何でもさせてくれる、その全てで尽くしてくれる、娘たちの態度。特に優しい言葉で甘えさせてくれるクリークの言動に、完全に「その気」でいたコラン。

 だが……それは全て「演じられた」好意だったのだ。

 扉の中から聞こえてくるサシオとハッチャの態度、そしてクリークの「素」の声を聞けば、それは明らかだった。

 コランに示された好意と奉仕。それは、彼女たちの本心ではなかった。自分のたちの一族を、このユガ地方の皆を守るために止むなく身を差し出した、覚悟の行動だったのだ。


 よくよく考えると、そう感じさせる要素は無くも無かった。

 身を委ねながらも、言葉使いは厳しかったトルテア。

 そして、身体を触ったり、抱きしめたりすると、時々身体を震わせて表情が硬くなっていたサシオとハッチャ。コランは彼女たちが初心なだけだと思って、構わず触り続けていたが、本当は……。あの時、彼女たちはどんな気持ちだったのだろう。

 そして、態度には一切出さずに、コランに積極的に奉仕し、甘い言葉を囁き続けたクリーク……彼女はどれだけ深い覚悟を秘めて、コランに身を委ねていたのだろうか。


(麻呂は、麻呂は……)

 大きなショックを受け、扉の外で俯いてしまうコラン。



 ちょうどその時、後ろからぽんと肩を叩かれて、コランは身体が跳ね上がりそうな程驚いた。

 驚いて振り向くと、真後ろにはトルテアが立っていた。

 こっそり扉の中の会話を聞いていた事がバレてしまった。コランの身体は凍り付いた。

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