第108話 帰還

 「灰の街」表敬訪問を終え、「隅の国」制圧の戦後処理と、一連の行事は全て終了。

 わたしたちリリ・ハン国の首脳部一行は、近衛軍団とともに南に向かい、ヘルシラントへと帰還の途についていた。



 ……………


 「星降る川」河畔の大本営を解散し、南へと移動を開始していたわたしたち一行は、ほどなく、途上の地にてマイクチェク族の饗応を受けた。

 この度の「シブシ戦役」戦勝の祝い。そして論功行賞で「隅の国」に投下領や国司の地位などが与えられた事に対する感謝。宴席でマイクチェク族がハーンを饗応する事により、改めてハーンへの忠誠を捧げる場となったのである。


 帰路の比較的近くにあるマイクチェク族の本拠地リシマから、トワ王妃をはじめとする部族の首脳部一行が来訪した。遠征軍に同行していた族長ウス=コタが代表となり、マイクチェク族がハーンであるわたしを饗応する、午餐会が行われた。

 景色の良い高原に幕舎を設営し、豚肉の湯通しや魚肉揚げ、鳥の刺身などの地方料理を始め、様々な饗応の品々が並べられ、マイクチェク族主催の午餐会が、賑やかに行われた。


「畏くもハーンにおかれましては、ご機嫌麗しく、恐悦至極に存じ上げます。

 この度のシブシ族討伐の完遂、そして『隅の国』制圧。我らマイクチェク族、心からお祝い申し上げます」

 部族を代表して、ウス=コタの妻、トワ王妃が大きな身体で一礼して言った。

「トワ殿ありがとう。此度の征戦では、左谷蠡王さろくりおうとマイクチェク族の活躍に大いに助けられました。朕からも改めて礼を言います」

 わたしかそう言うと、トワ王妃は、

「有難きお言葉、嬉しゅうございます。此度の遠征においては、我らマイクチェク族に投下領まで賜り、恐懼に堪えません」

 ……と答えてから、笑って続けた。

「うちの人、子供を作る以外に取り柄があったのですね。戦場でも少しはお役に立てた様で、良かったです」

 そう言って、大きくなったお腹を撫でながら笑った。

「トワ殿は再びご出産を控えられているのですね。今度も元気な赤ちゃんを見せていただく事を、楽しみにしています」

「ありがとうございます、りり様」

 トワ王妃は一礼してから、更に続けた。

「また、この度は、我が三男、ソダックにシブシ地方国司サトラップの地位を賜り、誠にありがとうございます。処遇が未定であった三男であるこの子に、過分の地位をお与えいただき、誠に有難く感じております。……本日は子供達も連れてきておりますので、後ほど抱いてやって下さいませ」

「わぁ、赤ちゃんたちも来ているのですね。それは楽しみです!」

「はい。我らマイクチェク族。投下領を賜っただけでなく、一族へのご配慮もいただき、誠に有難く思っております。

 これからも引き続きハーンに忠誠をお誓い申し上げますとともに、生まれてくるこの子たちもハーンの下でお役目を果たせます様、更なる忠勤に励ませていただきます」

 そう言ってお腹を撫でるトワ王妃を、わたしは笑顔で眺めるのだった。


 明るい雰囲気で、わたしはトワ王妃と和やかに会話しながら、午餐会を楽しんだ。

 その横では、トワ王妃の夫であるウス=コタがオドオドしなから付き従っている。まるでウス=コタではなく、トワ王妃の方が族長である様な雰囲気だ。普段威勢の良いウス=コタが、トワ王妃には頭が上がらない様子は、見ていて結構楽しかった。


 午餐会の後には、族長夫妻の子供達……赤ちゃんたちにも会わせて貰った。

 女の子一人、男の子三人の子供たちは、実際に見ると本当にかわいかった。

 今回の処遇でシブシ地方国司サトラップに就いて貰ったソダック君を始め、かわいい赤ちゃんたちを一人一人抱き上げるのは、とても楽しい思い出になった。


 そして……。この子たちが。そしてこれから生まれてくる子供たちが、健やかに成長できる、良い国を作ろう。そんな決意を新たにしたのだった。



 ……………



 マイクチェク族による午餐会饗応を終え、わたしたち一行は改めて帰路についた。

 本拠地ヘルシラントへの帰還を控えて、旅程の最後に実施したのが、道中にあるイプ=スキの訪問であった。

 ヘルシラントからは、それ程遠くない場所。その名の通り、イプ=スキ族の本拠地であるこの地。

 わたしたち一行が街に足を踏み入れた途端、周囲から大歓声が上がった。

「ハーンばんざい!」

「りり様万歳!」

「ハーンの御行幸ばんざい!」

「ようこそイプ=スキにおいで下さいました!」

「『シブシ戦役』完遂、おめでとうございます!」

 沿道に居並ぶイプ=スキ族のゴブリンたちによる大歓声が、わたしに投げかけられる。

 わたしは歓迎の声に応えて、手を振りながらイプ=スキの大通りを歩いた。


 数年前まで、わたしが生まれたヘルシラント族とイプ=スキ族は敵対関係にあった。

 でも今はこうして、同じ国を構成する部族となり、わたしはイプ=スキ族に支えられ、味方として平和裏に本拠地を訪問して、大歓迎を受けている。

 感慨深い気持ちを感じながら、わたしは歓迎の声の中を歩いていた。


 わたしの横では、イプ=スキ族の主、サカ君が同じく手を振って歩いている。沿道からは、サカ君にも「サカ様!」「右賢王様!」と歓迎の声が上がっていた。

 今回の遠征でサカ君は大活躍を遂げてイプ=スキ族の名を上げて面目を施し、こうしてハーンと共に凱旋しているのだ。

 サカ君が活躍してくれて、こうして笑顔でわたしの横に立ってくれている事が、何だか嬉しかった。


「ハーンの『隅の国』征討を言祝ぎ申し上げます!」

「族長サカ様……右賢王様の武勲をお祝い申し上げます!」

 わたしたちを囲んだイプ=スキのゴブリンたちが、歓声を上げる。

 彼らの前に、サラクが進み出て叫んだ。

「イプ=スキ族の民よ! 此度の戦役では、我らが族長サカ様の活躍で、ハーンに勝利を捧げる事ができた! そして、『隅の国』を平定する事ができた!

 我らは……部族の面目を施し、ハーンのお役に立つことかできたのだ!」

 サラクの言葉に横でわたしが頷くのを見て、民衆達は大歓声を上げた。

「皆の者! 我らが偉大なるハーンに、そして右賢王サカ様に、我らイプ=スキ族のかちどきを捧げようではないか!」

 サラクの言葉に、「応!」と歓声が上がる。


 わたしとサカ君が皆の前に進み出るのを確認してから、サラクは民衆たちに向かって叫んだ。

「それでは……。えい、えい!」

「「むん!!」」

 民衆たちが一斉に叫ぶ。

「「えい、えい、むん!」」

「「えい、えい、むん!」」

「「えい、えい、むん!」」

 イプ=スキの民衆達が、ハーンであるわたしと、部族長のサカ君を。そして今回の戦役の勝利を祝うかちどきを上げ続ける。

 人々のえいえいむんの声は、何度も何度も、イプ=スキの街に響き続けたのだった。



 ……………



 イプ=スキの街に到着後は、現地に一泊するという事で、少し早めの晩餐会が開かれ、わたしたちはイプ=スキ族の皆から様々な饗応を受けた。

 現地で取れた魚による料理や、イプ=スキの温泉で作った温泉卵を添えた丼料理。黒豚の料理や海魚の削り節の出汁が利いた汁物など、現地の特産品で作った料理が振る舞われる。イプ=スキの皆が心を込めて作ってくれた料理が美味しくて、わたしは舌鼓を打ったのだった。

 夜にはイプ=スキの温泉も楽しめる予定になっている。わたしは温泉を楽しみにしながら、晩餐会を楽しんでいた。


 食事を終えた頃……サラクがサカ君に何かを促す様な身振りを見せる。頷いたサカ君が、立ち上がってわたしに言った。

「ハーン……りり様。少し一緒に歩きませんか? りり様に見ていただきたい……もう一つ、献上したいものがあります」



 ……………



 サカ君に連れられて食事の会場を出て、ふたりだけで外を歩く。

 わたしの前を歩く、自分より少しだけ背の小さい少年……サカ君は、何だか緊張した表情を浮かべていた。

「サカ君、どこに行くのですか?」

「わたしに見せたいものって、何?」

「……………」

 わたしは時々声を掛けたけど、サカ君は緊張した表情のまま、何も言わずに歩いて行く。



 連れられた先にあったのは、イプ=スキの東の端。海岸沿いの、海が見下ろせる場所だった。

「わあ……!」

 眼下からは、海の香りと波の音が漂ってくる。既に日が沈みだしており、海の色は夕焼けに染まり始めていた。

 イプ=スキの海岸から見る、海の景色。ヘルシラントから眺める景色とは違った趣きがあった。


 そして、海の向こう側には、遠くに陸地が見えている。日が沈み出しているので、少しずつシルエットの様に暗くなっているけれど、あの陸地は……。

「あれは……」

「はい」わたしの言葉に、サカ君が言った。

「向こうに見えている、あの陸地は……対岸の『隅の国』。わたしたちが戦った……。今回、りり様が手に入れられた地です」


 サカ君の言葉に、わたしは改めて対岸の陸地を見た。

 海峡の向かい側にある半島「隅の国」。

 「カラベ事件」の発生から、「クリルタイ」の開催、そして「隅の国」への出兵……。

 カラベの攻城戦や、オスミ高原の戦い。そしてシブシ攻略や各地の制圧。その後の戦後処理など……。思えば様々な事があっという間に過ぎて行った気がする。

 わたしは感慨深げに、対岸にある「隅の国」の陸地を眺めていた。


「向かい側に見えているあの土地は、『隅の国』の西海岸……。

 りり様から我々イプ=スキ族に、投下領としていただいた地域になります」

「そうなのですね」

「そのお礼に……りり様にお捧げしたいものがあるんです」

「わあ……プレゼント? 何かな、サカ君?」

 サカ君の言葉に、わたしは隣に立つサカ君の顔を見た。

 目が合ったサカ君は、何故か顔を赤くして……そして、目を逸らしながら言った。

「あっ、あのっ! もうすぐ、わかりますのでっ……一緒に、海を見ましょう!」

「?」


 疑問に思いながらも、サカ君とふたり、高台に立って海を眺める。

 ふたりとも何も話さない。風が運ぶ海の香りと波の音だけが感じられる中、少しずつ日が沈んでいき、周囲は薄暗くなって行った。


 少しの時間が過ぎて。

 イプ=スキの街の中から、日没を知らせる鐘の音が響いてきた。


 その時だった。

 対岸の「隅の国」の海岸線に、一斉に光の点が浮かび上がった。

 薄暗くなり、シルエットしか見えなくなった、対岸の「隅の国」。その海岸線を示す様に、いくつもの光の点が浮かび上がり、暗くなった海を鮮やかに照らしているのであった。

「わあ……っ!」

 暗くなった海を宝石の様に照らし出す、対岸で輝く光の宝飾に、わたしは思わず歓声を上げた。


「……イプ=スキ族の皆に、対岸で松明を焚いて貰いました」

 わたしの横で、サカ君が言った。

「そ、その……僕から……私たちからりり様にお捧げする、夜の宝石です」


「とても素敵……綺麗ですね!」

 海の向かい側で、夕闇を照らし出す光を、わたしは目を輝かせて眺める。

「ありがとう、サカ君。とても素敵なプレゼントです!」

 わたしの言葉に、サカ君はもじもじしながら言った。

「僕たちイプ=スキ族は、普段からりり様に……ハーンに良くしていただいていますし、今回はあの土地をハーンから賜りました。これは、ほんの細やかな気持ち、お礼です」

「とても嬉しいです! サカ君、ありがとう!」

 そう言って、わたしはサカ君の手を取った。サカ君は真っ赤になって俯きながら言った。

「そ、その……りり様に喜んでいただけたら嬉しいです……」


 サカ君はそう、小さな声で呟く様に言ったが、少し俯いた後、真っ赤な、そして何かを決意した様な顔で、わたしを見上げて言った。


「あ、あの……りり様……」


「ぼ、僕……。これからも、りり様に相応しい男になれる様に頑張りますから……。だから……」


「……? なあに?」

 波の音で、小さな声が聞き取れなかったわたしが尋ねる。

 サカ君は、顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「なっ……ななな何でもないです……」

「?」

「そ、その……。

 これからもりり様にお仕えできる様に、ご一緒できる様に、頑張ります……」


 サカ君の言葉に、わたしは笑顔を浮かべて言った。

「サカ君は、これまでも充分頑張ってくれているよ。

 だから……これからも、一緒にいようね」

 そう言って、サカ君の手を握る。

 暗い中、サカ君の表情は見えなかったけれど……サカ君は、少し俯いてから、こくりと頷いた。


「さあ、サカ君。ふたりで一緒に、この綺麗な景色を見よう」

「はい」

 わたしの言葉に、サカ君は頷いてくれる。



 夜の帳が降り、益々美しく輝く、対岸の海岸線で輝く光の装飾。

 光の宝石を添える様に、少しずつ空に輝き始める、星々。


 夜闇の中、波の音だけが響く中で。

 わたしとサカ君は手を繋いで、眼前の海に広がる景色を、いつまでも眺め続けていた。



 ……………



 こうして、「カラベ事件」に端を発するシブシ戦役は、リリ・ハン国による「隅の国」征服という形で終了した。

 トゥリ・ハイラ・ハーンが率いるリリ・ハン国は、戦役前に保有していた「火の国」および「日登りの国」の中南部に加えて、新たに「隅の国」を領土に収める事となった。

 建国から僅かな期間で、大陸9か国の内、南部の2か国半を版図に収めた事となる。


 突如出現したゴブリンのハーンが短期間で大陸南部の大半を征服した事は、周辺の勢力に大きな衝撃を与えた。

 ハーンの出現と勢力拡大を受けて、大陸東部地域に住む、様々なゴブリン勢力。そして大陸中西部に割拠する人間の勢力は、様々な動きを見せる事となる。

 大陸の歴史は、リリ・ハン国の出現と成長を機に、大きなうねりを見せる事となったのであった。


 そして、リリ・ハン国は勢力拡大が急激であった故に、新たに勢力下に入った地域の統治に苦心する事となった。

 新たにハーンの支配下となった地域統治の安定は、リリ・ハン国にとって重大な命題となり、試行錯誤され、様々な苦心や紆余曲折を経る事となったのである。

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