第33話 ナウギ湖畔の戦い ~殲滅~

「……弓の飛距離は計算通りのようですね」

 前方で大混乱に陥っているイプ=スキ勢を見ながら、わたしは言った。

 予め計算して、事前の試し打ちで確認してはいたけれど、どうやら目論見通り、こちら側の矢だけが届いている様だ。

 イプ=スキ側も矢を撃ってきているけれど、ヘルシラントの陣まで届かず、手前の地面で落ちている。

 風の状況などによっては、陣地の場所を前後させて、調整が必要かもしれないと思っていたけれど、こちらの矢はちょうどいい塩梅でイプ=スキ族に降り注いでいる。これ以上の調整は不要で、次の段階に移ることができそうだった。


 わたしは手を上げて、指示を出す。

 指示に応じて、まわりのゴブリンたちが、松明を取り出した。




 ……………



「スナ様! あれを……!」

 大混乱の中、なんとか馬を御そうとしているスナとイプ=スキ族の兵たち。

 しかし、ヘルシラント族の陣地を見てその顔色が変わった。


 彼らが撃ってくる矢が……火矢に変わった。

 自分たちの矢が、正確にイプ=スキ族側に届いているのを見て、矢の種類を切り替えたのだろう。

 火の付いた矢が、イプ=スキ軍が閉じ込められた地帯に降り注ぐ。


 燃えさかる火の矢は、馬上の兵に当たっても、馬に当たっても、大混乱を巻き起こす。そして、当たらなくても近くを飛んでくるだけでイプ=スキ族側の馬が怯えてしまっていた。


 それだけではない。外れて地面に落ちた矢も、火が草に燃え移って、大きな炎となって燃え上がった。

 兵に当てるよりも、むしろこちらの方が狙いだったのだろう。各所で火矢から草原に燃え移った炎はどんどん大きくなり、彼らイプ=スキ族が閉じ込められた地帯は火の海と化しつつあった。


「ぐ……っ!」

 周囲の状況を見て、スナが呻く。


 降り注ぐ矢に、次々と当たって落馬する、イプ=スキ族の兵たち。

 そして、主を失って暴れ回る馬たち。火矢や草原の炎、立ちこめる煙に驚いて制御不能となった暴れ馬たちは、暴走して駆け回っている。暴れ馬は他の騎兵にぶつかって、落馬する兵が増えていく。

 そして、落馬した兵たちは次々と暴れ馬に跳ねられて、そして矢に撃たれて倒れていった。


 更に、草原に燃え移った炎はますます大きくなっていく。炎に焼かれ、煙に巻かれる兵も続出し始めていた。

 この状況が、ナウギ川と堀の間……イプ=スキ族が閉じ込められた、逃げ場の無い地帯で起きている。

 矢に撃たれて、馬に跳ねられて。更には炎に焼かれて、次々と兵が倒れていく。



 矢が届かないので、反撃することもできない。

 前に進む事もできない、後ろに逃げる事さえもできない。

 彼らの閉じ込められた狭い範囲で起きている出来事は、地獄絵図の様になりつつあった。



「スナ様! こ、これはもう……」

 炎と喧噪の中、かろうじて馬を御しながら、サラクが駆け寄って来た。

「……………」


 しばし周囲に目を巡らせてから、スナが言った。

「サラク」

「はっ」

「お前は、残存の兵を集めて撤退しろ」

「し、しかし後方は……」

 サラクは後方に目を遣る。増水したナウギ川が道を阻んでいた。

「馬は捨てても構わん。武器もだ。泳いででもいいので、何とかして川を渡れ」

「わ、わかりました」

 サラクが頷く。


「お前たち! 撤退だ! 私に続け!」

 サラクが周囲に叫んだ。

「後ろの川を渡るのだ! 馬や武器は捨てて、身ひとつでも構わん! まずは生き延びるのだ!」

 降り注ぐ矢、暴れて駆け回る馬たち、そして迫る炎の中、懸命に乗馬を制御しながら、混乱と悲鳴に包まれたイプ=スキ族の中を駆け回って、サラクが指示を出していく。



 その様子を見ながら、スナは馬首を南に……ヘルシラントの陣に向けていた。

 スナの行動に気がついた、サラクが問いかける。

「ス……スナ様はどうされるのですか?」

「……こんな有様で、のうのうと帰るわけには行かぬ」

 ヘルシラントの陣を睨み付けるスナ。その表情は……サラクには見えなかった。


「俺は……奴らに一矢報いる!」

 そう言って、馬に拍車と鞭を同時に入れる。

 指示に応えて、スナを乗せた馬は、掘に向けて全力で走り出した。

「スナ様……!」

 サラクの声が遠ざかっていく。


 矢が降り注ぐ中、全力疾走したスナの乗騎は、鐙の合図に合わせて、掘の手前で大きく跳躍した。

 そして、ギリギリのところで堀を飛び越えて……着地する。


 その様子を見て、イプ=スキ族の一部の兵が、同じように馬を走らせて、堀を越えようとする。

 しかし、スナがこれだけの幅を超えられたのは、彼の乗馬技術によるもの、そして族長用に特に良質な馬を使っていたからだ。

 彼らが乗った馬のほとんどは、堀を飛び越えられるだけの跳躍をすることができず、手前で次々と堀に落ちていった。

 だが、彼らの多くは馬を下り、泳いで堀を渡ってよじ登る。そして、馬で堀を飛び越えられたものも、ごく僅かにいた。


「お前たち! 撤退しろと言っただろう!」

 スナが咎める様に叫んだが、一部の兵たちは構わずについて来ようとする。

「スナ様にご一緒させて下さい!」

「お前たち……」


 だが、そんな彼らにも、ヘルシラント族の矢が容赦なく降り注ぎ続ける。

 堀を渡った彼らに狙いを移したのか、集中的に狙うように矢が放たれる。

 馬を失って徒歩になった兵、そしてかろうじて堀を乗り越えて動きが鈍った馬たちは、格好の的だった。

 スナに付き従い、命令を無視してまで堀を渡って付いてきた兵たち。しかし無情にも降り注ぐ矢に当たり、悲鳴と共に次々と兵たちは倒れていく。


「くっ……!」

 その様子を見て、スナは鞭を入れて、馬を走らせた。

 矢が降り注ぐ中、全速でヘルシラントの陣へと馬を走らせる。


 その様子を見て、ヘルシラント族の矢がスナの方に集中するが、全速で迫る動きに合わせられないのか、なかなか当たらない。


(こうなれば……一矢報いるためには、「ヘルシラントのリリ」を討つしかない!)

 スナは、ヘルシラント軍の本陣を睨み付けた。

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