僕の生きる理由
松本碧
僕の生きる理由
あなたは死にたくないと思いますか。
もし思うのなら、どうしてそう思うのですか。
急にこう聞かれたら、あなたは何と答えるだろうか。
僕ならこう答える。
「死にたくないとは思わない」と。
♢♢♢♢♢
僕と彼女の出会いは、ロマンチックでもなければ、最悪な出会い、と言うわけでもなく、人生でいくつもある出会いのうちの1つ、という程度のものだった。
趣味も見た目も、性格もどこまでも平凡な僕らは、平凡に出会い、普通に恋に落ちた。
でも、そんな僕たちの中にも唯一平凡じゃないことがあった。
彼女は幼い頃から小学生までの間、実父の家庭内暴力にあっていたのだ。
小学生四年生の夏、彼女の母親が父親の暴力によって亡くなり、彼女は施設で保護された。
そしてようやく、生まれてからずっとそばにあった死の恐怖から彼女は解放されたのだ。
––––だからだろうか。
彼女は「生きること」に強くこだわっていた。
暗い過去など微塵も感じさせない、明るくてよく笑う強い人だった。
僕はそんな彼女のことが、本当に好きだった。
母の分まで強く生きるのだと、彼女はよく口にした。
それに対して僕は、「生」に対する執着があまりなかった。
家族関係は良好だし、友人だっている。
不自由のない生活を送っているが、僕の人生にはおよそ「生きがい」と呼べるものがなかった。
生きる理由は特にないが、死ぬ理由も特にない。
それならわざわざ終わらせる必要もないから死なないだけだ。
死に対する恐怖はなく、苦痛を伴わない方法があるとすれば、僕は死ぬかもしれないと彼女に話した。
彼女は泣いて、怒った。
彼女の涙を見たのは、それが初めてだった。
だから、彼女が急に倒れて病院に運ばれ、余命三ヶ月だと宣告されたとき、僕はなにかの間違いだと思った。
どうして彼女のような人が死ぬのだろうか。どうして僕ではなくて、心から生を望む彼女が死んでしまうのだろうか。
僕より、きっと誰より生きたいと願う人なのに。
それなのに、彼女は笑った。僕に向かって、子どもをなだめるように、やさしく。
彼女は身寄りが無かったので、入院中はもっぱら僕が彼女の世話をした。彼女が弱音を吐くことはなかった。
僕らはいろんな話をした。そして、いろんな話をしながら、僕は彼女が死んだら自分も死のうと思った。
もとより、生きることに執着なんて無い。
僕の生きがいはいつからか、彼女になっていた。それを失ってまで生きるなんて、僕には無理だと思った。
でも、僕のそんな浅はかな考えは彼女には筒抜けのようだった。
彼女はぽつりぽつりと僕に語りかけた。
そしてその一週間後、彼女は死んだ。
どこにでもある普通の話。
死にたがりと、死にたくない少女の、よくある話だ。カップルのうち片方が死に、残された方は相手を想い続ける。
でもこれは、そんな綺麗な話じゃない。
死の一週間前に、彼女は僕に言った。
「生きる理由なんてなくていい。みんなそれを探すために生きてるの。私が死ぬとあなたが悲しいように、あなたが死ぬと悲しむ人がいる。私はあなたに生きてほしい。私は、あなたの生きる理由になりたい」
彼女は僕に、残酷で美しい呪いをかけた。
彼女のいない世界でも、僕は生き続けなければいけないという呪いを。
彼女は泣いて、笑った。
僕は心から彼女を綺麗だと思った。
あれからもう、三年が経つ。
僕は今日、彼女のお墓参りに来ていた。
線香をあげて手を合わせ、彼女に話しかける。
まだ、僕は生きてるよ。
君が僕の生きる理由になりたいと言ったから。
でもその前から、君はもうとっくに僕の–––。
涙が零れそうになって、空を見上げる。
僕は今も、死にたくないとは思わない。
苦しくなければ、死も怖くない。
それでも、彼女の言葉が、まだまだ消えずに僕を繋ぎとめる。
これは彼女が僕にかけた呪いだ。
そしてきっと、この呪いを僕は解くことができない。
だから、とりあえず今は。
彼女の言葉が消えるその日まで、この呪いと一緒に生きてみるのも悪くはないのかもしれないと思う。
僕に生きる意味をくれてありがとう。
生きたいと願った君の分まで、きっと僕が生きてみせるよ。
心の中で彼女に誓う。
柔らかい風が吹いて、桜の花びらが舞った。
降り注ぐ花びらの奥で、彼女が優しく「どういたしまして」って笑った––––ような気がした。
僕の生きる理由 松本碧 @matsuuuu03
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