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第11話
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再びコルドバ・ラガンの館が見えてくる頃には夜もとっぷりと更けていた。雨は幸いにも止んでいた。狼が人里に現れたら大騒ぎになるかとも思ったが、幸いにも出歩く人影とすれ違うことはなかった。
「ここまで来れば大丈夫。一人で戻るから」
「本当に大丈夫か?」
「むしろ一緒に行くと余計に話がややこしくなるでしょう!?」
ハリエッタはここまでの案内についてぞんざいに礼の言葉を告げると、そのまま一人で館に向かっていった。
とにかく彼が何者なのかというようなややこしい問題を差し置いて、父や妹に会いに行く事に集中したかった。ちらりと振り返ると、人狼は去るでも付いてくるでもなく、立ち止まってじっとハリエッタの方を見ているのが分かった。
ともあれ、目の前のコルドバ邸に向き直る。
番兵のいる正門から挨拶して入っていけば、門番はハリエッタをすんなりと通してくれただろうか。それを試してみて無用な押し問答に至ることは避けたくもあったので、彼女は建物を裏手に回って、石垣をよじ登れそうな場所を探して、そこからこっそりと屋敷に忍び込むことにした。
そもそもヴェルナー砦が平地にあってあれだけ堅牢な城砦として築かれていたのは、遠い過去にはそこが国境の守りの要衝であったからと聞く。それに比べれば、クレムルフトの荘園はあくまで開拓民が切り開いた村であり、コルドバ邸のつくりもそういう意味では邸宅に過ぎなかった。
ともあれ……そこにこっそり忍び込むなど、これが正騎士を志望していた者のすることか、と少し情けない気持ちになったりもするが、今は父と妹の身が気がかりだった。バルコニーの柵を乗り越え、暗い廊下を忍び足で歩いていく。間取りを思い出しながらどうにかして父と妹が通された一室にたどり着いた。
「お父様? エヴァンジェリン?」
居室にたどり着くと、父は幾分体調が戻ってきたのか、ソファに身を預けるようにしてぐったりと腰かけていた。エヴァンジェリンがその傍に付き従っていた。
だが妹は驚く素振りも見せず、ただただ深くため息をついたのだった。
「姉さま、結局戻ってきてしまったのね」
なぜ妹が呆れ顔なのか、と疑問に思う間もなく、今しがた彼女が入ってきたドアがいきなりけたたましく開かれて、鎧姿の男たちが殺到してきた。
その中に、ガレオン・ラガンの姿があった。
そのあとに続いて心配そうな表情のコルドバ・ラガンが後に付き従ってきたが、彼には一言もしゃべらせるつもりもない、といった様子で息子のガレオンが横柄に口を開いた。
「クリム家の名をかたる詐欺師どもめ!」
放たれた一声に、そうきたか、とハリエッタは半ば呆れつつも感心した。確かに、領主が自分の領地に文無しで転がり込んでくるなど聞いたことがない。最初にそう決めつけてかかってしまえば、いやそんなはずは、とそれを覆すにもいろいろ弁明の材料が必要だった。
一番泡を食ったのはガレオンの父コルドバで、息子がそのようなことを言い出すなどと事前に何一つ相談を受けていなかったのか、ぎょっとした表情を見せたのだった。
「む、息子よ、いったい何を根拠にそのようなことを……」
「むしろ父上、何を持ってこの者たちをクリム家の皆様方とみなせばよいのか、その根拠を私や騎士団の者たちに示していただきたい」
「この方はグスタフ・クリム伯に間違いない! 実際にわしは以前この方にお会いしたことがあるのだから、間違いない!」
「それは一体何年前の話ですか。多少風体の似ているものなどどこにいてもおかしくはない」
息子のその言葉に、コルドバは顔を真赤にしてわなわなと震えだした。そのコルドバか、グスタフ・クリム当人が、無礼者め!と叱責の言葉の一つでも吐いていればその場の状況は変わっていたかも知れないが、むしろ父グスタフはがくりと肩を落とし、力なく呟いた。
「無理もない。私が本物のグスタフか否かに関わらず、文無しになって転がり込んできた厄介者であることには間違いがない。領主の務めも果たしておらぬ、という意味では紛い物呼ばわりされたところで何の反論も出来ぬな……」
「お父様! そこはちゃんと反論してもいいのよ?」
娘二人がほとんど声をそろえてそのように異を唱えたところで、病める父は力なくため息をつくばかりであった。
そんな一家を前に、ガレオンは冷徹な表情を崩すことなく、配下の兵士達にクリム一家の面々の身柄を取り抑えるように命じた。
そんな折だった。おのが息子の予期せぬ告発に憤慨するやら狼狽するやら気が気でいられないコルドバ・ラガンが、窓を見やって唐突に大声をあげたのだった。
「ひっ! お、狼!?」
その言葉通り、開け放たれた窓から、見れば一匹の狼が実に無造作に身を乗り入れて、のそりとこちら側に足を踏み入れてきたのだった。
ガレオンとその配下の騎士達には、それは見覚えのある狼だった。山中にてハリエッタ・クリムを連れ去って姿を消した。あの巨躯の狼だったのだ。
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