●祓い屋OLと青年
第1話 酒と祓い屋と男と女
人が物を食べるのは、胃を満たすため。
ではお酒を飲む理由は何かと聞かれたら、それは心を満たすためだとあたしは思っている。
ジョッキに並々と注がれたビールを一気に流し込んで……あー、うまい。
やっぱりムシャクシャする時は、飲むに限るわ。
けど、こんなんじゃまだ全然足りないねえ。
「すいませーん、ビールおかわ……」
「ダメです! 火村さん飲みすぎですって!」
お代わりを注文しようとした矢先、隣にいたボブカットの女の子、前園ちゃんに阻止されてしまった。
むう、もう少しくらい良いじゃないの。今日は飲みたい気分なんだってば。
繁華街の一角にある、仕事終わりのサラリーマンで賑わう居酒屋の中。そこであたしは同僚の前園ちゃんと、カウンター席で飲んでいた。
だけど突然ストップをかけられて、恨めしげに前園ちゃんを見たけど、彼女は引こうとしない。それどころか、空になったジョッキまで取り上げられた。
「もうその辺にしておいてください。明日も仕事なんですから」
「そんなこと言わないであと一杯。一杯だけ」
「ダメです。そうやってさっきから、何回おかわりしてるんですか」
「むう~、けち~。仕方ない、続きは次の店で飲もう」
「次なんてありません! もう、これ以上はママが許しませんよ!」
いや、ママって。あんたあたしよりも年下でしょうが。
前園ちゃんはピッチピチの21歳で、あたしより4つも若い。だけどしっかり者で、一緒に飲むといつもあたしが飲み過ぎないよう、ストッパーになってくれているんだよね。
けどさ、今日だけは飲ませてよ。だってさ……。
「彼氏に振られたからって、やけ酒飲まないでくださいよ」
「はあっ!?」
反射的にガンと拳を台に叩きつけて、前園ちゃんは「ヒッ!?」と小さく悲鳴を漏らす。
カ・レ・シ・に・振・ら・れ・たー!?
はっ、何言ってんのこの小娘は。あれはお互い合意の上での円満破局だっての!
ムカムカする気持ちを抑えながら、別れたばかりの元カレとの最後の会話を思い出す。
あたしの仕事は出勤日が変則的だけど、今日は一日休みをもらっていて、久しぶりにアイツと会っていた。けどそこで言われたのが、「別れよう」だ。
でもそれを聞いてもあたしは少しも悲しくなくて、「ああ、やっぱりか」って、冷めた気持ちになったっけ。
アイツとの出会いは、周りから進められて参加した、婚カツパーティー。
付き合い出して最初のころは、デートをして胸をときめかせる事もあったけど、最近では気持ちのすれ違いが続いていたんだよね。
そうなってしまった原因は分かっている。それを裏付けるように、彼は別れ際にこんなことを言っていた。
——こんなことになっちゃって申し訳ないけど、この方がお互いのためだよね。君も分かれた方が、あの変わった仕事に集中できるでしょ。
それを聞いた瞬間、冷めていた心に怒りの炎が燃え上がった。
あの人の仕事をバカにするような彼の態度。それだよ、すれ違い始めた原因は。
交際を初めたばかりの頃、あたしは自分の仕事のことを彼に伝えていなかった。あたし達の仕事はとても特殊なもので、理解されない事も多いって分かっていたから。
だけどいつまでも隠しておくわけにはいかないと思い、この前意を決して伝えたんだけど、結果はドン引き。
彼の態度がよそよそしくなったのは、それからだった。
ハッ。何がお互いのためよ。あたしの事が面倒くさくなっただけじゃないの!
「あの見下したような目がムカつくんだよー! こっちは真剣に働いてるってのに、よく知りもしないでバカにするなっての!」
自分の仕事が、簡単には受け入れられないってのは分かってる。けどさ、あの態度はないんじゃないかな。
彼と別れた後、どうしても怒りが収まらなかったあたしは、電話で前園ちゃんを呼びだして飲みに誘った。
だけどどうやらお酒なんて飲んでも、気持ちは晴れないみたい。
しかしそれでも飲むのはやめられずに、お代わりしたビールを一気飲みする。
「って、火村さん。なにさらっとおかわりしたんですか!? もうダメだって言ったのに!」
ふ、甘いよ。長話の合間に、注文してやったわ。
「あー、男なんてもうやだー。あたしもう、前園ちゃんと結婚するー!」
「きゃあっ! 抱きつかないでください。こんな飲んだくれ、お断りです!」
「だったら地元に帰って結婚するー。故郷の村に小学生の可愛い女の子がいるんだけど、あたし好みに育てていけば、光源氏みたいで良いじゃん」
「そんなこと言ってたら、紫式部にぶちキレられますよ。とにかくもう帰りましょう。すみません、お勘定お願いしまーす!」
まだ全然飲み足りないけど、強制的に席を立たされる。
仕方がない。続きは家に帰ってから飲み直そ——おっと!
「火村さん!?」
目に映る景色がグニャリと歪んだかと思うと、もつれた足が明後日の方に動いて行く。
ヤバ、ちょっと飲みすぎちゃったかも?
で、終いにはどこかに足を引っ掻けて、前のめりに倒れる。
げ、これは床に顔面激突パターンだ。
すぐに来るであろう衝撃を想像しながら、反射的にギュッと目をつむる。だけど。
「おっと、大丈夫ですか?」
誰かに受け止められるのを感じると同時に、耳元で男の人の声が聞こえた。
ん、何が起きたの?
目を開いて頭を上げてみると、そこには眼鏡をかけたスーツ姿の、見知らぬ男性の顔があった。
「平気ですか? 僕の声、ちゃんと聞こえていますか?」
あたしの両肩を掴みながら、心配そうに顔を覗き込んでくる男。
歳はあたしと同じくらいかな。ゴールデンレトリバーを彷彿させるような甘いマスクの、眼鏡を掛けた男性。
そこであたしはようやく、転びそうになったのを支えてもらったのだと理解した。
「きゃあー、すみません。うちの先輩が、ご迷惑おかけしました」
「僕は平気です。それより、立てますか?」
頭を下げる前園ちゃんに彼は笑顔で返し、あたしは「ありがと」とお礼を言いながら、体勢を整えた。
「ごめんごめん、支えてくれて助かったよ」
「どういたしまして。怪我をしたり、頭を打ったりしていませんか?」
「へーきへーき。おかげで何とも……ん?」
そこでふと気づいた。
このゴールデンレトリバー風の男、肩に黒いモヤがまとわりついているじゃないか。
だけどたぶん彼は、その事に気づいちゃいない。
だって普通の人には、このモヤは見えないものね。こいつを見ることができるのはあたしのような、霊力を持った人間だけだ。
「どうしました? まだ気分が悪いですか?」
彼は黙ってしまったあたしを不思議そうに見るけど……むう。
このモヤからは、良くない気を感じる。小さな力しか感じないけど、助けてもらったお礼もあるし、ここはひとつやってやろうか。
「ねえ君。そのまま動かないで、真っ直ぐ立って」
「えっ?」
「大丈夫大丈夫、すぐ終わるから。心に風、空に歌、響きたまえ——浄!」
瞬間、あたしの手から暖かな光が放たれ、それを浴びた黒いモヤはみるみるうちに四散していった。
浄化完了。大したもんじゃなかったから、簡単に浄化させることができたわ。
もっとも、彼の方は何が起きたかなんて分からないみたいで、ポカンとしてるけど。
まあ当然か。彼には黒いモヤも、あたしの手から放たれた光も、見えていなかったのだから。
「あの、今のはいったい?」
「ちょっとね。気づいてなかっただろうけど、君には悪いものが憑いていたんだよ。でも安心して、もう祓っておいたから」
「ハラッておいた?」
ますますキョトンとする彼。そして前園ちゃんは、慌てたようにあたしの口をふさぐ。
「ちょっと火村さん。なにこんな所で憑くだの祓うだの言ってるんですか」
「むう、いいじゃない。祓い屋は別に、秘密の組織ってわけじゃないでしょ。もっとオープンにしていかなきゃ」
「それはそうですけどー」
困ったように眉を下げた、そんなにおかしな事言ってるかな?
するとあたし達の会話を聞いていた彼が、ハッとしたように口を開く。
「ハライヤ? もしかして、幽霊や妖怪を祓う、霊媒師的なもののことですか?」
目を丸くしながらそんな事を言ってきたけど、その態度に妙にカチンときた。
おうおう、さてはお前、信じてないな!
男の態度に、元カレの事を思い出す。
たしかアイツも職業を告げた時、「祓い屋って、漫画に出てくるようなあれ? ウケるー」って言ってたっけ。
ああ、思い出したらムカついてきた。
おいゴールデンレトリバー、お前もあたしのことを、祓い屋のことをバカにするのかー!
「あんたね。今あたしのことを、胡散臭いって思ったでしょ?」
「え? いいえ、決してそんなことは」
「言っとくけど、祓い屋は実在する、れっきとした職業なんだからね! ほらこれ名刺。迷える霊あらば即参上。妖怪、悪霊、地縛霊何でも来いの祓い屋の火村悟里ってのは、あたしの事だー!」
取り出した名刺を突きつけて大声で叫ぶと、店内にいた客が何事かとこっちを見る。
あたしは別に注目されたって構わなかったんだけど、慌てたのが前園ちゃんだ。
「火村さんもう止めてください! すみません、この人だいぶ酔ってて。どうもお騒がせしましたー!」
背中を押されて、強制的に店から退場させられる。
ちょっとちょっと。まだ話は終わってないぞー。
「前園ちゃん、あんただって祓い屋でしょう。バカにされて悔しくないのかー!」
「落ち着いてください。バカにされてるって思うのは、火村さんの被害妄想ですよ。あの人は何も言ってませんって」
「いいや、してるね。あたしの女の勘が告げている!」
祓い屋は、漫画や小説の中だけの存在じゃない。ちゃんと現実にあって、迷える霊を祓う、立派な職業なんだ。
なのに霊を見えない人が多いせいか、胡散臭く思われることが多いんだよね。
挙句彼氏とも別れるハメになって、もう最悪。ふざけんなバカ野郎ー!
気持は全然晴れなかったけど、結局そのまま強制的にお開きが言い渡されちゃった。
仕方がない。もう素直に帰って、家で飲み直すとしよう。
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