12. 殲滅

 今まで人を殺そうと考えたことはなかった。

 でも、考え方を変えなければならない。

 必要悪は存在するのだ。

 人を殺すならば、より最小限に。徹底的に。

 だから。


 ──殲滅する。



◇◇◇◇◇◇◇



 フェルマー伯の私兵団を率いるヤムカは、地元では名の知られた男だった。

 己の才覚だけで私兵団を作り、フェルマー伯に私兵団ごと取り立てられた。

 もちろん、私兵団のトップで終わるつもりもなかった。

 だから、聖王女フェイラエール姫の「覇王を導く」という予言と、この付近に攫われた、かの姫が潜伏しているという密告を受けた時、自分こそが予言に選ばれたのだと疑いもしなかった。




「あの騎士、やりやがって」

「皇国の騎士が騎馬の民に寝返りやがったんだ」


 結果として、追いつめたと思った姫は逃げ、ヤムカの私兵団は、三分の一が殺され、三分の一は負傷で身動きが取れない。

 皇国の騎士と思しき銀髪の若造とのつり橋を挟んでの戦闘によるものだった。


「お前らはここに残れ。姫をお救いしなければならない。夜が明け次第動けるもので行くぞ」

「団長、しかし、すぐに下山しないと危ない者もいます。伝令鷹も獣に襲われて死んでしまいました。助けを呼ぶこともできません」

「姫の救出も一刻を争う。すぐに戻る。皆で下山しよう。すまん。それまで持ちこたえてくれ」


 結果としてはよかったのだろう。

 覇王の予言を聞いて、目つきが変わった何人かは、残らず死人になった。

 聖王女の予言が必ず現実のものとなるのは、この大陸の者であれば誰でも知っていることだ。


「聖王女を手に入れれば、俺が覇王だ」


 ライバルは少ない方がいい。




 ヤムカは、日が昇り始めるとすぐに馬を駆り、昨夜女騎士に遮られたつり橋を越える。

 騎馬の民と言えど女連れでの夜間の行動は避けるはずだった。


「団長、こちらに野営の跡が!」

「見つけたぞっ」


 索敵に回した者から声が上がり、すぐにそちらへ馬首を向ける。


「いやっ、助けて!!」


 ほどなく、馬上で争う女の声が聞こえて来た。

 女を囲む馬上の集団は五人ほど。

 対するヤムカ達は、十数人。


「こちらの方が人数が多い! 全員でかかれば倒せるぞ!!」


 ヤムカの声に、騎馬の民も焦ったのだろう。

 慌てて、馬に鞭を当てて逃げ出した。


 その後は、つかず離れずの逃走劇が続き、やがて、大きな橋が見えてくる。

 橋の端から端まで五百メートルほどある、複雑に木材が組まれた三十年ほど前にできた橋だ。

 橋を越えるとその先はドゥルブ領だ。

 この先に入るのはまずい。


 そう思った矢先、橋の中央に、騎馬の民が何かを投げ落とす。

 それを置いて、彼らは、走り去ってしまった。

 橋の上に落とされたのは、よく見ると、猿ぐつわを噛ませ、腕を縛られた女──聖王女フェイラエールだった。

 逃げきれないと知り、騎馬の民は、王女だけを捨て去ったのだ。

 予言を知らないが故の愚かな選択だ。


「止まれ!」


 ヤムカは追撃を止めると、馬を降り、王女の元へ駆け寄った。

 他の団員達も周囲を警戒しながら、その周りに集まってくる。


「ご無事ですか? 王女殿下」


 猿ぐつわをかまされ、腕を縛られたその様子が痛々しい。

 いい印象を与えなければ。

 この女がヤムカを覇王へと導くのだ。

 興奮に震える手でまず王女の猿ぐつわを解いた。

 けほけほと小さな咳をして、顔をあげる王女の顔は、憔悴していたが、うるんだ瞳はなまめかしい。

 美しい女だ。

 覇王になれば、この王女も、手に入る。


「お戻りくださいっ。橋に爆薬がっ。私は姫ではありません。ただの囮ですっ」


 その時、王女だと思っていた女の口から信じられない内容の叫びが上がる。

 声と同時に、橋に不自然な、きしむような音が響き渡る。

 周囲の団員がその言葉に慌てて馬にのった。


「ちっ」


 ヤムカは舌打ちとともに女を突き飛ばすと、自身も馬に飛び乗った。

 足元が揺らぐ感触に棹立ちになりそうな馬を御し、必死に元来た方へ戻る。


「うわーああああっ」

「助けてくれーっ」


 前方の団員達の足元が崩れていき、団員たちは、馬に乗ったまま、悲鳴を上げ、まるで吸い込まれるように谷底へと落ちていく。


 前方からせまる橋の崩落を見て、馬首を返し振り返った瞬間──その女と目が合った。

 

 橋は、ヤムカたちのいる半分だけが崩壊しているのだ。


 危険を示唆した女は、感情のこもらない冷たい目でヤムカを一瞥すると、ヤムカに背を向けた。

 舞うように去っていくその姿に、ヤムカはあれが囮ではなく、聖王女自身であったと理解する。

 すぐにヤムカの足元も崩れ、馬と一緒に中空へ投げ出された。

 見上げる雲一つない空の中で思う。


 ──あれは、聖王女などではない。死神だ。




「さようなら。あなた達の死は、私が負うわ」


 そんな声が聞こえたような気がした。



◇◇◇◇◇◇◇



 三十年前にできたフェルマー領とドゥルブ領境を結ぶ橋は、トラサーチ工法という方式で建築された。

 木製の橋だが、傷んだ部分だけを組み替えることができるよう、材料となった柱は、支柱と補強という役割がはっきりしている。

 そして、この橋にはある意図をもって組み込まれた支柱がある──その一本を抜けば、橋を部分的に崩落させることができるという──。

 こういった知識の宝庫であることこそ、フェイラエールが好んで読んでいた「ツヴィングルの兵法理論書」が禁書とされた所以であった。


 フェイラエールは、崩落を免れた橋の縁に立ち、がけ下に散っていった命を受け止めるかのように、立ち尽くす。


 初めて自分から人を殺したのだ。

 皇宮で、自由に生きたいと、シリルと未来を語り明かした日々は、もはや遠く霞んでしまった。


 かつて、フェイラエールは、自由を求めていた。


 自由を求めることは、息の詰まる皇家の中で、未来に対して希望をもち、行動を起こすための原動力となった。

 もちろん、人を争わせて、傷つけてまで手に入れようとなど思っておらず、むしろ、自分が皇室の中枢から身を引くことは、新旧貴族の対立を収めることとつながっていた。

 皇女として、民の平和を一番に考えての結論だったのだ。

 目的と手段を逆転させて楽しむことで、日々に彩りを与えていただけ。


 でも、今は違う。


 自由を求めて、身を引いて、逃げ切ろうとして、そして、シリルは死んだのだ。


「私が、間違っていた」


 皇帝が婚約を宣言したことで、どれだけ隠そうと、フェイラエールの受けた予言は明らかになるだろう。

 予言の内容は、母の影の発言から、覇王を導くといった類のものだとは容易に推測ができた。

 フェイラエールは、これによって、歴史の表舞台に否応なく引きずり出されることになる。

 いや、知らなかっただけで、覇王の予言を受けた段階で、自分は表舞台から逃げることなど許されなかったのだ。

 なんて愚かな勘違いをしていたのか。

 自分が身を引くことが中原に平和をもたらすだなんて。


(覇王を巡る争いが避けられないというのなら)


 フェイラエールは心を決めた。


「最小限の犠牲で中原を征してみせる」


 覚悟の証として、長い藍の髪を、ナイフで切り落とす。

 風に乗り、藍の髪は谷底へと広がっていく。


(全ての強者を踏みにじって、私の選ぶ覇王に反抗する気も起きないくらい圧倒的な力で踏み潰してやる)


「誓うわ、シリル。私が覇王を導く──この中原に平和をもたらす覇王を」

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