9. 影たちの攻防

 フェイラエールたちは、総勢七人で東を目指す。

 東の草原に向かうためのルートは、低層の山越えをするため、途中いくつか谷川を挟む。

 そして、尾根を越える際に、高低差の少ない抜け道となるようなルートを、騎馬の民は確保していた。

 始めは気配を感じていた追手だが、同じルートはたどれないらしく、フェイラエールたちは、一旦追跡を引き離すことに成功した。




「この先に橋がある。その先で休憩だ」


 タキスが行軍を止めて、数時間の休憩をとることを指示した。

 高低差が少ないルートとはいえ、山道は馬の負担が大きい。

 追手を巻くために無理をして走らせたため馬の息も荒かった。


(私の知る地図にはない、小さな橋だわ)


 当初、フェイラエールは、頭の中の地図からルートを予想しようとしたが、早々にあきらめざるを得なかった。

 フェイラエールの知る地図には、緻密な高低差は表現されていないから、彼らのとるルートが読めないのだ。

 ただ、大きな谷川や橋、山頂の位置などは地図に記載されており、ここが谷川に挟まれたあまり良くない場所であることはわかった。

 タキスもそれを理解しているらしく、休憩は短時間だと告げられる。


 各々が休憩を取り始めると、ケレ=テルバが、タキスの元に、何かを持ち込み話をしはじめた。


(あれは……)


 フェイラエールが近づくと、タキスは顔を上げ、少し疲れた笑みを浮かべる。


「数時間仮眠をとって、すぐに発つことにする。しっかり休んでおけ」

「タキス。それを見せて」

「休憩の指示を受けただろう! お前と話すことではないっ」

「待て、ケレ。──何か気づいたことがあるのか?」


 ケレを制して、タキスが手渡してきたのは、一本の矢だった。

 先ほどかすめた矢が、荷物に刺さっていたために回収できたのだろう。

 フェイラエールは受け取った矢を、矢柄を持ってくるりと回転させた。


「皇帝の正規軍や、地方領主の正規軍は、矢に紋章を入れているの。この矢は紋章付きではないから正規軍のものではない。矢羽根も矢じりもそんな高価なものではないわ。でも、新品同様に新しい。回収できないかもしれないのに、こんな新しい矢を射るのは、潤沢に支給されてるからでしょうね」

「やつらは何者と読む?」

「地方領主の私兵ね。この地域のフェルマー伯が、最近盗賊対策のため、国から支給金を受けて、私兵を雇ったという話を聞いているわ」

「確かに、山賊の類ではない。訓練を受けた者だ。馬も良く操っている」

「逆に私達を山賊と間違えて追って来たのだと思うわ。境界を越えて隣のドゥルブ領に入りましょう。新興貴族のフェルマーと旧貴族のドゥルブは仲が悪いの。越えてしまえば彼らは追ってこないわ。山賊だと思ってるなら、なおさら、隣の領へ追いこむだけでいいもの」


 そこまで言って、フェイラエールはちらりとタキスの顔を見上げた。

 タキスが、以前軍師にと望んでくれたことを思い出したのだ。


(私の提案を受けるかしら?)


「なるほど。確かにそう読めるな。ケレ、行先を調整するぞ、来い」


 にっと、楽しげに笑うタキスの顔を見ると、以前のような高揚感に胸が熱くなる。


「お待ちくださいっ。あのようなものの言う事をっ」


 憎々し気にフェイラエールをにらむ男を見送りながら、フェイラエールは小さくため息をついた。


「あの男っ、またもや姫を!」


 いつの間にかそばにきていたシリルが声を荒げるが、フェイラエールは、笑って首を振った。


「やめて、シリル。いいのよ。皆に認められたいなんて思ってないわ」

「しかし」

「いいの」

「都市まで送ってもらったら、タキスや彼とは、もう会うこともないもの」


(彼らが生きていくには、憎む対象がいた方がいい)


「……姫は、優しすぎます」

「そうかしら。シリルの方こそ、私に優しすぎだわ」


 フェイラエールは、忠実な女騎士をなだめるために、彼女の頬を両手で挟んで引きよせ、その頬がわずかに赤くなるのを楽しむのだった。



◇◇◇◇◇◇◇



 その後、フェイラエールたち一行は、馬を休めるために、数時間の休憩で仮眠をとった──だけのはずだった。


 体が揺れる感触に、目を開けると、辺りは既に真っ暗だった。

 しかし、その暗さは、夜だから、という理由だけではなさそうだった。

 フェイラエールはすぐに、自分が縛られ、何か袋のようなものに入れられて馬に荷物のように運ばれていることに気づいた。


(明らかに、攫われているわよね。ここまで気づかないなんて)


 体の感覚が鈍く、頭痛がするので、薬でも使われたのかもしれない。


(でも、きっとすぐにシリルが助けに来るわ。だから、少ないチャンスをものにするためには、目を覚ましたことを気づかれないようにしなければ)


 けれど、無駄だったらしい。


「目が覚めちゃったね」


 フェイラエールをのせている馬上の騎手にすぐに気づかれてしまったようだ。

 まだ年若い少年のような声が、振ってくる。

 フェイラエールは、諦めて誘拐犯との対話を試みることにした。


「お母様は、なんて?」

「姫様、意外と頭いいよね。アドマースががんばって隠してたんだ。あいつらそういうとこは優秀なんだね。戦闘力はないけどさ」

「……シリルをどうしたの?」

「別に、殺してないよ? ちょっと痛めつけたり眠らせたりしただけ」

「で? あなたはお母様の影なんでしょ。お母様になんて命令されたの?」

「はは、おっかしい。僕がレキシス様に仕える影だってわかるのに、それは分かんないんだ。ああ、そうか。アドマースは、姫様を守って来たんだね」

「どういうこと?」


 その時だった。

 ガキっという金属がぶつかり合う音がして、体が馬上から宙に放り出されたのが分かった。

 落下の痛みに備えて身構えたが、激しい痛みはなく、何者かに受け止められたらしいのが分かった。

 すぐそばで騎馬が足を踏み鳴らす音と剣戟けんげきの音とが入り混じる。

 フェイラエールは、即座に袋から助け出されて、縛られていた手足を自由にされた。

 ありがとう、とフェイラエールが言うと、フェイラエールを助け出した男は小さく、申し訳ありません、と答える。

 月明りの中に見える、額から血を流した満身創痍の姿に顔をしかめる。

 その姿を目にしたことはなかったが、姿形を隠すように振舞うその男が誰か、フェイラエールは一目で分かった。

 彼が、表に出なければならない事態だということだ。


(シリルやタキスは無事なの⁉)


「姫、ご無事ですか⁉」

「シリル!」


 顔をあげると、馬上にシリルの姿を見つけた。

 月明りしかないためよくは見えないが、大きな怪我はなさそうだ。

 フェイラエールをさらった母の影と剣を交えていたのはシリルだったらしい。


「私は平気よ」

「よかった」


 涙声でそう答えるシリルに、フェイラエール自身も安堵を覚える。


(シリルも影も来てくれたから、もう大丈夫)


「影、状況を」

「はい、一行の休憩中にレキシス様の影が現れました。私が退け切れなかったため、眠り香が使われ、フェイラエール様が誘拐されました。私は、気付け薬を使いシリル様を起こし、後を追いました。タキス様にも気付け薬を使い、預けて来たので、ほどなく一行は目を覚まされると思います。ここは、フェルマー伯の私兵の野営地に近い。急ぎ離れなければなりません」


 誰も殺されてはいないことにいったん安心する。


 それよりも。


(影は、お母様にどんな命令を受けているというの? ……違うわ、何を考えてるの。お母様は私をあの塔から助けてくれたのよ)


「ちぇっ、もう少しで、あっちの野営地に着くとこだったのになあ」

「諦めて去れ」

「諦めるのはそっちじゃない? そんなおきれいな表の剣じゃ、僕を倒せないの、分かってるだろ? アドマース」


 余裕のある声の響きに、母の影が、ただ時間稼ぎをしているだけだということに気づいた。

 それはシリルも同様だったらしい。


「影、姫を連れてタキス卿の元へ急げ!」

「はは、待ってよ。僕、姫様にまだ、レキシス様の言葉を伝えていないんだよね」

「不要だっ」

「そう言わずにさっ。レキシス様、片腕を陛下に切り落とされちゃったんだよ? 姫様を助けたからさ」


 一瞬手が止まったシリルをあざ笑うかのように、影の剣がシリルの頬を切り裂いた。

 けれど、フェイラエールは、それよりも大きなショックで肩を震わせる。


「お母様が、私のせいで?」

「影っ! 姫を連れていけ‼」

「そうだよ。君を逃がしたことがばれて、皇帝に大目玉さ」

「黙れ!!」

「うるさいなあ。ここからが面白いところなのに」


 影は、シリルの剣をいなし、シリルを馬上から叩き落した。

 地上でうめくシリルの姿が、歪んで見える。


「ははは、姫も泣いちゃってさ、可愛いよね。教えてあげるよ。レキシス様からの伝言」


 にっと笑う影が、楽し気に告げる。


「『全部、お前のせいだ』だってさ」


 フェイラエールには、理解できなかった。


(だって、お母様は、命をかけて、私を逃がしてくれた──


フェイラエールは、見ないふりをしていたその言葉を繰り返す。


?)


「分かってるんだろ? お利口な姫様。レキシス様はさ、姫の事なんてどうでもよかった。ただ、陛下が大好きで仕方なくって、陛下を奪う姫様が許せなくて追い出しただけだよ」


 僕も、陛下に近づく女、たくさん殺したしね、と笑う声が耳を素通りする。


「だからね、僕、姫様を捕まえて、あいつらに引き渡さなくちゃならないんだ。もちろん、予言の内容も一緒に、ね」

「姫、参りましょう」

「レキシス様さ、今地下牢に入れられちゃっててさ『自分だけがこの地下牢で過ごすなんて間違ってる。姫様にも、くだらないならず者に囚われて、檻の中で飼われるような生活を一生味合わせてやる』だってさ」


 呆然とするフェイラエールは、アドマースの影のなすがままに立ち上がる。


「捨てられちゃったね、姫様。あ、ついでに、同じ左腕を切り落としたら、レキシス様喜ぶかな?」

「姫‼」


 振り上げる影の手の先にあるのは鎖のついた小さな手斧──飛び道具だった。

 それを見たシリルは、フェイラエールと影との間に無理やりに体を割り込ませる。


 ──そして、その身に刃を受けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る