5. 皇宮舞踏会②

「参ったな。やられた。久しぶりに、衝撃を受けた。ユノ川の水辺で敵に待ち伏せされた時以来だ」

「ちなみにそれは負けたの、勝ったの?」

「当然勝った」

「気に入らないわ」


 すぐに池で会った時の屈託のない笑顔を浮かべたタキスを見て、フェイラエールは口をとがらせる。

 フェイラエールは、タキスの手を取り、強引にホールの中央へ連れ出す。

 果敢にリードを奪うが、すぐに奪い返された。

 騎馬の民の英雄は、思ったよりダンスが上手いらしい。


「メイドではなかったのだな」

「そう。だから、あなたと一緒には行けないの。ごめんなさい」

「残念だ。だが、それを伝えるため、礼を尽くしてくれたことに感謝する。皇族は俺達を、蛮族としか見ていないのだと思っていた」


 フェイラエールは口をつぐむ。

 ずっと横目で見ていたが、彼は明らかに周りから距離を置かれていた。

 それは、粗野で野蛮だとされる騎馬の民のこの国における地位の低さのせいなのだろう。

 直前に行われた祝勝会には皇帝すら出席せず、王子であるフェイラエールの兄が言祝ことほぎを行い、わずかな褒美を取らせたのみだったと聞く。


「国のために戦ってくれたあなたたちへの対応は、申し訳なく思っているわ」


 でも、フェイラエールにはそれを声に出す力はない。

 謝ることしかできないことが歯がゆいが、力を持たないこと、それがフェイラエールの選んだ生き方だった。


「お前は、うわさとは全く違うのだな。噂は仮の姿か。直前にそれだけでも分かってよかった」


 タキスはそう言うと少し苦しそうな表情を見せた。

 ワルツを踊るフェイラエールとの距離を、ほんの少し縮める。


「皇女に伝えておく。これから何が起こっても身を伏せて抵抗するな──お前だけは何があっても助ける」

「その必要はないわ」

「何?」

「だって、から」

「……どういうことだ?」


 タキスの声に、剣呑な響きが混じる。

 ワルツが終わりを迎え、次々とパートナーを交換していく周囲をよそに、二人は見つめ合ったまま動かなかった。

 フェイラエールは、笑みを深めて再びタキスをステップに誘う。

 タキスは周囲の騒めきも耳に入っていないようだった。


「あなたを助けたかったのよ」


 フェイラエールが何事もなかったように笑いながらダンスを始めるのを見て、タキスも硬い表情のまま、それに応じる。

 フェイラエールは彼を下から見上げるように体を寄せると、彼の右耳に小声で告げた。


「計画は諦めなさい。あの計画では成功しないわ」

「おまえっ」

「今までも、あなたたちのような者は多くいたわ。計画は何度も実行され、何度もつぶされてきた。そして一族郎党が消されたわ。公にすらならないの。機を待ちなさい。今じゃないわ」


 一瞬タキスのダンスが乱れたが、すぐに持ち直した。

 皇女の誘惑によろめいたように見えてくれたことを祈る。


「笑いなさい」


 フェイラエールは、くるりとターンをして、タキスの正面に、皇帝が見えるような位置取りに体を入れ替える。


「わかるかしら。陛下の周りにいるのは、近衛だけではないわ。あの付近にいるのは、給仕のメイドに至るまで全て戦闘技能を持つ者達よ」


 フェイラエールの腰に添えられたタキスの手に力が入るのが分かった。

 英雄と称されるほどの彼はきっと、フェイラエールの言葉が真実だとすぐに見抜いたに違いない。


 故国を滅ぼされ、民のためにかたきに膝を折り、戦いを強いられる。

 彼の──彼らの無念と、皇帝にむける憎しみは、いかばかりだったのだろう。


 けれど、相応の覚悟を秘めてこの場に立った者の決意をくじくために、フェイラエールは、その心まで折らなくてはならない。


「あなたが伏せさせていた刺客は、私の子飼いのアドマース家の影がほとんど押えたわ。皇女ごときにつぶされる計画なの。中止の合図をしなさい。陛下は気づいていない。それでなかったことにできるわ」


 彼がフェイラエールに向ける苦し気な笑みは、ともすると、恋に落ちた青年の恋人に向ける恋慕の表情にも似ていた。


「部下は……」

「殺してないわ。言うことを聞かない子は、書庫の裏に縛って捨ててあるんですって。後で拾いに行ってね」

「……信じていいのか?」


 タキスのその言葉に、フェイラエールは、少し素直になってみることにする。

 彼を安心させるために、心の内をさらすのもいいだろう。


「私、軍師に誘われて、本当に嬉しかったの。だから、これはそのお礼」


(どちらにしろ、このまま実行したら騎馬の民は全滅するだけだわ。あなたには信じるしか選択肢はないの――でも、ここでそれを言うのは無粋よね)


「……礼を言う」


 フェイラエールは、彼の言葉に力を抜いた。

 一番の心配は、彼が諦めず、この場でフェイラエールを人質に取るなどという暴挙に及ぶことだった。


(でも、思った通り、きちんと状況を見ることのできる人だった)


 フェイラエールとタキスの二曲目が終わる。


「三曲目の前に、説得が終わってしまったわ。残念。説得できなかったら、あなたにプロポーズするつもりだったのよ?」

「すまないっ」


 タキスは、ここにきて初めてフェイラエールと二曲続けて踊り続けたことに気づいたようだった。

 その慌て様は、今までとギャップがありすぎて少しかわいい。


 二曲続けて踊るのは、お互いに相手に好意があるという証。

 三曲続けて踊るのは、結婚間近であると周囲に公表する意味があった。

そして、三曲踊り終えたのちにプロポーズするのが、最近の皇都での流行だった。

 タキスもそれは知っていたようだ。


(本当にプロポーズをしていたらどんな顔をしたかしら)


 本当は、怖かったのだ。

 皇女だと知ったフェイラエールと以前の様に気安くやりとりしてくれるのか。

 再び以前のような笑みを向けてくれるのか。


 愚か者としてそしられる役をこなそうと決意した時から、自分に対して向けられる態度や感情に左右されることはなくなっていたはずだった。


 だから。


 タキスの色々な表情をもっと見てみたかったと思ってしまう理由は、やはりつきつめてはいけないのだ。


「姫。お遊びはこのぐらいにしていただきたい」


 ちょうどよいタイミングでシリルが現れ、タキスの腕からフェイラエールをさらう様に奪い取った。


「あなたの勝ちです、姫。私の心を嫉妬の炎で焼き尽くそうとした、あなたの企みは、見事に成功しました」

「あら、私はこちらの方と三曲目を踊るところよ? 令嬢達にちやほやされて喜んでいたシリルなんて知らないわ」

「もう、おやめください。後悔しています。あなた以外の方に、目を向けることなど今後もう決していたしません」

「分かればいいのよ?」


 周囲は、その様子を見てフェイラエールとタキスの一幕は、シリルとの痴話喧嘩によるものだったのかと、早々に興味をなくしていった。

 フェイラエールが初めて男性と──それも二曲も続けて──踊ったことから、何かを読み取ろうとした者もいたようだったが、皆、無駄だと悟ったようだった。


(私が初めて踊った男の人だなんて、タキスは知らなくていいことだわ)


 シリルは、フェイラエールの腰に手を添えたまま、わざとタキスの前を通る。

 きっと、タキスと最後の挨拶をさせるため、シリルが気を利かせてくれたのだ。

 フェイラエールが別れの言葉を口に出そうとした時、シリルが、きっとタキスをにらみつけた。


「姫の気まぐれだ。勘違いするなよ」

「女か? 勘違いしているのはお前の方では? 姫は俺にプロポーズするつもりだったというのに」

「貴様は当て馬だ! 気づかないほどの愚か者とはな」

「当て馬だと思って安心していると、痛い目を見るぞ」

「貴様っ!!」

「えっ、何? ちょ、シリル??」


 二人のやりとりに驚いているうちに、いつの間にかシリルは、タキスの首元をつかみ上げている。

 そんなシリルを、フェイラエールはあわてて引きはがす。

 演技にしてはやりすぎだ。


「ええっと、タキス=トゥーセ。楽しい時間をありがとう。また機会があったら会いましょう」

「機会は作るものだということを、実践して見せよう」

「っ……。そ、そう? 楽しみにしているわ」


 不敵に微笑むタキスは、シリルの腕をとるフェイラエールに向けて、口を開いた。


『…………』


 唇の動きだけで伝える、その声なき言葉に、フェイラエールの胸は熱くなるのだった。



◇◇◇◇◇◇◇



 フェイラエールの成人の式典も終わりに近づいていた。

 一番の懸案事項も、未然に防ぐことができ、フェイラエールは、心地よい疲労感を味わっていた。

 成人して初めて口にするお酒もおいしくて、何だか全てが上手くいくような万能感に満たされていた。


 だから、油断をしていた。




 宴も終わりに近づいた頃、それは起こった。


「余興はここまでだ。フェイラエール、前へ」


 感情を感じさせない皇帝のその言葉に、フェイラエールは、壇上に立つ皇帝の前で、淑女の礼をとった。


「皆に伝えることがある。第二皇妃が、十八年前の不義密通の罪で、北の塔へ幽閉された」


 皇帝の声は続く。


「第三皇女は、私の血を引く娘でないことが分かった。よって、フェイラエールの第三皇女の地位をはく奪する」


 頭を上げることは許されなかった。

 そして、さらに重ねられた言葉は、フェイラエールだけでなく、その場にいた誰もが想像しえなかった言葉だった。


「第二皇妃レキシスの輿入れは、このリレッタ皇国と今はなき聖王国との融和のためのものだった。皇妃の過ちにより、この融和の理念が妨げられてはならない。私は、この融和の志を遂げるため、ここに、聖王国の最後の聖王女となるフェイラエールとの婚約を宣言する」

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