4. 皇宮舞踏会①
今日は、夕方からフェイラエールの成人の式典がある。
いつもは、宮から追い出されている侍女やメイドも、この日ばかりは、務めを果たすべくおしかけてきて、朝から準備に余念がない。
成人の式典前にタキス=トゥーセの戦での働きを称える祝勝会が行われることは聞いていたが、フェイラエールは出席しないつもりだ。
(顔を会わせて驚かせるのは、最後まで取っておかなくちゃね)
フェイラエールは、鏡の中の自分の姿を見て、ふふんと顎を上げた。
金の刺繍が施された艶のある白のドレスに、美しく結い上げられた藍色の髪が映える。
粉をはたかれたきめ細やかな肌に、色づく桜色の頬とうるんだ唇が、普段は地味に見えがちなフェイラエールの顔を艶やかに彩っている。
「姫様。今日は一段とお美しい。
「シリル。あなたもとても素敵よ」
今日のシリルは、フェイラエールとおそろいの白に金の刺繍が施された華やかな衣装を着ていた。
フェイラエールの支度を手伝う侍女たちの顔を、美しい所作と流し目で赤くさせながら、ゆっくりと側に近づいてくる。
「あなたも準備が大変だったでしょう?」
「ええ。しかし、滞りなく進めることができました」
「そう、さすがシリルね。私の言った通りじゃない」
「はあ……。その一言と微笑みであなたを全て許してしまう自分が恨めしいです」
「ふふっ。私もシリルにはなんでも許してるでしょう? おあいこよ」
二人の会話に赤くなる侍女たちを横目に、シリルは、フェイラエールの髪を一房取って口づける。
エスコートに差し出されたシリルの腕にフェイラエールは腕を絡めて立ち上がる。
「さっ、行きましょ。これからとっておきの舞踏会が始まるわ。楽しみね」
「私は、これを楽しめる姫を心より尊敬いたします」
「あら、私が楽しめるのは、シリルが側にいるからよ」
「……」
心なしか赤くなる女騎士のツボを、フェイラエールは、しっかり押さえているのだった。
「第三皇女フェイラエール=ソル=バレ=ド=リレッタ殿下。アドマース伯爵家シリル=アドマース卿」
シリルのエスコートで入るホールは、既に人であふれていた。
自信たっぷりに顔をあげて微笑みながら入場すると、人々の視線が波紋のようにこちらへ注がれる。
いつもはシリルとフェイラエールの二人を顔をしかめて見つめる貴族たちも、今日ばかりは、二人の煌びやかないでたちに目を奪われているようだった。
(いたわ)
向けられた多くの視線の一つに、タキス=トゥーセの姿を見つける。
彼は、赤い騎馬の民の正装を身に付けていた。
堂々としたその様子は、むしろ洗練された雰囲気さえ感じさせる。
向けられた視線に目を合わせるが、さりげないそれは明らかに皇女の顔を覚えるためのもので、目的を果たしたのかすぐに逸らされてしまった。
もちろんフェイラエールが昨日のエルだと気づくはずもない。
何故だか不愉快だ。
「ねえ、シリル。今日の私、結構きれいよね?」
「ええ、かくも麗しき天上の女神のようです」
「あの男、やっぱり見る目がないかもしれないわ」
壇上に座ると、やがて父である皇帝が入場する。
アテルオン=ソル=バレ=ド=リレッタ。
金髪碧眼、冷酷な美貌の主。
四十をとうに超えているというのに衰えを知らないその美貌と肉体は、戦場を駆け回った若き頃そのままの姿だと言われている。
表情を変えない冷たい瞳は、見回すだけで、周囲を圧倒し、知らず、人々に頭を垂れさせた。
人を
反逆、背信、造反、謀反……
一介の地方貴族だった父がこの中原に名を轟かせだしたのは、二十年前。
十八年前には、中原の聖王国エグザポス朝を滅ぼし、その最後の聖王女レキシスを妻に迎え、この中原の南半分を制した。
さらに、東の騎馬の民の王を倒し、傘下に収めたのは、十年前。
以降、傘下に迎えた者達を使い、小規模な戦でじりじりと領土を増やしてきた。
フェイラエールは、傍観者として父の姿を見つめる。
父と会うのは、公の場でのみ。
もちろん家族らしい会話などしたこともないし、愛情など感じたこともない。
向こうも、フェイラエールに関する式典など、面倒に感じているに違いない。
それどころか、今まで殺されなかった事が不思議ですらある。
皇国の土台を安定したものにするのに、古参の貴族の崇拝を一途に受ける聖王女の血筋など邪魔なだけなのだから。
(さすがに実の娘だもの。殺すまでは考えなかったのね。殺せないなら、聖王女の血筋を大切に扱っておく方が古参の貴族の反感を買わないからいいのかもしれない。でも、それならお母様も式典に参加させればいいのに)
フェイラエールは、皇帝の脇の空席に目をやり、母親である第二皇妃レキシスのいるはずだった場所を眺めた。
母と会ったことは、父以上に数えるほどしかない。
けれど、他の皇妃や皇子、皇女が居並ぶ中、その空席がやたらと目に付いた。
(割り切ったと思ってんだけど)
成人を迎える特別な式典の今日は、心の奥底にしまい込んでなくしたと思っていたそんな感情まで湧き上がってきてしまう。
フェイラエールは、心のうちで苦笑すると、それらを振り払って前を向く。
「今日は、我が娘、第三皇女フェイラエールの成人の式典だ。皇女の年は、聖王国が滅び、リレッタが地方の一領地から皇国へと姿を変えた年数と同じだと思うと感慨深い。皇女が無事に、記念すべき今日を迎えられたことを祝おう。皆、楽しむがよい」
(まるで聖王女を人質にしているかのような言い草だわ)
皇帝の祝辞は、いつものように、聖王家を支持していた旧貴族の叛意を煽るような言葉だった。
そして我慢ができずに行動に移した者をあぶり出す。
この十七年、いくつの家門が滅門したか。
――だから、フェイラエールは愚かな振りをする。
自分にそんな価値はないのだと知らしめるために。
「お父様、もういいでしょう? 私の式典だもの。私、シリルと早く踊りたいわ」
「好きにするがよい」
「シリル、行きましょ」
「仰せのままに」
場をわきまえずに愚かな発言をして、父と周囲から冷ややかな視線を集めながらホールの中央に進み出る。
流れ始めた楽団の演奏ともに、軽くステップを踏んだ。
『いつもながら趣味が悪いわ』
『ええ。陛下の影や密偵が、周りを探っておりました』
『大事にならなければいいのだけれど』
顔をよせて見つめ合いながら囁き合う二人の言葉は当然ながら
『でも、気にしてても仕方ないわね。それじゃ、今日のメインイベントを始めるわよ』
『本当に……やるんですね』
『楽しみでしょ?』
『……』
『ねえ、私がシリルの困った顔が大好きだってこと、知ってる?』
『っ……あなたはいつもそうやって』
二人は、ダンスの位置取りを不自然のないように、徐々に変えていく。
曲も終盤に差し掛かった頃、フェイラエールは、突然大声を上げた。
「なんで!? シリルの馬鹿っ。もう知らない!!」
「姫。お許しください!」
「知らないったら知らないっ! もう、シリルなんてどこか行ってちょうだい」
フェイラエールは、そのままくるりとシリルに背を向けると、偶然目の前にいた男につかつかと歩み寄る。
「ねえ、あなた、踊ってくださらない!?」
傲然と顎を上げて、目の前の男に手を差し出す。
男は一瞬驚きの表情を浮かべるが、すぐに余裕を取り戻し、フェイラエールに柔らかな笑みを浮かべるとその手を取った。
「喜んで。皇女殿下」
男の顔には社交辞令以外の何も浮かんでいない。
美しく着飾ったフェイラエールに何も感じていないのはおもしろくないが、自分を認めた男が女の外見や地位になど惑わされない男だというのはちょっと嬉しい。
複雑な気分だ。
(でも、ことを進めなきゃね)
フェイラエールは、男の懐へ、一歩踏み出す。
『今夜の約束は、まだ有効?』
ささやきに目を見開く騎馬の民の英雄の姿を、フェイラエールは、不敵な笑みで見上げるのだった。
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