小さな騎士 前編
イアンナの小さな手に触れた時、握り締めれば壊れてしまいそうなか弱さにカリムは驚いた。
今の彼女は人間であり、まだ子どもで庇護されるべき存在なのだと実感する。目覚めたばかりの魔力も不安定で、彼女の感情ひとつで暴走しかねない。
両親や村の大人たちがいて尚且つ森の魔力の恩恵を受けるプリムスにいれば、災禍に見舞われる可能性は低いと思いつつも念の為にと、厄祓いの結界魔法を施して別れたのは幸いだったと思う。
魔王であるカリムの結界魔法を破ることは安易ではない。アルバ城付騎士団の幹部クラスの魔族が束になりやっと亀裂を入れることができるかどうかだ。
カリムを生み出した大いなる意思や彼の対であるイアンナ本人であれば打ち消すことは可能ではあるが、それでも強大な魔力量が必要となる。殆ど魔力を持たない人間では、法具を使ったとしても傷一つ付けることはできないだろう。
現時点でイアンナを魔法や武器で傷付けることは不可能だ。故に幾ばくかの余裕はあった。助けに向かう前に、イアンナの友であるウルクの様子を確認する必要がある。イシュタルの魂を持つ彼女なら自分の境遇よりも友を心配しているはずだから。
ウルクが治療を受けている診療所は、二の郭にあり騎士団直轄の診療所だ。ロストリアには二つの騎士団が存在する。
魔王城があるアルバを護衛する魔王直属のアミークス騎士団。ロストリア全土に砦を持ち各地方の護衛をするオムニブス騎士団。魔王に指揮権があるアミークス騎士団に対し、オムニブス騎士団は、魔王の独断で全軍を動かすことは出来ない。議会で過半数以上の公爵の承認が必要となる。
カリムが魔王に即位したばかりの頃に定められた法だが、現在までオムニブス騎士団全軍が動くほどの騒動は起きていない。専ら、魔族同士の喧嘩の仲裁や迷子の捜索といった所謂お巡りさんのような任務が多い。今回ウルクをアルバまで送り届けたのもオムニブス騎士団の兵士だった。
移動魔法で診療所前に飛ぶと、いち早く気づいた門兵が敬礼をしてくる。挨拶を省くよう右手で答えながら門兵にウルクの件を尋ねる。
「妖精の子どもが担ぎ込まれたはずだが?」
「はっ!只今治療中であります。それと、ベルゼブブ将軍が見舞っておいでなのですが……」
「ベルゼが?」
言いよどむ門兵に首を傾げつつ扉に手をかけると同時に怒声が響いてきた。
「怪我を追ったお前に何ができるというのだ!大人しく養生せんか!ばかたれが!」
思わず門兵に視線をやると「将軍がお越しになってからずっと、こうなのです……」と、すがるような視線を向けてくる。
ベルゼブブは、ロストリア7氏族と謳われる一族フェルス家の当主である。
7氏族とは、魔王であるカリムと6家の公爵家を敬う呼び名だ。
フェルス家の当主であり、アミークス騎士団の騎士団長も務めるベルゼブブは、勇猛果敢で荒々しい面はあるが階級を気にせず分け隔てなく接する為、民からの信頼も厚い。
どうやら、ウルクとは顔なじみのようだ。大方心配して飛んできたのだろう。
「善処しよう」
カリムは苦笑気味に診療所内に入る。怒声が響く治療室は、玄関扉の右隣にあった。入口から室内を覗くと、処置用の簡易ベッドに暴れる毛の長い狼に似た獣型の妖精を押さえつけている背の高い男の姿があった。
次いで室内を見回せば、困り顔の医療班の兵士と目が合う。慌てた様子の彼に人差し指を口元に添えて制止すると、戸口を軽く3回ノックをした。
「外まで丸聞こえだぞ。ベルゼブブ」
「やや!陛下!」
カリムの声に振り返ったベルゼブブは、衣服の上からでも分かる立派な体躯で、灰色がかかった銀髪を短く刈り上げており、口元に髭を蓄えている。瞳の色は薄い水色、目元に刻まれた皺から人間の年齢で言えば50前後に見える。正しくロマンスグレーといった風貌の男だ。
その端正な顔の所々に引っかき傷が出来ているのは、見なかったことにしておく。
彼は、ロストリア創立以前、カリムが守護者であった頃からの部下でもある。ロストリア7氏族に名を連ねている残りの公爵も、ベルゼブブと同様にカリムを慕い共に地上に降りた者たちだった。
「お騒がせして申し訳ない。こやつがあまりにも分からず屋の強情でしてな!イシュタル様をお助けするのだと言って聞かんのですわ」
言葉は乱暴でも、ウルクの頭をわしゃわしゃと撫でる手は優しい。当のウルクは突然の魔王の登場に昨日と同じく固まっている。
そこへ医療班の兵士がおずおずと口をはさむ。
「陛下、恐れながらご報告申し上げます。どうやら法具を埋め込んだ武器で斬り付けられたようです。傷口自体は浅いのですが、まだ子ども故に傷口から体内に入り込んだ魔力の浄化に4,5日の安静が必要でございます」
大きな耳と尻尾を縮こまらせていたウルクが、兵士の言葉に勢い良く反応し顔を上げた。
「そんなに寝てられないよ!イア……イシュタル様を助けに行かなきゃいけないんだ!」
子どもながらに気を使ったのか、わざわざ彼女の名前を言い直す律義さにカリムの口元が緩む。
カリムは簡易ベッドの傍に寄り、ウルクの視線に合わせて膝をつく。
「陛下!」
慌てたベルゼブブが窘めるが、カリムは右手で彼を制する。黙っていろと主君に命じられてはベルゼブブも引き下がる他ない。苦い顔で下がるベルゼブブに笑いかけてから、ウルクに向かい合う。
「小さな騎士よ。名を何という」
ロストリアの頂点に立つ魔王その人から『騎士』と呼ばれ、ウルクの両目はこれ以上ないほどに見開かれる。
騎士団入りは魔族の子であれば誰もが一度は夢に見る憧れだった。背後で、医療班の兵士は蒼白な表情でベルゼブブに視線を送り、ベルゼブブは、苦虫を嚙み潰したような顔で頭を抱えていた。
騎士団に入るには特例がない限り、難関の国家試験に合格する必要がある。毎年なりたくともなれない者も大勢いる。特例とは公爵以上の推薦を持つ者である。
カリムの言葉は、形容詞は付くものの、魔王自ら騎士団の資格があると認めたようなものだ。まだ成体にもなっておらず、人型を取ることもできない子どもを騎士と認めるなど、前代未聞である。
驚きのあまり返事を返せないでいるウルクの手を取り、カリムはもう一度優しく尋ねる。
「名を教えてくれないか」
我に返ったウルクは緊張で心臓が飛び出しそうだ。何度も瞬きと深呼吸を繰り返し、どもりながら自分の名前を告げる。
「……ゥ、ウ、ウル、ク……です……」
「ウルクか。では、ウルク」
昨日イアンナにしたように小さな手を撫でた。所々長い毛が切れ、痛々しい掠り傷が見える。大きな傷を負い倒れるまで何度も小さな体で立ち向かったのだろう。その傷を讃えるようにカリムは優しく撫でる。
「我が対イシュタルの救助を、私に譲ってはくれないか」
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