夕陽の約束

 人間の領土は、世界の3分の1程であった。その狭い領土を人間同士が奪い合う戦争が幾度となく繰り返されてきた。その度に、多くの文明や文化失われては生まれ、今や正しく歴史を語れる者はいない。所々欠けた伝承が歪んで語られているばかり。


 現在は3つの国がある。

 最も小さく農業が盛んなクルトゥラ

 鉱山を持ち商業が発展したミネラ

 最大の軍事大国のレギオン

 

 長い戦争で疲弊した国の回復のため、現在は停戦中であるが、どの国も互いの領土を狙い、魔族の領土であるロストリアへの侵攻をも目論んでいる。


 クルトゥラ国の国王オルトスは、月に一度、満月の夜に居城の私室へ占術師を呼び付けるのが、ここ近年の習慣となっていた。


 人間には魔力を持って産まれる者は殆どいない。僅かな魔力を持って産まれる者も稀にいるが、自身の魔力だけで魔法を使ったり魔法陣を発動させることは出来ず、一時的に魔力を増幅させる法具が必要だった。法具にはマテリアと呼ばれる素材自体に魔力を帯びた鉱石などが使用され、純度の高い希少な物ほど強力な術が発動出来る。しかし、自身の魔力の上限により使える回数は限られ、それを越えて魔力を引き出そうとすれば肉体が壊れてしまう。それ故に、術師を多く囲い込めること自体が富の象徴でもあった。


 満月の夜を選ぶのは、月の満ち欠けと魔力は比例しており、満ちるほど、そのエネルギーは増強されるからだ。

 呼び付けた占術師に星読みをさせながら、オルトスはソファに深く座り、険しい顔で顎に蓄えた白髪が混じる焦げ茶色の髭を弄りながら窓ガラス越しに夜空を見やる。



 今宵も空振りに終わるか……。



 7年前、突如として輝きはじめた宵の明星。その星は、太古の昔にロストリアの魔王を封印した『勇者イシュタル』顕現の証であり、勇者の印を身体に刻まれている。と言い伝えられてきた。


 魔族の頂点に立つ魔王に匹敵する魔力を持つと言われる勇者イシュタル。その力を手に入れることが出来たなら、目障りなミネラもレギオンも掌握し、ロストリアさえも支配下に置くことが出来よう。恐らく、他の二国も宵の明星の復活に気付いているだろう。何としてでも、出し抜かなくてはならない。


「オルトス様」


 何の感情もこもっていない無機質な声にオルトスは物思いから引き戻され、占術師を見下ろす。薄気味の悪いやつだ。全身を黒いローブが包み、袖口から骸骨のように骨張った細長い指が見え隠れする。男か女かもわからない。招き入れた7年前からローブのフードを目深く被っており、顔すら見た事がなかった。ただ、占術に関しては確かな力を持つようだった。


「印を持つ者が現れたようでございます」


 占術師の言葉にオルトスは思わず前のめりに身を乗り出す。


「まことか!?勇者は何処におる!」

「ここから北東……プリムス」


 プリムスは、レギオンとの国境付近にあるクルトゥラ領辺境の村だった。己の領地内であったことは実に都合が良い。


「ただ、目覚めたとはいえ、まだ子ども……使えますかどうか……」

「子どもであろうが勇者は勇者だ。戦えぬと言うなら戦い方を学ばせればよい。貴様は報酬を受け取りさっさと去れ」


 傍らに控えた側近に占術師へ報酬を払うよう命じると、野良犬を追い払うかのように吐き捨てる。側近から報酬を受け取り、よろよろとした足取りで部屋を出ていく占術師には目もくれず上機嫌に側近へあれこれと命じはじめた。


「早急に勇者を招かねばなるまい」


 扉が閉まる直前に占術師は振り返る。


「……愚かなり」


 侮蔑と嫌悪を含んだ占術師の呟きは、オルトスに届くことはなかった。




 クルトゥラ領・プリムス


 軍事大国レギオンとの国境付近に位置し、ロストリアの森との境にもある辺境の村。


 王都から遠く離れ、魔族領に近いこの村は、辺境とはいえ貧しくはなかった。ロストリアの森から溢れる魔力は、周辺にある人間の領土にも恩恵を与えているのだ。樹木や家畜を育て、肥沃な土地を作る。そこに暮らす人間も、魔族や魔物と共存している者たちが多い。人間に善人や犯罪者がいるのと同じで、魔族や魔物にも良し悪しがあるという価値観が根付いていた。その価値観の中で育った子どもたちの遊び相手はいたずら好きの妖精たちだった。


「イアンナ!どこにいくの?」

「イアンナ!どこにいくの?」


 一抱えの篭を両手で持った少女に、日向ぼっこをしていた妖精たちが話しかける。イアンナと呼ばれた少女は篭からひょっこりと顔を出しにっこりと笑った。色白で緑色の大きな瞳に可愛らしい顔立ちの少女だ。動く度に揺れる白金の髪が陽の光を浴びてキラキラと輝いている。


「お花摘みにいくの」


 イアンナの周りを羽を持つ妖精・シンシアはヒラヒラと飛び回り、獣型の妖精・ウルクは足元で跳ねている。どちらもイアンナと大の仲良しの妖精だ。


「どうしてお花摘みにいくの?」


 シンシアがイアンナの肩に止まり腰掛ける。パタパタと羽が動く度にイアンナの頬に当たりくすぐったい。身じろぎをしながらもシンシアを落とさないように気にかけつつイアンナは答える。


「わたしね、7つになったの。今日はお祝いなの」


 花を沢山飾るのだという。


 人間の子どもは、7つまでは大いなる意思の子と言われている。7つになるまでは魂が不安定であり、魂を維持することが出来ず生きられない子も多い。故に無事に7歳の誕生日を迎えることが出来た子どもは、村や街をあげて盛大に祝福をされる。自分のお祝いではあるけれど、お姉さんになったのだからお手伝いをするのだと嬉しそうに笑うイアンナに、妖精たちは自分たちも手伝いをしたいと申し出た。きっと、いつの間にか目的が追いかけっこやかくれんぼに変わってしまうだろうが楽しそうに駆けていく少女と妖精たちを村の大人たちは微笑ましげに見送った。


 村外れの花畑にやってきたイアンナは色とりどりの花に目を輝かせる。沢山の花を踏まないように花畑へ入ると、綺麗に咲いた花を摘みはじめる。


 夢中になって花を摘んでいると、ふいに頭に何かふわりと乗せられた感触があった。驚いて頭に手をやると、それは花冠だった。


「お誕生日おめでとう!イアンナ」

「あたしたちからの祝福受け取って!」


 しばらく前からイアンナから離れた場所で何やらコソコソとしていた妖精たちに気付いてはいたが、いたずらはいつものことなので、イアンナは気にする事なく花摘みに集中していたのだが、どうやらこの花冠を作ってくれていたらしい。ちょっとしたサプライズにイアンナは頬を染めて照れ臭そうに笑みを浮かべる。


「ありがと」



 3人での花摘みは、あっという間に篭いっぱいになった。まだ日も高く、お祝いのパーティーにはしばらく時間もあったので、芝生に座っておしゃべりを楽しむ。すると、時々イアンナは左腕を気にするように撫でる素振りをしていることにシンシアが気付く。


「イアンナ、腕痛いの?どこかにぶつけた?」

「……わかんない……朝からピリピリするの……」


 怪我をしているなら治癒魔法をかけてあげる。と、心配そうに言うシンシアにイアンナは袖を肩まで捲し上げる。


「……イアンナ……これ……」


 イアンナの左腕を除き込んだシンシアとウルクは目を見開く。彼女の左腕には、月桂樹の葉を2枚重ねたような痣が浮かび上がっていた。


「……イシュタル……さま……」


 ウルクの震えた呟きにイアンナは首を傾げる、すると、先程まで穏やかに流れていた風が旋風のように花畑を駆け抜けていく。驚いて踞り、風が収まってから恐る恐る顔をあげると、花畑に誰かが立っていた。濃紺のビロードのローブを纏った恐ろしく美しい顔をした銀髪の青年だった。その姿に、妖精は緊張に固まってしまった。


「ウルク?シンシア?知ってる人?」


 妖精とその人を見比べて不思議そうに尋ねると、青年はそっと人差し指を口元にあてる仕草をして微笑む。その途端に、妖精はイアンナの後ろに隠れてしまった。青年はゆっくりとイアンナの前まで来ると、しゃがんでイアンナに視線を合わせる。


「やはり、記憶はないのだな……」


 不思議なことを呟いてどこか寂しそうな表情をする青年に、一瞬懐かしい気持ちがした。


「おにいちゃん、だぁれ?」


 見上げて尋ねるイアンナの小さな手を青年は、そっと包むように握る。シンシアもウルクも何故だか隠れてしまったけれど、イアンナはちっとも怖いとは思わなかった。


「私の名はカリム。良ければ君の名も教えてくれないか?」


 真っ直ぐ見つめてくる青年の紅い瞳はとても綺麗な色で、優しい。イアンナはにっこり微笑んで答える。


「わたし、イアンナ!」

「はじめまして、イアンナ」


 カリムに名を呼ばれると、ピリピリと静電気が走るような腕の痛みはなくなった。代わりにほんのり暖かい気がする。腕に視線を落とし何度か瞬きをすると、カリムを見上げる。


「ピリピリしなくなった」

「イアンナが目覚めた証だ」


 カリムの言葉はなんだか難しい。イアンナは困った顔で首を傾げる。


「……そうだな、長い話になるからまたゆっくり話そう。今日は7つの祝いの日だろう?明日またここにおいで」

「うん!」


 知らない人のはずなのに、カリムとの約束は、なんだか嬉しくてイアンナは彼の手をぎゅっと握り返す。


「やくそくね!」

「あぁ、約束だ。さぁ、もう帰るんだ。祝いが始まってしまうぞ?」


 気付けば雲が薄い朱色に染まりはじめていた。雲が真っ赤になるまでに帰ってきなさいと母に言われていたことを思い出したイアンナは、慌てて立ち上がる。せっかく摘んだ花を飾る時間は残っているだろうか。花籠を抱えて、駆け出そうとして、イアンナはカリムを振り返る。


「またあしたね!」


 大きく手を振って村へ駆けていくイアンナの後ろ姿が見えなくなるまでカリムは愛しそうに見つめていた。



 また明日。の約束が叶うのは、しばらく後のことになる。

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