宵の明星
魔族領土の中央にそびえ立つ魔王が住まう難攻不落の城・アルバ城
眼下には城を囲むように湖があり、背後には深い森が広がる。アルバ城は主に3つの区画からなり、湖に掛かる橋から奥へと続き、アルバ城で従事する侍従や兵士とその家族が暮らす三の郭、貴族の別邸と軍施設がある二の郭、そして、魔王の居城がある一の郭。敷地内が一つの街のようになっている。
一の郭の城門を潜ると、民衆の為の広場があり、その向こうに大鷲が両翼を広げたように左右に広がる居城がそびえ立つ。居城と背後の森の間にはよく手入れされた庭園があった。
その庭園を森に向かってアルバ城の主、魔王カリム・ルシフェルは足早に歩いている。庭園を手入れする精霊や妖精達からの朝の挨拶にひとつひとつ答えながらも、駆け出しそうな勢いであった。
「陛下、おはようございます」
「ああ、おはよう」
いつもなら立ち止まって一言二言会話を楽しむ主君であるため、挨拶だけで通り過ぎていくカリムの後姿に精霊たちは顔を見合わせて首を傾げるばかりだ。
庭園を抜け、森に入った辺りで建物が見えてくる。居城に比べるとかなり質素ではあるが、煉瓦と漆喰のしっかりとした建物だ。カリムはその建物の中へ入る。内部は、机や椅子といった家具もなく、奥に一段高くなっているスペースに大きな水盤があるのみだった。一見、人間の世界の礼拝堂のようであるが、人間の世界のそれが祈りを捧げるだけの物に対して、この場所は、実際に世界の創造主である『大いなる意思』と対話をする為の場所だ。
かつて、大いなる意思はカリムに罰を与え追放はしたが、自身が生み出した子を気にかけていた為、水盤を通して対話をする場所をカリムに作らせていた。
カリムが水盤の前に立つと、水盤の水が波打つ。次第にそれは人の形になっていく。どこかカリムの面影のある人型は、ふわりと笑みを浮かべる。
『お久しぶりですね。ルシファー』
人型が喋っているというより振動のように建物全体から聞こえてくる声だった。呼ばれた名前にカリムは苦笑する。
「その名はあなたが剥奪なさったでしょう?今はカリムですよ」
大いなる意思は不思議そうに首を傾げると、思い出したように笑う。世界の創造主は、昔からどこか子どものような部分があった。
『そうでした。忘れていました。お久しぶりですね、カリム』
大いなる意思のペースに付き合っていると、話が長くなるので、改められた挨拶を無視して本題に入る。
「宵の明星が再び輝きました。イシュタルはどこですか?」
『あなた方を眠りにつかせた時、私は印を刻みました』
印があるのだから居場所はわかるだろう。と言いたいらしい。カリムは首を振って答える。
「いいえ、その印が共鳴しないのです。彼女の魔力すら私には感じない。イシュタルの魂を辿れないのです。彼女はどこですか」
カリムの言葉に、大いなる意思が僅かに 動揺したように見えた。どうやらカリムの言葉は予想外だったらしい。静かに眼を閉じ沈黙する大いなる意思の言葉を辛抱強く待つ。しばらくして瞼を開くと大いなる意思は静かに答えた。
『……イシュタルは、人間に産まれたようです』
「人間に……?」
『人間の子どもは7つになるまで魂が不安定なのです。彼女の力もまだ目覚めていません。印が共鳴しないのも魔力を感じないのも、その為でしょう』
大いなる意思でもわかるのは人間として転生したことだけ、居場所までは特定出来ないらしい。
「あと、7年待て、と?」
大いなる意思は静かに頷く。
カリムが眠りについてから目覚めるまで5万年、そこから今日まで2万年の月日が流れている。魔族にとって7年程度は一瞬ではある。
しかし、よりによって人間として目覚めるとは……。
人間の寿命は長くても100年程度。再び巡り会うことが出来ても共に過ごせる時間は、ほんの僅かな時間だ。
それでも、私は……。
彼女に逢いたい。
拳を握りしめ、俯くカリムを、大いなる意思はどこか憂いを帯びた表情で見つめる。それは一瞬のことで、カリムが顔を上げると既に慈愛の微笑を讃えていた。
カリムが一礼すると、大いなる意思の姿はパシャリと音を立てて崩れる。静かになった水盤をしばらく見つめ彼は対話の館を後にした。
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