第7話 淡い希望
4
四日目、魔物が弱い方向を目指して歩く途中、青いスーパーボールを見つけた。
いや、一瞬スーパーボールに空目しただけで、魔物だった。青い色のスライムだ。こどもの玩具のような生き物は、真球の姿をとったかと思えば、すぐに潰れたような姿になる。森の中で小さく跳ねるように移動している光景は、やっぱりスーパーボールだった。
雷の持つ知識が確かなら、犬や鼠よりも弱い魔物だ。すかさずスライムに近づき、ロッドで殴った。水風船が弾けるような音がして、スライムはおどろくほど呆気なく割れた。
「弱……」
予想以上の手応えのなさに、まじまじとスライムの残骸を見つめてしまった。
透明な膜から、どろりと青い液体がこぼれている。中には石ころようなものが入っていた。これを魔核といい、魔物の心臓にあたる。
魔物によっては美しい魔核を持っていて、そういった魔核を狩ってくるクエストもある。たしか、これがある生き物が魔物と呼ばれているはずだ。ゲーム内のモブが語る情報なので、あやふやな知識だった。
雷は経験値が気になり、手帳をさっと開いた。
今までの戦いで取得した経験値の合計は95になっていた。
(スライム一匹で経験値5……今の俺には、でかい!)
犬と戦う労力とは比べ物にはならないくらい楽に倒せるのに、レベル0の雷にはひじょうに美味しい経験値になる。あと一匹倒せば、レベルアップが可能なのだ。
(スライムを見つけたら、倒そう)
食べ物をや新たなる水場、森の出口を探しがてら、雷はスライムに対しても注意をはらった。
スライムはスーパーボールに見えるくらいに小さく、背の高い草の上にいると見つけにくい。
延々と歩き続け、その後、見つけたのはスライム一匹。犬はいたが、残念ながら群れで行動していた。複数いると、魔法をつかっても安全に対処できる自信がないから、そっとその場を離れた。
スライムは、意気揚々と潰した。武器を使う必要性もなかった。
その日、森の終わりは残念ながら見当たらなかったが、雷は希望を捨てなかった。
魔物の中で、最弱の部類のスライムと会えたということは、きっと人の住処がより近づいてきているのだ。
そして、念願のレベルアップが叶う。
生きる残る可能性が高くなる。一歩づつ進む手応えを、雷は噛みしめた。
5
水場に近い仮宿にしている木のうろに戻らず、歩き回った先の場所にとどまることにした。ここから、遠い場所に戻るのも時間の無駄のように思えたのだ。きっと、出口は近い。そして、ようやくひとが住む場所に向かえるだろう。こんな魔物しかいない森からは、さっさとおさらばしてやる。
渋い果汁を無理やり飲み込み、薬草を食べる。こんな食べれば食べるほどひもじくなる飯もきっと終わりだ。雷はそれだけで胸が熱くなった。
まずい食事をしながら、雷は努力の成果を得るために、手帳を開いた。
どきどきと期待で胸を膨らませながら、取得経験値をタップする。この経験値で、二つあるうちのどちらかがレベルを上げられる。
今の段階ではどちらをあげても得られるものはほとんど変わりないので、とりあえず
そうすると、そのページに描かれた文字が黒いインクが水に滲むように薄くなり、やがて消えた。そして、時間をおかずにあらたに筆記される。
(ファンタジーだなあ)
ここがゲームに似た世界でなければ、ホラーじみた光景でもあった。現代日本で見たら、きっと恐怖で引きつっただろう。雷の神経は非現実に慣れてきていて、すこしだけ麻痺していた。
雷礼央 種族Lv1【
レベルがあがり、能力値が上昇した。
魔力と体力が2増えた。敏捷、精神、防御力、魔法防御が1上がり、攻撃力と器用さは上がらなかった。
胸の中で膨らんだ喜びは、一瞬でしぼんだ。魔法系の構成をしている雷の能力値は、レベルがあがってもやはり頼りなく見えた。
(どっちの職業も物理と魔法の複合職なんだけどな……やっぱり体格がネックで攻撃力は上がりにくいのか? 命に関わる防御力が上がっただけでも、よかったと思うしかないな)
攻撃魔法でも使えれば、ダメージソースの圧倒的足りなさを補ってあまりあったのだが。過去の自分がこんな目にあうなど一切予想するわけないから仕方ないとはいえ、攻撃系の魔法を使えるようにしておけばよかったと雷は後悔した。
なにせ〈
攻撃が主な〈属性魔法〉、
(ないものねだりしていてもどうしようもない、か……覚えてない魔法も、アイテムやクエストで習得できるのかな? いや、今考えるべきはそこじゃないな)
魔力が上がったから、魔法の効果もあがるだろうか。
(回復魔法はいざとなったときの命綱だからな。得意スキルにしているから、レベルも上がりやすいはずだし、回復量も多いはず……でも、性能が高くなるのなら、より高くなったほうがいい)
雷は息を吐いた。
(ひとまずの、目標には到達した。あとは、もういっこの
職業レベルを1から2に上げるには、必要経験値が1000と一気に跳ね上がる。犬とスライムしか倒せない雷には、気が遠くなる数値だ。
また、経験値を100ためる。
(とりあえず明日は、ステータスの違いを実感するとするか。……1くらいの差だと、全く違いがわからないとかじゃあないよな……?)
雷はレベルアップに喜びをいだいのも束の間に、不安を抱えながら目を閉じる。
(でも、そろそろ森の外に出れそうだし、そんなに心配にならなくてもいい、のか……?)
人里についてしまえば、きっとステータスの優劣など気にしなくてもよくなるだろう。
(なら、そこまで気にしなくてもいい、か。まずは、森を出ることを考えて……)
明日のことをつらつらと考えているうちに、一日中歩き回った疲労で雷は眠りに落ちていた。
6
五日目。戦うかどうかは別として、犬と鼠を満遍なく見つけていた気がしたが、犬の数が減ったように感じた。
犬の代わりに、スライムが増えた。雷は、揚々とスライムを四匹潰した。三匹の群れになって襲い掛かられたが、攻撃の仕方はゲーム以上にお粗末だった。その場でぽんぽんと跳ねて、幼児が一生懸命投げたような勢いの体当たりしかできないのだ。通用しない攻撃を一生懸命に続けるその努力に喝采をおくりつつ、スライムには雷の貴重な経験値になってもらった。
それが昼まえの出来事だった。
相変わらずの進まない食事をとる。そして探索を開始して、一匹だけでいる犬をやっと見つけた。
自分がどれだけ強くなったか試す好機だった。防御力を試す気は絶対にないが、体力の確認はできる。2、上がった体力とは一体どの程度の変化なのか。
まずは石を犬に向かって投げる。運良く命中した《
頭の中にある説明書によると、対象の時間を止めているわけではない。使用者の魔力で力づくで対象を縛り付けてあるのだ。
「うっー! うっー!」
だからこうやって声をあげることは可能だ。
犬は牙を剥き出しにして唸っていた。我が身に何がおきたのかわからないが、突然あらわれた雷がその元凶と察することはできたのだろう。
一切身動きがとれないことに焦った顔をしながらも、闘志は消えていなかった。その諦めない強靭な意志を刈り取る、無慈悲な
犬は内臓が潰れて喀血し、死んだ。魔法のせいか、ぐったりと動かずに立ったまま死んでいる。かなり不気味な姿だった。
(うわ、気持ち悪い)
息が上がる疲労感に全身が重く感じるが、体が動かせなくなる極度の体力消費ではなかった。
(動ける……!)
呼吸を整えながらになるが、歩くことは可能そうだ。
無理をしねければならない状況ではないので今は休んでから動くが、何かあったときも以前よりも無茶がきくようになった。
(もう一度レベルをあげて、体力が上がれば今の状態よりもさらに楽になるのか。何かあったときのために、早く上げておきたいな。ひとまずは、スライム潰しだ)
スライムの比ではない速さで体当たり攻撃を数でしかけてくる毒鼠は、まだ相手にしたくない。複数の犬も、まだ怖い。とても楽に安全に倒せるスライムが、一番だ。
7
歩いていると、夕日の差込がやけに強い気がした。
遠くを見ると、木々の生えない原っぱが見えた。
雷は興奮で足を縺れさせながら、急ぎ足で前へ進む。
「道だ……」
森の中に、道がある。
草木を踏みしめただけの獣道なんかではない。
アスファルトを見慣れた雷にはお粗末な舗装に見えたが、砂利を敷かれたそれはまごうことなく人為的に作られたものだった。
前後を見渡しても、森はまだまだ先に続いているようだった。
しかし、この道さえ辿ればきっと森から抜け出すことができるのだ。
じわりと涙が滲んだ。
喜びと安堵で、泣くなんて雷に記憶において初めてのことだった。
道を歩いていれば、誰かと出会えるかもしれない。
この世界の言葉は、なぜか頭に擦り込まれている。それも、見聞きした記憶のない言語がななつも。大陸西部語、大陸中央語、大陸東部後、大陸帝国語、大陸古代語、古代魔法語、大陸交易語。ゲームの舞台となる世界のどんな場所に飛ばされていても、会話に苦労することはないだろう。
ひとと会ったら、会話できる。そうおもうだけで嬉しかった。
雷はずっとさみしさに耐えてきた。
だれかのぬくもりに飢えていた。
誰にも泣きつくことも相談することもできず、自問自答を繰り返し、励まし、戒め、ずっとひとりで彷徨い生きてきた。身につまされるおもいで、頑張ってきたのだ。
雷の二十三年間の経験で、一番長い五日間だった。
ひもじいおもいをしながら、とても食べ物とは思えないものを口にしなくてもきっとよくなる。
人と出会える。
世界にたったひとり取り残されてしまったような、耐えがたい孤独もこれで消えてくれるだろう。雷は人見知りが激しい性質で、ひとりが気楽な性分だったが、だからと言って他人と一切関わりあいたくないわけではないのだ。
だいたい、人っ子ひとりいない場所など、雷には生きていくことが不可能だ。サバイバルの知識もなければ、それをやり遂げる気力もない。ここまで生きることができたのは、いつか人の住む場所に行くという希望があったからだ。
ひとの営みがあり、その端っこにひっかかることで雷は人並みの生活ができるのだ。
命の危険があるごつごつした冷たい地面の上での野宿ではなく、暖かい寝床で眠れるだろう。
やっと生きるための足掛かりを掴めた手応えに、雷は胸にこみ上げてくるものを感じた。
いまだに日本に未練がある。でも、帰れないことはわかっている。雷は、ここで生きるしかない。こんな姿でこんな場所で生きるのは嫌だと、悲嘆にくれて死ぬつもりなんて絶対にない。雷は前に進む。
安定した生活の保証が欲しい。
すくなくとも、まともな飯を食いたい。
これからどうなるか、という不安は胸の中にまだある。
自分がこれから先、どんなふうに過ごすのか。過ごせばいいのか。ふつうの生活ができるのか。わからないことが多すぎて、少し先のことの想像すらできない。
しかし、それを上回る「少なとくとも今よりは絶対にましになる」という希望が、雷の足を動かしていた。
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