レンタルおじさん

いすぱる

第1話 夢


 信じて貰えないかもしれないけど、俺は売れっ子だ。

 いきなり売れっ子と言われても意味不明だろう。

 慌てない、慌てない、今から説明をするからさ。


 俺の名は中山英吉、51歳。どこにでもいる普通のおやじだ。

 なのに売れっ子? そう、肝心なのは職業だ。俺の仕事は…… レンタルおじさんだ。


 えっ、どこにでもいる普通のおやじを誰がレンタルするって?

 あぁ、そうなんだよ。俺も最初は同じように考えてたよ。

 言っちゃ悪いが、身銭切っておやじをレンタルするなんて、そんな変わり者がこの世にいるのかねって話だ。

 しかし、これが意外と忙しい商売でさ、その中でも俺は売れっ子っていう訳さ。リピーターや新規の客からの指名も多く、会社で1番人気。まるで歌舞伎町のNo1ホスト様だよ…… なんてな。


 だげどさ、何度も説明している通り、俺は普通のおじさんだ。

 高級スーツを着こなし、オールバックにしてブランデーとハマキが似合う渋いニヒルなおやじでもない。どちらかというとブサメンさ。


 今からあるお客さんの話をしよう。

 俺はあの子のことを一生忘れはしない。

 あれは、俺がレンタルおじさんを始めて3年ぐらいの、確か9月9日だった。

 そのお客様は18歳の女子高生。

 え? 女子高生がおじさんをレンタルするはずないって!?

 まぁ、俺だってあり得ない話だと思ったさ、実際会うまではね。




「プルルルー、プルルルー」


「はい」

 

「中山さん、お仕事の依頼ですよ」


「はい、ありがとうございます」


「明後日の17時に池袋西口のマスタードーナッツ店内で待ち合わせになります」


「はい、分かりました」


「お客様のお名前は山原加奈子さん、歳は18歳」


 ……18歳!? おいおい本当かよ?


「はい。あの……」


「はい、なんでしょうか?」


「お客様は18歳ですか?」


 俺は聞き間違いではないかと確認した。


「そうです。中山さんなら大丈夫だと思いますけど、間違いのないようお願いしますね」


「も、勿論です、はい!」


「料金は、直接お受け取り下さい」


「は、はい」


 18歳の女の子から直接お金を受け取る……  なんだか、会う前から気が引けてしまう。



 

 当日、俺は何を着て行こうか迷っていた。


 ……あまり若作りする必要ないよな。別にデートをするわけでも無いし。


 俺は普段通りのオヤジ服を着て池袋に向かった。

 

 実は、正直に言うと池袋はあまり好きな街ではない。その理由は、若者が多すぎるからだ。特に中高生ぐらいの若者が沢山歩いている、それが俺にとっての池袋のイメージさ。俺には眩し過ぎる街だ。


 時刻は16時30分。


 確かこの辺りだったような…… あった。


 ガラス張りのビルでなかなかおしゃれな店だ。だけど、俺の苦手な眩しい若者が沢山店内にいるのが見える。

 入りたくないけど、これも仕事だ。仕方ない。


 俺は店内に入りコーヒーを注文し、適当に席に着いた。

 

 本来、交通費や食事代はお客さん持ちだが、このコーヒーぐらい自分で出すさ。今日のお客さんは今までのお客さんとは訳が違う。相手は18歳の女の子だ。

 

 周囲の賑やかな会話が嫌でも耳に入って来るので、携帯電話をいじって時間を潰す。


 うん、もう17時になる。

 

 顔を上げ店内を見回してみると、一人の美少女が目に飛び込んできた。ちょうどその少女も振り返り、俺を見ている。


 一度見ると目を離すことが出来ない魅力的な大きな瞳、店内の照明を反射し美しくなびく髪…… そして、まるで神がその子の為だけに創り出したかの様なミニスカートの制服を、完璧に着こなしている。


 こっちを見ているけど、ま、まさかあの子じゃないだろうな……


 あまりの魅力に呆けていると、少女は俺に笑顔で話しかけて来た。


「あの~、中山さんでしょうか?」


「……は、はぃ。な、中山です」


「やっぱり~」


 そう言うと、更に笑顔になる少女。

 

 見た目だけじゃない、なんと声まで美しい。


「良かった、画像で見たままの優しそうなおじさんで、うふ」


 ……うふだって。これほど「うふ」が似合う子を俺は、見た事が無い。


 はっきり言って男が「うふ」と言っても気持ち悪いだけだ!

 いわば、「うふ」は女性だけに許された特権のような言葉だ。


 今思えば、この時の彼女の「うふ」は俺の心の何かを破壊していたのだ。


 彼女は俺と同じテーブルに椅子を引いて座った。


「私、こういうの初めてで、システムを教えていただけますか?」 


 丁寧な話し方だ……


「あっ…… はい。えーと…… りょ、料金は1時間2千円になります。移動の為の交通費や私の足代、飲食代はお客様の負担となります。私の池袋からの帰りの足代は最大でも千円の負担で、それ以上はかかりません」


「うんうん」


 テーブルに両肘をつき、手に顎を載せ、俺を真っ直ぐに見つめ、笑顔で説明を聞いている。


 やばい、精神がおかしくなってしまいそうだ!

 

「え、え~と、今日はどのくらいのお時間をご予定ですか?」


「そうですね~、適当でお願いします」


「て、適当……」


「はい、とりあえず外に出ましょう。あっ、コーヒーおいくらでしたか?」


「いえいえいえ、これは俺が個人的に注文したものなので、けっこうです!」


「うふふ、分かりました」


 マスタードーナッツから外に出ると、通りは沢山の人でにぎわっている。


 俺はその子の少し後ろを歩き、何処に行くかも分からず、情けなくただ後をついて行く。


「中山さん」


「は、はい」


「隣に来て歩いてくれますか?」


「はい」


 俺は彼女との間を1mぐらい開け、隣に並び歩き始めた。

 すると、彼女は笑みを浮かべ俺との距離を詰めてくるではないか!?

 そして、そのきゃしゃな肩と俺の汚らしい腕がぶつかる。

 

 ちっ、近いよこれは。


 ……わざとじゃないんだ、本当なんだよ信じてくれ。これだけ近いと自然とこの子の匂いを感じてしまう。


 な、何て良い匂い。これは、作られた匂いではない。まるで、自然に咲いている花のような匂い……


 まずいぞ、顔が熱っぽい…… それに動悸を感じる。

 おかしい、何か変だぞ!? 俺はロリコンではないはずだ!

 なのに、なのにどうしてこんなにもドキドキしているんだ?

 いや、答えは既に分かっている。この子が、特別スペシャルなのだ!


「あそこの店に入りましょう」


「は、はい!」


 硬い返事をした俺を見て、彼女は俯いた。


「……うーんと、キャラ指定できるのかな?」


 首を傾げながら問いかけて来た。


「と、申しますと?」

 

「ん~、その話し方~。硬いよ~、もう少し柔らかいキャラがいいかな~」


「わ、分かりました」


「ほら~、だからーそれ、それだって」


「すみま…… 分かったよ」

 

「うんうん、そんな感じ。そうそう」


 入った店はアクセサリーショップのようだ。

 彼女はおもむろにピアスを手に取り、耳にあてるような仕草をして似合うか聞いてくる。


「ねっねっ、これ似合う?」


「うん、いいね。似合ってるよ」


 そう言うと満足そうな表情を浮かべ、別のピアスを手に取り同じ仕草をした。


「これは?」


「似合う似合う!」


「じゃあ~、これは?」


「うん、似合ってるよ」


 彼女の流れるような動きが止まる。


「もぅ~、似合うしか言わないじゃん!」


 そう言うとほっぺをぷくっと膨らませた。


 ……これはもしかすると、俺の方が料金を支払うようになるのでは!?

 それほど楽しくて魅力的な時間だ。


「……ごめん」


「うふ、ゆるしてあーげる」


 そう言うと、次は指輪を手に取り指に通し始めた。

 その指は左手の薬指……


 掌をくるくるさせて表からも裏からも確認をした後、俺に見せる。


「ねっねっ、どう?」


「うん、にあっ…… まぁまぁかな~」


「まぁまぁかぁ…… じゃあこっちは?」


「それも~うん。まぁまぁかな~」


「……まさか今度はまぁまぁしか言わないつもりじゃないよね?」


「うっ……」


「うふ…… ぷっぷぷぷぅ~」


 彼女は困っている俺を見て吹き出してしまった。


「あ、あははははは」


 誤魔化すかのように、俺も一緒になって笑う。


 その様子を店員が不思議そうに見ていた。

 店員の視線に気づいたからなのか、彼女は店を出ようとする。


「別の店にも行こう、お父さん」


 その時、彼女は自然に俺の事をお父さんと呼んだ。

 そうだよね、こんな若い子がレンタルおじさんを呼ぶ理由は限られている。

 実は、ある程度の予想はしていた。恐らく彼女は、父親を知らずに育ったのだ。そして、俺をレンタルしてお父さんに見立てて、買い物を楽しみたかったのだろう。


 よし、探り探りだけど、彼女の理想のお父さんを演じてみよう。


「ちょっと待ってよ加奈子~。お父さんそんなに早く歩けないよ」


「もぅ~、グズなんだからいっつも~」


 どうやら俺も自然に言えたようだ。彼女の返した言葉に違和感など微塵も無い。


「どこいくんだい次は?」


「ん~、駅抜けて~ドンキ行こう。その後行く所も決めてあるよ~」


 ドンキホーテか……


「よし、付き合ってあげよう」


「なに~、その上からの言い方~。娘がデートしてあげているのに~」


「あはははは、ごめんごめん。いや~、たまには娘とのデートもいいもんだ~」

 

「お父さんがどうしてもっていうなら毎日してあげてもいいんだからねっ」


「では、お願いします! 毎日デートして下さい」


 俺は即答した。


「あはははは、やだ~、何本気にしてるのよお父さん。キモい~」


「キモかったか、ごめーん」


 俺達の会話が聞こえてたのだろうか、時折すれ違う人と目が合う。

 女性は仲の良い親子ねって感じの視線を向けてくる。

 言っちゃ悪いが、冴えないサラリーマン風の男達は、明らかに俺に敵意を持った視線を向けてきていた。


 まぁしかたない、こんな美少女と一緒に歩いているオヤジを好意的に見られる訳がないよな。


「ドンキ~ドンキ~私のドンキ~」


「何その歌? ⅭⅯか何かの曲?」


「私のオリジナル、今作っちゃった」


「何だよそれ~」


「うふふ~」


 かなり上機嫌なのだろう。作った歌を口ずさむなんて、彼女の今の心を表している。

 

 ドンキに到着して中に入ると、そこはまるで違う世界に来たかのようだ。

 様々な品物が高く積み上げられており、そのディスプレイは脳を歓喜させる!

 

 むむむ、何か買いたくなってしまうなこれは。


「こっちこっち」


 彼女に連れられて行った先は、コスプレコーナーだった。


「ねっねっ、私はどれが似合うかな? 選んで選んで」


 正直、君に似合わない服なんて無いだろう。服の方が君に合わせてくれるさ。それほどの美人だ。

 俺は心でそう呟いた。


「う~ん」


 決めきれない俺に業を煮やしたのか、彼女は自分で選びだす。


「これなんてどうかな?」


 彼女が手にしたのは、かなり攻めたミニスカ、へそ出しのメイド衣装…… はっきり言ってそんな服を着てしまうと、下着は見えっぱなしになってしまう。


「だ、だ、駄目でしょう! 下着見えちゃうよ」


 正直個人的には駄目では無いが、父親としては駄目だ!


「お父さん頭固い~。下着ぐらい見えても可愛ければいいの~」


「固いとかそういう問題じゃない。駄目なものは駄目」


「う~、はーい」


 あ、諦めちゃうのか…… いや、これは仕事だ。馬鹿な事を考えるな俺。


「じゃあ、お父さんはこれかな?」


 そう言って手に取ったのはスーパーマリオの衣装……


「お、俺? いや、お父さんはこれが似合うの?」


「あははははは、何挙動不審になってるの~、絶対似合うって~」


「そっかなぁ~」

 

 彼女はその衣装を買い物かごに入れた。値段を見てみると5千円弱……


「じゃあ私はこれね~」


 そう言い、続いて買い物かごに入れたのは、ルイージの女子用のコスプレ服で、下はズボンではなくヒラヒラしたミニスカートだ。

 

 ん~、さっきのよりは長いけど、これでも十分短いような……


 あれ? 買い物かごに両方入れたって事は買うつもりだよな?

 いったいどこで着替えるつもりだ?


 その時、俺の目にアダルトコーナーの入り口が飛び込んできた。

 ま、ま、まさかこの後行くところって!? 俺は会社の人との電話を思い出していた。


「中山さんなら大丈夫だと思いますけど、間違いのないようお願いしますね」


 そうだ、これは駄目だ、駄目だ、駄目に決まっている!

 これはハッキリと断るぞ! 絶対にだ、絶対に断るぞ。心の準備を万端にしておくんだ!


「ん~、コスプレの服だけでいいかな~。じゃあこの後……」


 きた!


「加奈子、駄目だ! それは絶対に駄目です!」


「カラオケに行こう! って何? 急に大きな声出しちゃって!? カラオケ嫌いなの?」


 へっ…… カ、カラオケ?


 彼女は一瞬アダルトコーナーの方に目をやった。


「あれれ、まさか変なこと想像してたんじゃないよね~」


 うっ、してました。が、してません!


「お父さんに馬鹿な事を言うんじゃないよ。冗談で被せただけだってぇ~」


「ふ~ん…… まぁ意味わかんないけど、そういう事にしておいてあげる。早く会計してカラオケ行こう」


「そ、そうだね」


 はぁ~、あぶねー。全てぶち壊しになる所だった。俺の早とちりめ!


 この直ぐ後、仕事の中で、俺の一番嫌いな時間がやって来た。それは……


「2点で10756円になります」


「はーい。Suicaでお願いします」


 そう、支払いだ。今回は特に嫌な時間だ。相手は18歳、制服を着ているから多分女子高生だ。

 いくらルールとはいえ、女子高生にお金を出させるなんて、とてつもなく胸が痛む。

 恐らく父親の居ないこの子は、経済的にどうなのだろう…… バイトを頑張って貯めたお金ではないのだろうか……


「お父さん、こっちだよ」


「ん、あー。はい」


「なにボーっとしちゃってぇ」


「あ~、ちょっと考え事しててね。ごめんごめん」


「早くカラオケ行こう」


「あぁ、行こう行こう! あっ、荷物は持つよ。貸して」


 彼女は「フフ」っと笑って荷物を俺に差し出した。


 俺に出来る事は、今日この子のお父さん役を完璧に演じる。それだけだ!



 カラオケボックスに着くと、彼女が予約をしていたようで直ぐに部屋に入れた。

 彼女は何か歌を口ずさみながら、さっき買ったコスプレの服を取り出している。


 そういえば、何処で着替えるのかな? この部屋じゃないよな、多分トイレだ!


「じゃあ、私トイレ行って着替えてくるね~」


「あぁ~、行っトイレ~」


「やだ~、オヤジギャグ~」


「お便器でぇ~」


「なに~、まだ続きがあったの? あはははは、やめてもぅ~。笑っちゃったじゃん」


 フフフ、トイレだと見越し頭の中に用意していたのだ。


「お父さんはここで着替えててね」


「分かった、お父さんも着替えておくからね~」


「じゃあね~」


 彼女はコスプレの服を持ち、トイレへ向かった。


 さて、俺も着替えるかな。って要望とはいえ、マリオのコスプレ…… どうせならさ。


 俺は部屋を出て階段を使い、1階のフロントに大急ぎで走った!

 下りはエレベーターより、階段が早い。


「すみません、サインペンありますか!?」


「あ、はい。ありますよ。黒でいいですか?」


「はい、貸していただけますか?」


「えぇ、どうぞ」


 俺は借りたサインペンを持って1階のトイレに走った。

 因みに彼女は、部屋のある5階のトイレに行っているはずだ。

 急げ急げ! 彼女の方が先に部屋に戻ってしまうぞ。


 トイレに着くと俺は鏡の前に立ち、素早くサインペンでひげを描いた。


 たしかマリオってこんな感じの髭だったよな。


 よし、出来た!


 俺は再び1階のフロントに走り、サインペンを返却した。


「これ、サインペンありがとうございました」


「いい…… え……」


 店員は俺の顔を見て、言葉を失っていた。


 急げ急げ! エレベーターを誰か使っていたのか!? なかなか降りてこない。仕方ない、上りも階段だ!


 俺は階段を5階まで一気に駆け上った! ハァハァハァ、キツイな~。

 いや、あの子を笑顔にさせるためだ。これぐらい何ともない!

 そうだろ!?


 部屋に戻るとまだ彼女は戻っていない。


 よし、間に合った!

 直ぐに着替えよう。 

 俺は袋からコスプレ服を取り出そうとしたが上手くいかない。 

 えーい、破いてしまえ!


 袋を破き強引に服を取り出す!

 さっき走りながらベルトは外しておいたので、ズボンは直ぐに脱げた。


 よーし、着替え終わったぞ。

 あとは破いた袋を片付けてって…… なんだこれ?


 床に黒く長い物が落ちていたので、俺は拾い上げて見てみる。

 それは、付け髭だった。


 あ…… そう~、髭ついていたんだね~。わざわざ描かなくて良かったのか……

 微妙な感情に浸っている場合ではない。俺は付け髭も装着して、モニターの画面で描いた髭が見えないか確認してみた。

 

 うん、大丈夫だ。これなら描いた髭は見えない。


 その直後、ドアが開く。


「どう、似合う?」 


 何度でも言うが、この子に似合わない服などこの世に存在しないだろう。


「すご~~~く、似合ってる!」


「本当? 可愛い?」


「あぁ、さすが俺の自慢の娘だ。可愛い!」


「やったぁ~」


 そう言うと、彼女は微笑んでいた。


「お父さんの方はどうだい? 似合っているかい?」


「うーーん、微妙?」


「びっ、微妙って!? 似合ってるよね? ほら見てごらん」


 そう言って俺は右手で握りこぶしを作り、マリオジャンプをしてみる。

 そして、掌に仕込んでいた小銭をジャンプした時にバラまいた。


「プッププ。もぅ~、そんな芸いらないから~。小銭握りしめて私を待ってたの~?」


「握りしめてなんかないよ、空中のブロックから落ちてきたんだって」


「もぅいいからそんなの~、あははははは」


 良かった、笑ってくれている。


「何か歌おうお父さん」


 ……はっきり言って俺は歌に自信が無い。早い話が音痴だ。


「加奈子の歌を聞きたいな~。好きなの歌ってよ」


「そう? じゃあ娘の美声を聞かせてあげる~」


 彼女は慣れた手つきで曲を入力し、直ぐに曲が流れ始める。

 ん~、当然だけど知らない曲だ。


「誰の曲?」


「これはボカロの曲だよ」


 ボカロ? バンドの名前かな…… 


 そう考えていると、彼女が歌いだす。



 こ、これは。な、な、なんという美声! しかも上手過ぎじゃないのか!?


 俺は、盛り上げる為に、変なダンスでも踊って笑わそうと考えていたが、無言で聴き入ってしまう。

 それほど圧倒的な歌唱力だったのだ。


 この子、いったい何者なんだ…… 


「どうだった?」


「い、いや……」


「あまり上手じゃなかったかな……」


「ぎゃ、逆だよ。上手すぎてお父さん声を失っていたよ」


「本当~? 嬉しい」


 そう、このリアクションは演技ではない。本当の気持ちだ。


「お父さんも何か歌って? お父さんが若い時に好きだった曲を聞きたいな」


 カラオケが苦手な俺でも、こういう時の為に3曲ぐらいは必至で練習して、最低限人前で歌えるぐらいになっている持ち曲がある。

 

「じゃあ、これを」


「きゃぁ~、お父さんの歌声が聞けるのね~」


 彼女は歓声を上げた。


 リラックスだリラックス。前の会社に居た歌の上手い人に教えて貰っただろ。変に力を入れず、リラックスして歌うんだ。


 入力した曲のイントロが流れ始め、俺は歌いだす。


 彼女はモニターではなく、俺を優しい微笑みで見つめている。

 その時、俺は改めて気づかされた。

 

 そう、今日の俺は彼女のお父さん。彼女が求めているのは歌の上手さじゃない、このシチュエーションなのだ。


 そう思うと自然と力が抜け、上手に歌えたような気がした。


「お父さんも上手じゃん」


「でしょ~? だってね~」


「だって?」


「加奈子のお父さんだからね!」


 ちょっとベタ過ぎたかな……


「あははは、流石私のお父さん。分かってる~」


 ホッ、良かった。


 それから交互に2曲ずつ歌ったが、俺の持ち曲はここで打ち止めだ。

 彼女の歌う曲は、俺には1曲も分からない。だけど、その美声を、心から楽しんでいた。


「お父さん次は何を歌うの?」 


「あははは、何しようかな?」


 俺は、曲を探しているふりをしながら彼女に質問をした。


「ねぇねぇ」


「ん~、なに~?」


「加奈子はもしかして歌手を目指しているのかな?」


「う~ん、それも考えた事あるけど、私は看護師になりたいの」


「看護師?」


「うん」


 白衣の天使を目指しているのは決して悪いことではなく、むしろ良いことだと思う。

 俺は3年前に入院しており、その時の経験から、お医者さんや看護師さんには心から感謝している。 


 なので、この子が看護師になりたい気持ちに反対する気など当然微塵も無い。しかし、会ってまだ数時間だが、この子の魅力が嫌と言うほど伝わってきている。

 そう、彼女が望めば、何にでもなれるだろう。

 それなのに、あえて看護師になりたいというのは、たぶん子供の頃からの夢なのかな……


「小さい頃ね、お父さんが入院しててね」


 勿論このお父さんというのは俺ではない。彼女の実父の話だろう。


「動けないお父さんを、看護師さんが最後まで沢山お世話してくれて」


「……」


「その時からいつか私も看護師さんになって、お父さんみたいな人を助けたいって思うようになってね」


「……そっかぁ」


 馬鹿な質問をしたもんだ…… 結果悲しい過去を思い出させてしまった。


「同じようなことを経験している人が、私のクラスにもいるの」


「クラス?」


「うん、今の学校は看護科だよ。高校はもうすぐ卒業だけど、そのあと看護専攻科が、まだ2年あるけどね」


「……加奈子はえらいな。しっかりとした目標を持って人生を歩んでいるんだね」


 それに比べてこの俺ときたら……


「あははは、何だか恥ずかしいなぁ~。次はお父さんの番だよ、何か歌ってよ~」


「ん~、そうだね。うーん、ねぇ、加奈子にお願いがあるんだけどいいかな?」


「なになに?」


「昔お父さんが好きだった曲を歌って欲しいんだ」


「あ~、私の知っている曲なら良いけどね~」



 こんな冴えない俺にも、片思いの一つぐらいある。


 その女性が好きだった曲……



「明日への願いって曲なんだけど」


「あ~、知ってるよ~。だってお母さんも好きだもんその曲!」


 そう言うとさっそく彼女は曲を入力する……


 直ぐに音楽が流れ始め、マイクを手に取り歌い始める。


「何気のない、言葉一つから、生み出されてゆくメロディ~」


 何てことだ…… 俺の好きな曲を歌っている彼女は、白衣をまとっていなくても、その姿はまさに天使だった。


 何度も聴いたはずなのに、慣れることのない美しい歌声。俺は静かに耳を傾ける。

 まるで、夢のような時間が流れてゆく。


 この時、俺は思った。


 この瞬間が永遠に続けばいいのに…… と。


「ねぇ、どうだった?」


「はぁ…… なんて、なんて言えばいいんだろう……」


「えっ!? お父さん泣いているの?」


「あっ、ごめん。あまりも美しい歌声だったから…… つい、知らない間に涙が零れて……」


 彼女はフッと笑った後、俺を思いやるような表情に変わる。

 

「泣かないでよ~。今日は楽しく遊ぼうよー」


「そ、そうだよね。ごめんごめん」


 俺は服の裾で涙を拭った。


「ちょっと待ってて、お手拭き持ってくるね。あとついでに飲み物も」


「あー、待って。俺が行くよ。ねっ! お父さんにやらせて」


「ん~、分かった。ここで待ってるね」


「あぁ、直ぐ取って来るよ。飲み物は何が良い?」


「じゃあオレンジジュース」


「直ぐに行ってくるよ」


 俺は部屋を出てドリンクバーに向かう。

 何故俺が自分で行くと言い出したかというと、これ以上彼女のお世話になるのは、申し訳ないと思ったからだ。

 

 果たして俺の父親役は、彼女の心を満たせているのだろうか……

 そう思うと、これ以上彼女に何かをしてもらうのは、間違っているような気がしたんだ。


 ドリンクバーに着くと、まずお手拭きを取り、それで涙をぬぐった。


 さて、あとは部屋で使うお手拭きを二つと、確かオレンジジュースって言ってたな…… 俺もオレンジジュースでいいか……


 その時、他の部屋のお客さんがジュースを取りにやって来た。若い女性二人組だ。


 ……ん? いやに俺を見てくるなこの人達? どうしたんだ……


 あっ!? 俺、今スーパーマリオのコスプレしているんだった!


 二人の女性は、まるで不審者でも見るかのような目付きで、俺を見ている。


「あ…… すみません…… すみません」


 俺は女性たちに謝りながら、オレンジジュースを持って急ぎ部屋に戻る。


 その一部始終を加奈子に話すと「なんで謝ってるのよ?」と言い、ソファに倒れ込みミニスカートを履いた脚をバタバタさせて爆笑し始めた。


 うっ、パンツが見え…… 駄目だ! 俺は見ないぞ! 


 俺は目を閉じて、顔を背けた。


「あーぁ、もう笑わさないでよ~」


 そう言うと、コップを手に取り飲み始める。


 ふぅ~、俺も喉が渇いてるな。当たり前か、3曲も歌ったし。


 オレンジジュースの入ったコップを手に取って飲もうとした時、加奈子が口を開いた。


「お父さん、そのままだと髭に付いちゃうよ」


「あっ、そうだね」


 俺は付け髭を外した瞬間、加奈子の飲んでいたオレンジジュースが俺の顔に飛んできた。


「ブッーー! ゴホッ、ゴホッ、何それー!?」


 俺にオレンジジュースを吹きかけ、さっきと同じようにソファで笑い転げている。


「お髭外したら、あはははは、新しいお髭がぁ、あははははは」


 あっ! 忘れていた!? サインペンで描いた髭か!


 加奈子は笑いながら、お手拭きで俺の顔を拭き始める。


「ごめん、ごめん。けどお父さんが、あははは、悪いんだからねっ」


「いや~、すまん。正直忘れていたんだ」


「もぅ~、何で描いたの?」


「フロントでサインペン借りて描いた」


「私が着替えている間に?」


「う、うん」


「もしかして、描いた後に付け髭を見つけたの?」


「そ、そう……」


 彼女は再び爆笑し始める。


 そして、笑い疲れ、ソファに横になっていた彼女が身体を起こす。


「油性でしょこれ?」


「たぶん」


「メイク落とし入ってたかな~」


 彼女は、鞄の中からメイク落としシートなるものを出してきた。


「これで落ちるかな?」


 俺に近づいてきて、丁寧に拭き取ってくれている。


「あっ、落ちてる落ちてる」


 流石に距離が近くて、これは恥ずかしい。


「自分でやるから、貸して」


 だが、そんな俺の要求を、彼女は拒否した。


「いいから、動かないで」


「は、はい」


 この後、サインペンを落とすのに、かなりの時間を要してしまった。


「やっと落ちた」


「すみません」


 大変な作業だったのに、彼女は微笑んでいる。


「あー、もう時間だぁ。着替えて次のとこへ行こう」


「う、うん。分かった」


「私トイレで着替えてくるね~」


「か、加奈子」


「なに~?」


「ここで着替えたらいいよ。お父さんはトイレ行ってくるからさ」


 彼女は微妙な表情を浮かべ、直ぐに返答をしない。


「……あのね」


「うん?」


「カラオケボックスって、部屋に防犯カメラあるんだよね~。だからトイレ行ってきます」


 ……知らなかった。ということは、俺の着替えは見られていたのか?


 まぁ、こんな小汚いおやじの着替えを好んで見たい人もいないだろう。逆に申し訳ないと思いながら防犯カメラのある部屋で再び着替えをした。


 彼女も着替えを終え直ぐに戻って来て、二人で部屋を出てエレベーターに乗り、1階のフロントに向かう。


 ……さて、また俺の嫌いな時間が来てしまった。

 お父さん役でありながら支払いは娘がするって、本当に辛い時間だ。


「待っててね」


 そう言うと、彼女はフロントに小走りで向かった。


「おいくらになりますか?」


「はい、少しお待ちくださいね」


 俺はこの日、初めてルールを破った。


「すみません、支払いは俺がします」


「はーい、えーと2千円になります」


 店員は何の違和感もなく、俺に値段を伝えてきた。


「えっ、けど……」


 彼女は驚いていたが、少し微笑んでサイフを鞄にしまう。


 会計を終え、二人で外に出ると、辺りは既に暗くなっていた。


 時刻は19時半。

 

「いいのかな?」


「ん、何が?」


「私が払わなくて……」


 申し訳なさそうに彼女がそう呟いた。


「いいの。さぁ、次は何処行く?」


「……西遅百貨店!」


「直ぐ近くだね、行こうか」


「うん!」


 元気の良い返事をした彼女は、俺の左腕にしがみ付いてきた。

 周囲には、彼女と同世代の子達が沢山いる。こんなおやじと腕を組んで歩いていて、気にならないのだろうか…… 

 そんな心配とは裏腹に、彼女はずっと笑顔だ。


 西遅百貨店に着くと、二人で色々な物を見て回る。

 今日は1日楽しかったが、百貨店でのウィンドウショッピングも本当に楽しかった。


 プリクラを見つけた彼女は、興奮気味に一緒に撮ろうと言ってくる。


「なんじゃこれ、俺の目でっかぁ」


「あはははは、お父さん可愛い~」


「う~ん」


「あはははは」


 プリクラをハサミで切り、半分を俺に渡してきた。


「はい、あげる」


「ありがとう」


「大切にしてね」


 当然だ。我が家の家宝のように扱うよ。


「うん、勿論」


 その後も百貨店の全ての階数を巡り歩く。

 そして、食器売り場を回っている時だった。


 あっ、このロックグラスかっこいいな~。これでお酒飲むと美味しいだろうな~。


「どうしたのお父さん?」


「ん? いやね、このロックグラスかっこいいなって思ってね」


「ふうん。お酒飲むんだ?」


「少しね。家でちびちび飲んでます」


「そうなんだ。飲み過ぎは駄目ですよお父さん」


「はい、了解です」


「うふふふ」 「あはははは」


 何の他愛もない会話だった。少なくとも、この時の俺はそう思っていた。


 時刻は20時40分になり、彼女は、俺のレンタルは21時までだと告げて来た。

 

 二人で歩いて池袋駅へ向かう。


 その間も彼女は俺の腕にしがみ付き、お父さんと時折呼ぶ。

 

 そして時刻は21時。お互いの魔法が解ける時間だ……


「あのー、これ」


 彼女はそう言い、1枚の封筒を渡してきた。

 中身は当然、今日の4時間分の料金8千円。

 用意していたと言う事は、たぶん最初から21時までと決めていたのだろう。


 俺は言葉が出ず、無言でうなずき受け取った。


「ここからの交通費はおいくらでしょうか?」


「あ~、俺、家が近くてね、ここまで歩いてきたから交通費は要らないよ」


 嘘をついた。本当の最寄り駅は、京急本線大森町だ。


 Suicaを当て、改札をくぐりホームへと向かう彼女。


 俺はその後姿うしろすがたが見えなくなるまで見送っていた。


 彼女は最後に振り返り、「またね」と口が動いているように見えた。


 

 またね…… か…… 



 正直、彼女とは会いたいようで会いたくない。

 俺はレンタルおじさんだ。俺に会う為には彼女はまた支払いをする必要がある。果たして俺はその価値に見合っているのだろうか……


 この日、俺は深い罪悪感を感じていた。



 それから1週間。



 今日は何の依頼も入っておらず、俺は暇を持て余し品川の駅ビルを探索していた。


 酒の良いつまみがある総菜屋が多数入っているので、普段からよく利用していたのだ。


 おっ、小アジの南蛮漬け。美味そう。今日のつまみは、これにするか!


 そう思っていた時、携帯電話が鳴る。


 うん? 会社からだ。


「もしもし」


「中山さん?」


「はい」


「実は、急な依頼ですが宜しいでしょうか?」


 どうせ暇していたんだ。急だろうが問題ない。


「はい」


「お客様は山原加奈子さんです。覚えておりますか18歳の」


 加奈子ちゃん……


「勿論覚えております」


「それが変な依頼でして」


「変と申しますと?」」


「山原加奈子ですけど、中山英吉さん、お父さんはいますか? って電話がありまして」


「はい」


「場所は池袋の西遅百貨店のサービスカウンターなのですが、今から直ぐに、出来るだけ早くと言われその後通話が切れてしまいまして…… 直ぐにかけ直したのですが、繋がらなくて」


 ……どういうことだ? 


「あ…… 分かりました。兎に角仕事は受けますので、今から移動します」


「それでは宜しくお願いします」


 ちょうど品川駅に居た俺は山手線に飛び乗る。

 

 俺は…… 電車の中で胸騒ぎがしていた。

 彼女に何かが起こっている。

 だが、その理由が分からず、不安な気持ちでいっぱいだ。


 池袋駅に着き、俺は西遅百貨店まで走る。


 無駄な俺の想像力がこんな時だけフルに働き、様々な可能性を導き出す。


 もしかして、もしかして…… 何か大怪我をしたとかじゃないよな。


 西遅百貨店に着き、案内板を見てサービスカウンターに急ぐ。


 頼む、そこに居てくれ。この前と同じ笑顔で、そこで俺を待っていてくれ、頼む。


 サービスカウンターに到着したが、彼女の姿は無い。

 俺はキョロキョロと、辺りを探す。


 ……いない。


 その時、サービスカウンターのお姉さんと目が合い、俺を見る目が少しおかしいと感じる。


「あの、お客様」


「は、はい?」


「失礼ですが、中山英吉様でございますか?」


「そ、そうです」


 なぜ、初対面のサービスカウンターの人が、俺の名前を知っているんだ?


「ご案内いたしますので、こちらへどうぞ」


 ご案内?


「は…… はい」


 俺は言われるがまま、その人に付いて行く。

 商品が沢山置かれた売り場を抜け、関係者しか入れないドアを通り、誰も居ない廊下を、ただ歩く。

 そこは、華やかな店内とは違い薄暗く、天井にはいくつもの入り乱れた配管が目につく。


 まさか、たったドア1枚隔てた裏側が、このようになっているなど、知る由もない。

 

「こちらでございます」


 そう言うと、女性はドアの前で止まった。


「……はい」


 俺は、一体どこに案内されたのだろう? そして、肝心の加奈子ちゃんは、ここにいるのだろうか?


 案内をしてくれた女性がドアをノックすると、中から男性の声で返事が聞こえる。


「はい」


「中山様をお連れしました」


 女性がそう伝えると、ドアが中から開く。

 すると、案内してくれた女性は、俺に軽く会釈をして、去って行った。


「お入り下さい」


 俺を招き入れたその男性の年齢は、60歳ぐらいだろうか? 何処にでもいる、普通のおじさんに見える。

 部屋に入ると、床を見つめ無言の加奈子ちゃんがパイプ椅子に座っている。


 加奈子ちゃん…… 良かった、怪我とかはしていないようだ。


 彼女の無事な姿を確認して、ほっとした俺は、部屋の奥に気配を感じて目を向ける。

 するとそこには、机に両足を上げ、椅子にふんぞり返って腰掛けている40歳ぐらいの男が居た。


 その男は、俺と目が合うと、睨みつけてきた。


 誰なんだいったい?

 それにしても、なんだこいつの座り方は……


 状況が理解できず呆けていると、俺を招き入れた60歳ぐらいの男性が口を開いた。


「お父さん、約束してください」


 お父さん? 俺の事だよな……


「は、はい」


「暴力はいけませんよ?」


 暴力? いったい何を言っているんだこの人は? 意味が分からない……


「娘さんを怒りたい気持ちは分かりますが、冷静にお話をしましょう。いいですね?」


 よく分からないが、話をするしかない。


「はい」


「では、こちらにお座り下さい」


 言われるがまま、加奈子ちゃんの隣のパイプ椅子に、俺も腰を下ろした。


「実はねお父さん。娘さんが万引きをしまして」


 ま、万引き!? 加奈子ちゃんが万引きをしたって!?


 俺は加奈子ちゃんを見つめた。


 その視線に気づいたのか、加奈子ちゃんは一瞬だけ俺と目を合わすと、直ぐに視線を逸らした。


「奥の方は、商品を万引きされた店の店長さんです」


 そういうことか…… あの横柄な座り方、そして俺を睨みつけて来たのには理由があった。

 

「私はここの警備の佐藤と申します」


「はい、私は中山です」


 この時、俺は軽いパニックを起こし、奇妙な受け応えしかできなかった。


「それでですねお父さん」


 佐藤さんが話を続ける。


「万引きはご存じだと思いますが、犯罪です。立派な窃盗罪です」


「……はい」


 その時、奥に座っていた店長が、突然大きな声を上げた。


「佐藤さん、親も来た事だし、警察に電話して!」


 警察……


 そう言われ、止まっていた俺の出来の悪い脳みそは動き始める。


 俺は、加奈子ちゃんの本当の親ではない。警察に連れていかれれば、そんなことは簡単に分かってしまう。

 そうなれば、当然会社にまで、迷惑をかけることになる。

 どうする!? 正直にこの子の親では無いと、本当の事を告げるべきなのか!?

 

 その時、店長の机に置かれていたグラスが、俺の目に飛び込んでくる。


 あ…… あのグラスは……


 そう、そこに置かれていたグラスは、俺がかっこいいと言っていた、ロックグラスだ。


 加奈子ちゃんは、彼女はあのグラスを万引きしたのだ。


 まさか、俺を喜ばすために…… その為に万引きをしたのか……

 

 俺はレンタルおじさんだ。俺に会う為には、お金が必要だ。

 だからあのロックグラスを買う余裕が無かったのだろう。いや、だからと言って、万引きをするなど言語道断だ。それは間違っている。


 だけど…… だけど、あのグラスをプレゼントされて、喜ぶ俺の顔が見たかったのだろう。 

 その気持ちが強すぎて、馬鹿な行動をしてしまったのではないのか……

 

 いや、待て……

 馬鹿なのは彼女じゃない。

 俺だ! 俺は大馬鹿野郎だ!! 


 本当の親ではないのがバレてしまう? 会社に迷惑がかかる?

 そんな事よりも真っ先に考えないといけないことがあるだろが!

 それは加奈子ちゃんの事だ!

 警察を呼ばれると、加奈子ちゃんはどうなるか考えてみろ。

 彼女はまだ高校生だ。警察を呼ばれれば、当然万引きした事を、学校も知ることになり、最悪退学になってしまうかもしれない。

 そうなると、彼女の看護師になる夢はどうなる?


 こんな何の価値もない馬鹿なおやじのために、彼女の夢がすたれてしまうなど、あって良い訳がない!


「店長さん!」


「……何ですか?」


 俺はパイプ椅子から崩れ落ちる様に、床に両膝をつき土下座をした。


「うちの、うちの娘が、ご迷惑をおかけし申し訳ありません」


 俺の耳に、土下座を見たであろう彼女のすすり泣く声が聞こえた。


「こちらの勝手な都合で申し訳ないのですが、警察に連絡することはお許し願えませんでしょうか。なにとぞ、なにとぞお願いします」


 俺は深く頭を下げ、額を床に押し付けた。

 演技ではない、本気だった。


「ふん! 警察と言われ急に謝る気になったのか?」


 そう、俺はこの部屋に入った時はまだ状況が理解できず、本来なら真っ先に頭を下げないといけないのに、謝罪の一つもせず、さぞかし印象が悪かっただろう。


「責任の全ては親である私にあります。この子はまだ子供で、私の育て方に問題がありました。皆様にご迷惑をおかけしたのは、私です! お願いします。全ての罰を私に。お願いします。どうか、どうかお願いします」


 彼女のすすり泣く声が大きくなっていく。


「……佐藤さん」


 店長が佐藤さんを呼び、小声で何かを話している。

 俺はずっと土下座をしていて、その姿を見る事は出来ない。


 椅子を引く大きな音がした後、ドアが閉まる音も聞こえて来た。恐らく、誰かが部屋から出て行ったのであろう。


 もしかして、警察を呼びに行ったのかもしれない……


 土下座をしたまま、そう不安を感じていた俺に、声がかかる。


「お父さん、頭を上げて座っていただけますか?」


 その声は、佐藤さんの声だった。

 どうやら、部屋を出て行ったのは店長さんのようだ。


 俺は言われるがまま頭を上げて、再びパイプ椅子に座った。

 その隣で、彼女は下を向いてずっと泣いている。

 俺は彼女の丸まった小さな背中に、そっと手を置いた。


 佐藤さんは、俺に1枚の用紙とボールペンを差し出してきた。


「この用紙に、お名前、住所、電話番号を書いて頂けますか?」


「はい」


 正直に本名と住所、電話番号を書いた。


「お父さん、こちらの商品を買い取っていただけますでしょうか?」


 そう言い、彼女が万引きしようとしたロックグラスを俺に見せる。


「はい、します。購入させていただきます」


 売買が成立したら、これは万引きではないということなのであろうか?

 もしかして、俺達は許されたのか?


「お値段は1万3千円になります」


 俺は即座に財布を取り出し、1万3千円ちょうどを佐藤さんに手渡すと、佐藤さんからレシートを渡された。

 

 一応、レシートを用意していたのか……

 

「お嬢さん、ちゃんとお父さんの言う事を聞かないと駄目だよ」


 佐藤さんは、優しく加奈子ちゃんに語りかけた。


 彼女は返事も出来ないほど泣き崩れている。


「では、これで帰っていただいて結構ですので」


「は、はい」


 俺は彼女の手を取り立たせてあげると、俺の手をぎゅっと握り返す。


「……」


 ドアから廊下に出た時に、佐藤さんが話しかけてくる。


「お父さん」


「はい」


「店長さんの態度が悪かったことは、私が代わりに謝罪します。けど、店長さんにもお嬢さんと同じ年頃の娘さんがおりまして、あなたの土下座を見て、他人事では無かったと感じていたと思います」


「……はい。本当に申し訳ありませんでした。店長さんにもお伝え願えますか」


「えぇ、伝えておきます」


「それでは、失礼します」


 俺は佐藤さんに頭を下げ、その場を後にしようとしたが、加奈子ちゃんは動こうとしない。

 俺が手を引っ張ると、ゆっくりと歩き始めた。


 俺達は案内されてきた廊下を、二人で手を繋ぎ店内に戻った。

 途中から彼女は俺を追い抜き、先に歩き始める。そして、俺の手を引っ張り、何処かに連れて行こうとしていた。


 着いた場所は、誰も居ない階段だった。


 彼女はその階段の踊り場で、俺の胸にしがみ付き大声で泣いた。

 あの美しい声とは思えない、しわがれ声で謝る。


「ごめんなさい。うあぁぁぁぁん、ごめんなさーぃ」


 その時、俺は大きく深呼吸をして天井を見つめていた。


 泣き喚く加奈子ちゃんを、優しく抱きしめたかったが、俺は…… そうしなかった。

 

 その代わり彼女の頭に手を置き、二度三度と、ゆっくりと手を動かし、頭を優しく撫でてあげた。


 彼女が泣き止むまで、いったいどれぐらいの時間だったのかは、はっきりと覚えていない。


 泣き止んだ彼女の背中に手を回し、俺達はあの日の様に、池袋駅まで歩く。


 彼女は駅に着くと鞄から財布を取り出し、入っているだけのお札を俺に渡そうとしてきた。


「これは受け取れない。今日のことは、俺は何も気にしていないよ。今ある気持ちは、今回の事が許されて、加奈子の夢の障害にならなくて本当に良かった。ただそれだけなんだよ」


 彼女はその言葉を聞くと、大きな瞳がまた涙でいっぱいになってゆく。

 

 その零れ落ちそうな涙を俺に見せまいと、Suicaを改札に当て、この前と同じようにホームへ向かってゆく。


 ただ、前回と違うのは、彼女は一度も振り返りはしなかった。

 そして、直ぐに人込みの中に消えてしまい、姿が見えなくなる。


 その後も俺は、しばらくそこで彼女を探していた。

 もしかしたら、戻って来るのではないかと、そう思っていたからだ。

 その時に俺が居なければ、彼女はショックを受けるのではないか、そう考えるとその場から一歩も動くことが出来なかった。


 長い時間立ち尽くしていた俺は、会社からの電話で我に返る。


 

「はい」


「中山さん、依頼主さんとはお会いできましたか?」


「あ、すみません連絡もせずに。はい、お会いしてちょうど今別れた所で、2時間分の料金と交通費を頂いておりますので、ちょうどそちらの方面に用事がありますから、会社に寄ってお渡ししますね」


「分かりました。お待ちしております」


 俺は大きなため息を一つついた。


「ふぅ~」



 彼女は何故俺をあの場に呼んだのだろう……


 母親や学校に知られたくなくて、都合よく俺を呼んで解決したかったのかもしれない。


 いや、彼女とは一度しか会っていないが、俺を本当の父親のように感じていたからこそ、俺をあの場に呼んだ。そうに決まっている…… そう信じたい…… 



 俺は…… 再び彼女に会いたかった。


 だが、彼女からの依頼が入る事は、二度となかった。




 あれから4年後……


 ふぅ~、最近飲みすぎたかな~。  


 あのお気に入りのグラスで飲む酒は本当に美味い。だけど、美味いからこそ飲み過ぎるのが欠点だな。 


 ここ最近体調を崩し、俺と同じレンタルおじさんのアントニオさんから紹介された病院に足を運んでみた。 


「中山さ~ん、お入りください」


 どうやらやっと俺の順番が来たみたいだ。人気の病院らしくて、かなり待たされたよ。


「どうも初めまして」


 医者が俺に挨拶をする。


 感じの良い人だな……


「初めまして、中山です」


「今日はどうされました?」


「ちょっと最近飲み過ぎたのかな、身体が重くてずっと疲れが取れなくて……」 


「う~ん、そうですか。では、服を捲ってくれますか?」


 医者は俺の胸に聴診器を当てる。


「大きく息を吸って~、吐いて~」


「すうぅぅぅ、はぁぁぁぁぁ」


「はい、後ろを向いてください」


 椅子を回転させて、後ろを向く。


「はい、いいですよ~。とりあえず胸の音は悪くないです。う~ん、採血をしましょう。血液検査の結果が出てから、またお話をしましょう。宜しいでしょうか?」


「はい。それでお願いします」


「では、隣の部屋で採血をして下さい」


「はい」


 俺は立ち上がり、医者に軽く会釈をして隣の部屋に移動した。


 テーブルのような台には、注射器と血を入れる透明の管が並んでいる。


 おぅおぅ、何度見ても慣れるものじゃないな。やだやだやだ。

 

 注射の苦手な俺の視線は、それらに釘付けになっていた。


 ゆっくりと椅子に座り、袖をまくり腕をのせる。


 看護師さんが素早く二の腕に、ゴムホースを巻き付ける。

 次に俺の親指を掴み中に折り畳み、手を握るようにうながす。

 そして、細く綺麗な指で、針を刺す血管を探すと、アルコールを沁み込ませたガーゼで、皮膚を二度三度拭く。


 うわ~、針が来たぞ~、来たぞ~。チクっと痛いぞ~。


 針がゆっくりと皮膚を貫き、血管に入ってゆくが、いつもの痛みが全くこない……


 あれれ、この看護師さん上手だな。


 そう思っていると、採血をしている看護師さんが突然呟いた。


「私、夢がありました」


「えっ?」


 一瞬驚いたが、あの時に聞いたこの美しい声を、俺は忘れるはずがない。


「それは、看護師になった姿を、お父さんに見て欲しいって夢が……」


 俺はゆっくりと顔を上げ彼女を見つめた。あの時と何も変わっていない大きな瞳に、沢山の涙をためていた。


「俺にも夢があってね。娘がりっぱな看護師になっているのを一度でいいから見てみたい…… そういう、夢でした」


 そう語りかけると、彼女の大きな瞳から大粒の涙が零れ落ちてゆく。


「看護師さん。今日、俺のその夢が、叶いました……」


「うん…… ありがとう、お父さん」


「……うん」



 俺の名は中山英吉。職業は、レンタルおじさんだ。




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