第3節(その3)
「近衛が何かしたいなら俺は止めはせんが、俺の判断としては、まずは村へ撤退だ」
ついてくるかどうか、それは好きにしろ……ベオナードはそう告げて、おのが配下の兵士達に撤収の指示を下した。苦虫を噛み潰したようなルーファスだったが、そのやり取りを傍目で見ていた魔道士アドニスにもベオナードの言い分の方がどう考えても真っ当に思えたから、それ以上何か言う気にもなれなかった。
しばらく興奮したように虚空に向かって叫び声をあげていた竜だったが、どうするのかと息をつめて動向を窺っているうちに、落ち着きを取り戻したのか翼を畳んで城楼の上で身を丸めるのだった。これ幸いと、ベオナードら一行は竜に発見されぬよう、足音を忍ばせながら粛々と撤退を開始した。目指すは廃墟の街の城門、そちらに向かって整然と行軍を開始した。
だが……異変に気づいたのはそれからしばらくしてからの事だった。
城塞に寄り固まるように築かれた街だったが、路地を抜けて目抜き通りに出れば往来はまっすぐに伸びており、街を出ていくまではすぐのはずだった。
だが一行がどれだけ歩いても、いつまでたっても城門が見えてこない。
「おい、ちょっと待て」
ぶつぶつと不平を呟きながらもここまでついてきていたルーファスが、足を止めた。
「この辺りはさっきも通ったぞ。……大体、まっすぐ歩いているだけで道に迷うわけでもなし、いつになったら城門にたどり着くのだ」
「いえ……ちょっと待って」
アドニスが口を差し挟んだ。
「いったんここにとどまって、何人か先に歩いてみて。……ゆっくり歩いて、こちらから呼んだらすぐに引き返してきて」
アドニスの提案に、ベオナードの指示を受けた兵士が二人、おずおずと歩き出す。二人はまっすぐ歩きだしたかと思うと、すぐ先にある路地へ突然方向を転じたのだった。
「おい、ちょっと待て!」
それを見ていたルーファスが、叱責に似た声で兵士らを呼び止める。
「なぜそこで曲がろうとした。どこへ行くつもりだったんだ?」
「私が見てくる」
二人が戻ってくるのと入れ違いに、アドニスが探るように歩き出す。
「はっきりした事は言えないけど、何かしら結界のようなものが張られている気がする」
「結界だと……?」
「多分、この廃墟一帯に同じ結界が張り巡らされているんじゃないかしら。無意識に、ここから出て行く道を避けるように仕向けられているように思える」
「確かなのか……?」
猜疑の眼差しを向ける近衛騎士に対し、アドニスはただ肩をすくめるばかりだった。
「状況から推論しているだけだから、絶対正しいとは言わないけど、実際私たちがここで堂々めぐりをしているのは事実よ。その原因を突き止め、問題を解決しない限り、私たちはいつまでもここをぐるぐると歩き続けるしかない」
アドニスの説明に、ベオナードが横から問いを差し挟む。
「結界とやらが実在するとして、だれの仕業と考えるべきかな?」
「調査団の誰か、というわけではないでしょうね」
そういって、アドニスは塔の方を振り仰いだ。魔導士に尋ねるまでもなく、誰しもが同じことを考えていただろう。
「ではやはり、あのオルガノフか」
「あるいは、竜自身がやった事か」
竜、という言葉に、ルーファスが苛立たしげに声を荒げる。
「結界などと、馬鹿でかいとかげ風情にそんな器用な事が出来るのか」
「竜は長命と言われている。説話のたぐいには人語を解し人を助けたり呪ったりという言われようがいくつもなされていることから、長く生きた竜にはそのような知性が備わっていると研究者はいう。……オルガノフはあれを若い竜だと言っていた。それでもやはり、豊かな魔力を秘めているものなのでしょうね。それをどう使うかを知っているかどうか、それは分からないけど」
「オルガノフは、取り込まれた、という言い方をしていたな」
「魔力の使い方は竜が知らなくても、オルガノフならばよく知っているはず。どちらがというより、このさい竜もオルガノフも一緒の存在と考えた方がいいのかも知れないわね」
「竜にせよオルガノフにせよ、会おうと思えば赴かねばならぬ先はどちらも同じだ。街を出ることは出来ぬとして、あの城塞に戻るのまで、邪魔立てされたりしないだろうな?」
ベオナードの問いに、アドニスは答える。
「そんなの、行ってみればすぐに分かる事でしょう」
(第4節につづく)
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