第1節(その4)

 そこまで喋ったマティソン少尉を見るユディスの眼差しは、これ以上ないほどに軽蔑の色がありありとしていた。

 少尉はその冷ややかな視線に生きた心地がしなかったであろうが、これも職務と割り切ってのことか、上ずった声でどうにか先を続ける。

「ひとつ……ひとつ不自然なのが、これらの記録は最終的には、王宮が下賜している爵位の名義人が誰で、そのあとの相続順位がどのようになっているのか、という話になってくるのですが……本来はアンバーソン子爵家の跡取りというのは姉妹の姉であるアドニス・アンバーソン殿になるわけですが、彼女は魔導士の塔に入って魔導士になる道を選んだので、結婚し夫を迎えた妹君に一旦爵位を譲っていますよね。この時点で子爵夫妻は跡取りの第一位をご自身たちの令嬢、第二位を姉であるアドニスに指定していました。しかるに、この爵位は夫妻が死去ののち姉アドニスのもとに移り、先のあなたの死亡の誤認、取消の申請のさいも、そちらの爵位移譲に関する異議申し立てはされてはいなかったのですね。もちろん、おおもとの順序でいえば長子であるアドニス殿が相続するのが筋ではあったわけですが……」

「マティソン少尉、結局あなたは何が言いたいの?」

「ええと、つ、つまりですね。当時べつだん深く疑問には思われなかった、君が一回すでに死んでいた、という件が、今回改めて疑問視されているということなのです。……アドニス・アンバーソンを子爵位をもつ方として、また黒竜退治の英傑として見送るのはいいとして、姪である……姪とされるあなたに本当にすんなりと爵位を移譲してもよいものか、という」

 そんなマティソン少尉の話を聞きながら、ユディスは内心舌打ちをした。

 そもそも叔母の死を告げる手紙がちゃんと速達で届いていれば、憲兵隊がこの少尉を差し向けるよりももっと前に王都を離れられていたはずで、こんな面倒な話に付き合わされなくとも済んだのに。

「……少尉。あなたは私をどうしたいの?」

「僕がどうしたいかをが決めるわけではないんですけどね。爵位の相続に関して、おそらくあなたは事情聴取の対象となるはずです」

「けれど私は、葬儀のために王都を一刻も早く離れたい。……それを足止めするために、顔見知りのあなたが説得役にあたることとなった、ということなのね?」

「いやはや、そのとおり……いや、僕だって君が悪い人だと思っているわけではないけど、立場上どうしても今回は君の味方にはなれなくて……」

「別に私からも、味方をしてくれなんてお願いはしないわ」

「じゃあ」

「そういう事は、どうにかして解決していかないと」

 アドニスはそういうと、散乱する荷物の中から、例の一振りの剣に手を伸ばした。

 マティソン少尉はそれを目にして、表情を硬くした。

「さっきから気になっていたけど、それは一体……?」

「叔母からの預かり物」

 ユディスはそういうと片手で柄に手をかけ、一気に鞘から引き抜いた。

 少尉は目を丸くした。憲兵隊と言っても彼の普段の仕事は事務方で、詰所でひたすら書類仕事をしているだけなのだ。刃傷沙汰など縁のない彼だから、今この場で抜身の切っ先を目の当たりにすれば、呑気に落ち着き払ってなどいられなかった。

 ただでさえそんな状況なのに、目の前の刀剣は彼が今まで見たことのない代物だった。刀身がまるで血のように深い赤色で、金属とも石ともつかない不思議な色艶をしていた。

 マティソン少尉があからさまに身じろいだのを見て、ユディスは一瞬だけ思案顔を見せたかと思うと、何かを思い直したように剣を再び鞘に収める。一連の所作から、彼女が剣の達人とは言えないまでも扱いには充分に慣れているのはすぐに分かった。

 しかもそれでその武器を収めるでもなく、今度は鞘のまま軽々と振り上げる。壁にでも当たりはしないかとはらはらするのはマティソン少尉の方で、ユディスはと言えば一つ一つの所作に迷いがない。

「少尉、申し訳ないけど、私は本当にどうあっても叔母の元に駆けつけないといけないの」

「だからって、それをどうしようと……?」

 ユディスの返事はなかった。代わりに切っ先がこちらに振り下ろされるのが分かった。憲兵隊の兵士とは言えマティソン自身は何かの典礼でもない限り人前で剣を抜いた事など一度もなかったから、こんな折におのが身をどう守ればよいのかもとっさには分からず、足がすくんで逃げる事も忘れていた。

 そんな折だった。不意に部屋の戸口から、二人のいる居間に何者かがノックもせずに足を踏み入れてきたのだった。

 ユディスは、振り下ろした切っ先を咄嗟に途中でぴたりと止めた。……なので、マティソン少尉は殴打される一歩手前で助かったのだった。

 そこに姿を見せたのは、長身のマティソン少尉よりもさらに頭一つ分以上も背の高い、大きな体格の男だった。ひょろりと背が高いだけの憲兵とは違い、身の丈に応じて肩幅も胸筋も厚い。まさに大男と言って差し支えなかった。

「……取り込み中だったか?」

「ベオナード卿?」

 驚いて声を上げたのはユディスだったが、その口から出てきた意外な名前に、マティソンもまた驚いて同じ名前をおうむ返しに繰り返すのだった。

「ベオナード卿……!?」

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