依頼と魔女 第1話

「うん、大丈夫。もうひとつしなきゃならないことができたから。済んでから帰るね」

 今日のココアはもう飲んでしまってマグカップは食洗器の中。

「ああ、おばあちゃんからのプレゼント? うん、それはまた後で話す。もう行かなきゃ」

 インターネットにつないだテレビの中から、パパとママはひどく頼りない顔でこっちを見てた。だとしてとにかく全部、言えるわけなんてない。いいえ、正確にはまだ言いたくない気分だから話せるところだけを話してあたしは、バイ、と通信を切る。オービタルステーションに接続中の船の中で振り返った。

「ていうか、ディスポロイドのくせにどうして眠る必要があるのよ」

 昨日まで一人だったクルーキャビンのカウチには、脚がついていないので宙に浮いているだけ、ガラクタを寄せ集めてできたディスポロイドがしがみついてる。あろうことか夢なんて見ているらしくて、むにゃむにゃと寝言まで口にしてた。

「さあ行くわよ。依頼を引き受けたのはあなたの方でしょ。遅刻なんかしたら他の魔法使いの名誉にもかかわるんだから」

 「ブリャーチエ」の呪文であたしはその体を、カウチから引き剥がす。

「あ、わぁっ。あっ。オーキュ様っ、なんということをっ」

 目を覚まして手足を振り回そうとも、知らんぷりで引きずりあたしは船を出る。再び降り立ったルテミスシティはといえば、泡のドームに取り付けられた照明の光を燦燦と浴びてもう活気に満ちていた。その下を魔法使いたちは自信たっぷりに仕事場へ飛んでいて、紛れてあたしも飛びたい気分ではあるけれどこういう時は便利よね、耳を回しつつインターネットの地図を辿って依頼人の元へ案内してくれるディスポロイドがいるのだから、後について約束の場所へ歩いて向かう。

「ふむふむ。ふたつめの角を右でございますな」

 依頼はロボットが言った通り、「かさぶた」というハンドルネームの十三歳の男の子からだった。ボディーガードをお願いしたいからアルテミス時刻で午前十時に会えませんか、と住所を添えて依頼を送信してきてる。詳しい依頼の内容はお邪魔した場所で話してもらえる様子で、なにより驚くべきことは、そうして会いに行くだけで十万ユーダラ支払いますと依頼文には添えられていたことだった。

「だから選んだのね」

 このあいだ友人から聞いた初任給は、十八万ユーダラ。思い出してあたしはちらり、ディスポロイドをうかがう。

「お仕事において効率は重要でございますよ。そもそも無駄は美しくございません」

 しれっと言うディスポロイドは変なところでしっかり者みたい。

「それにしても会うだけでこんなに支払ってくれるなんて、十三歳なんてホントかしら。それともご両親がとんでもないお金持ちだったりするのかも」

 十三歳が気安く支払える金額でないことは確かだけど、まあ余分に過ごしたオービタルステーションの滞在費に船のレンタル料だってある。好都合といえば好都合だといえた。するとディスポロイドは「それよりも」と、現れた二つ目の角を曲がりながら話を切り出す。

「わたくし事で恐縮ではございますが、そろそろわたくしに名前をつけてはいただけないでしょうか。名無しのままでは何かと不便でございますし、どうにも寂しく感じて仕方ございません」

 寂しい、だなんて。やっぱりディスポロイドのくせに変わってるとしか思えない。

「だったら自分で好きに決めてちょうだい。その名前で呼んであげるから」

 とたんツマミの片眉を跳ね上げて、胸のライトを忙しく点滅させるディスポロイドは、間違いなく表情を明るくしてる。すかさず耳を回す姿は喜々としていて、ブルーだとか、ペッパーだとか、アトムにハルだとか、って最後のは反抗する気でいるのかしら、次から次へと挙げ連ねていった。どうにも決めかねたなら耳へ手をあてがったままで、ふい、と立ち止まりもする。

「着きました、オーキュ様。ご依頼主様のお宅です」

「って、名前を考えてたんじゃなかったのっ」

 それにしても立派な門扉。少し錆びた青銅の矢じりにツタ模様が絡んでいて、見上げたあたしは目を丸くした。隔てた向こうに建物が見えたなら、なおのことあんぐり口を開く。

「すご、い……」

 だって土地の限られたアルテミスシティには独自の建築基準があるはずだもの。なのに度外視して白い大きな洋館は建てられると贅沢にポーチさえ広げていた。しかもそのポーチには緑色の葉を茂らせた植物が植えられていて、あたしは少し恐怖さえ感じてみる。

「まさか本物なの?」

 たとえ微々たる量だとしても、そこから発生して吸収される酸素に二酸化炭素の濃度は町の管理局が完全管理しているものだ。個人で所有できるはずなんてない。万が一、可能な誰かがいたとして、それこそこの町を管理、制御している権力者に違いなかった。

「ふむ。本物であれば十万ユーダラのお支払いこそ期待してよろしいお相手でございましょう」

 ディスポロイドもうなずくと、持ち上げたガラクタの指で呼び鈴を押し込んでる。

 ややあって返された「どなたさま」という声は、遠い所から発せられているみたいに細くて小さい。聞き逃すまいと耳を傾けてあたしは、緊張しながら名前を告げた。やおら門扉がひとりでに静かと開く。勝手に中へなど入れずにいたら、お屋敷の方からポーチを横切り一体のアンドロイドはとぼとぼ、やって来た。

 新品らしいそれはあたしの隣にいるディスポロイドとはまるで違った滑らかなボディーを艶やかに光らせてる。あたしたちの前で立ち止まると柔らかな物腰でお屋敷へ導いた。

 その道すがら植物たちは手が触れそうなところに生えてる。ミントにカモミール、レモンバームにあれは小さなタイムの木かしら。本物のように広げる緑にあたしは興奮気味で視線を這わせてく。つい触れようと手を伸ばしていたなら、気付いてお行儀悪いと引っ込めた。

「こちらでお待ち下さい。まもなくマスターがおいでになられます」

 経て足を踏み入れたお屋敷の中はといえば、ポーチが斬新だったぶん一切の装飾品がなくてまるで搬入前の美術館みたい。もしかするとお部屋には家具もないんじゃないのかしら、なんて想像してしまうくらいに生活感は欠片もなくて、新品のアンドロイドが通した部屋はまったくもってその通りだった。町を治めるくらいの富豪になれば、こんな生活になっちゃうのかも。想像するあたしを残してアンドロイドは去ってしまう。

 ものすごい居心地の悪さは言わずもがな。

 真横に立つディスポロイドをあたしはちらり、盗み見る。

 こういう時はどういうわけだかロボットらしく、すました顔で棒立ちしているのだから妙に腹立たしくて、思わずあたしは無視しないでよ、くらい言ってやろうと息を吸い込んだ。

「どうかそのままで。決して振り返ったりしないで」

 背から聞こえて喉を詰まらせる。

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