2.からの突然の遭遇

 ――しかし、いくら長い時間遠くを見つめていたからと言って、突然そこから島影や船が現れてくれるわけでもない。


 深色は高校二年生で、事故が起きる前まで修学旅行でハワイに訪れていた。深色たちの乗っていた飛行機はハワイから日本へ戻る便で、みんな山のようなお土産を抱えて日本へ帰国しようとしたところ、このような事態に陥ってしまったのだった。


「はぁ……荷物も機内に置きっぱだったし、貴重品とかケータイとかパスポートとかも全部あそこに入れてたし……せめて膝に抱えとけば無くさなかったかもしれないのに………あれ? ってことは私、今一文無しってこと? しかもケータイも無いって……ヤバ、詰みじゃん」


 深色は暫くの間、破片の上にうずくまってぶつぶつ独り言を呟いていたが、やがて気持ちを切り替えたように顔を上げて前を見据える。


「でもまぁ、五体満足で居れただけマシってことか……見た感じ大した怪我も無いみたいだし」


 深色は自分の体の隅々までを一通り確認してみる。着ている制服のブレザーやスカートは所々が破れてしまっていたが、体には小さな打ち身がちらほらとあるのみで、とくに大きな怪我は負っていなかった。


「とはいえなぁ。今の私は、実質死んだようなものなのかも……はぁ、辛いわ」


 太陽の光がさんさんと降り注ぐもと、破片と共に流されるままの深色は、時折り自分と同じく漂流している仲間が居ないか周囲を確認していたが、それらしい生存者は見当たらなかった。


「カナたん生きてんのかなぁ……マユっち今頃どうしてんだろ……ミヤぴー死んでないといいなぁ」


 深色は、クラスメイトの中でもよく一緒につるんでいた相手の渾名あだなを思いつく限り口に出して並べてみた。けれど、名前を挙げたクラスメイトの誰一人として、彼女の元に流れ着いてくる者はいなかった。


 ハワイから日本へ帰る途中だったから、ここは太平洋の真ん中辺りになるのだろうか? もしそうだとすれば、助けが来る確率は絶望的と言って良いほどに低いだろう。こうして待っている間にも、体の水分が徐々に失われ、やがて数時間もしないうちに脱水症状を引き起こして死ぬかもしれない。深色は、ふと脳裏に浮かんだ縁起でもないような言葉を、ボソッと口に出して言ってみた。


「ふふ……クラスのみんな仲良く海の底、ってか? ふん、なら私も一緒に連れてけっての……いじわる……」


 独り現世に取り残され、じりじりと照り付ける太陽に身をこがされる私の気持ちにもなってくれよ……と、深色は今は亡きクラスメイト達に冗談交じりでそう言ってやりたかった。




 ――と、その時、深色の腰掛けている破片近くの水面を、つぅと白い泡が走った。


「……ん? 何アレ? 魚かな?」


 深色は興味本位で破片の隅の方へっていき、頭を突き出して海面を覗き込んだ。



 ――その刹那、海面の奥に黒い影が走り、彼女の乗っていた破片をひっくり返さんばかりの勢いで水飛沫みずしぶきを飛ばし、巨大な黒い塊が飛び出してきた。


「おわぁあぁぁっ! 何何ナニナニっ⁉︎」


 深色は驚いてその場でひっくり返る。飛び出してきたその黒い塊は、陽光を受けて表面がてかてかと光り、腹に付けた二つの巨大なヒレを宙高くひるがえして背中から着水する。途端にバケツを返したような水飛沫が深色の上から雨のように降り注いだ。


 深色は慌てて破片の中央まで這って戻ると、周囲の海面に目を凝らした。


 すると、まるで潜水艦の潜望鏡のように白い泡の線を引きながらこちらに滑ってくるものが見えた。


 波打つ海面を切り裂きながら向かってくるそれは、平らで先のとがった、真っ黒な背ビレだった。


「うわわ、サメだっ!」


 深色は金属片の上で身を縮めた。あんな奴に体当たりされたらひとたまりもない。一瞬、自分がサメの餌になって食われて死ぬ未来を見てしまったような気がして、彼女は身に降りかかる恐怖を紛らわすように、必死になって声を張り上げた。


「サメちゃんごめんなさいっ! 私痩せっぽっちなの! だからほら、全然お腹にもお肉付いてないし、それにおっぱいもめっちゃ小さいし……だからこんな貧乳食べたって腹の足しになんかなるワケないって! 私なんかより、他の魚当たった方が絶対お得だと思うんだけどぉ⁉」


(――って言っても、相手は魚だから人の話聞いてくれる訳ないじゃん! アホか私っ!)


 と、自分でツッコミを入れたその時――


「ボクはサメじゃないよ」


「ふぇい⁉︎」


 突然何処からともなく返事が帰ってきて、深色は思わず素っ頓狂な声を上げる。


 よく見れば、その真っ黒な背ビレは、深色の乗っている金属片のすぐ手前で止まっていた。


「ボクはサメじゃないよ。ほら、この顔を見れば分かるでしょ?」


 ぷしゅうと潮を吹いて浮上したその生き物は、真っ黒な顔面に、二つの白いアイパッチがくっきりと浮かび上がっていた。そして、あんぐりと開いた口にはナイフのように鋭い牙がずらりと並び、上あごと下あごを境にして分かれた白黒のツートーンカラーが、背中からお腹、尻尾にまで続いていた。


「ほら御覧よ、このイカした模様をさ! これでボクはサメじゃないってことが証明されたね」


 えへん! とその生き物は胸を張るように海面から頭を突き出し、真っ白な腹を深色に向かって見せ付ける。深色はどう反応して良いか分からず、顔を引きつらせながら首を傾げておずおずと答えた。


「あ、あの………どちら様でしょうか?」


「え~っ! 分かんないの? だからボクはシャチなんだってば!」


 ――深色はこの日、遭難して大海原を一人漂流している最中さなか、偶然人間の言葉を話すシャチと出会ったのだった。

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