境界

占冠 愁

境界線

"ここから先は、違う世界だから。"




鳥居から一歩先に入ると、参道を横切る一本の線路がある。

その鳥居の前で待つ。

待ち続ける。

やがて、遠くにピィィイ――、と汽笛が木霊する。

少し錆びたレールが、わずかに軋み始めた。


前照灯。

『 普 通 』と書かれた方向幕。

留萌るもいを出て終点の増毛ましけへ向かう単行列車が、参道に差し掛かった。

たった一両の列車はすぐに眼前を横切って、ぶわっ、と風を切る。


その風が吹き終わらないうちに足を踏み出す。

もたもたしていると「世界」が閉まってしまうから。

通り過ぎる列車の、すぐ後ろへ飛び込むように。


鳥居の向こうへ。

線路の先へ。


―――バッ!


枕木を踏み越えれば、強い耳鳴りがして視界がブレた。

それをくぐるように抜ければ――世界は色を変える。


少し琥珀色を帯びた木漏れが、石段に差し込む。

その上にある本鳥居も薄光を帯びて輝いている。

一歩、一歩、踏みしめるように石段を登っていけば、光の粒たちが集まってきて足元の回りをめぐりはじめる。


石段の上には、銀白の髪が靡いていた。


「…だめだよ、ここに来ちゃ。」


ほのかなみどりの光に包まれて、少女はポツリと呟く。


「え……?」


悪気はなかったんだ。

昨晩、夜も更ける朔日ついたち。通り過ぎる列車へ、鳥居の前から君の姿を、たまたま見てしまっただけで。

そのとおりに、飛び込んでしまっただけで。


「人の子がここに迷い込むと、神様に攫われちゃうんだよ?」

「なんで…?」

神界ここのことは、誰にも知られちゃいけないから。」


困ったように少女は言う。

けれどね、と言葉を継いで君は微笑んだ。


「大丈夫、心配しないで。

 私なら君をたすけてあげられるから」

「どういう、こと…?」

「……私ね、神様になるはずの子だったんだ。」


七歳までは神様の子。

まるで呪いのように、少女はその言葉を唱える。

二度、三度。七五三。あと少しだったのに、悔しいな。って。


「だからね。ここで、お別れだよ。」


その目尻に浮かんだ涙が意味するところも、知らずに。

君のことを目に焼き付ける暇もないまま、萌葱色もえぎいろが吹きすさび――。


「さよなら」


遠く、汽笛が響く。

世界を包んだ薄霧の遠くに何かの影を見る。


『 最 終 』

そう書かれた、増毛ましけ留萌るもい行の最終列車。

――記憶は途切れる。



"線路を越えれば、そこでお別れ。"



気づけば鳥居の外に立っていた。

石段の向こうには、もはや少女の姿はなく。


翌朝、もうここへ列車が現れることはなかった。

留萌線の増毛ましけ-留萌るもい間が廃止されたのは、この日のことだった。












「だぁからぁ!やめてよぉ…」


桜庭さくらば蘭留らんるは目尻に涙を浮かべながら訴える。

自分よりはるかに身長の高い同級の女子たちに囲まれて、見世物にされていた。


「やだーそれコスプレ?」


蘭留らんるの家は神社である。

放課後。放浪癖のある姉から仕事服ごと押し付けられた巫女の仕事中で、参道口を女子集団にたまたま通りがかられてしまった次第。


「あっははは!ティックトックに上げちゃおー」

「えー、ともえマジでやるつもり?ウケる〜」


巫女服は神聖なものだから、そんな扱いしたら罰が当たるよ――なんて諭すも、蘭留のコンプレックスを抉る言葉しか返ってこない。


「怒り方かわいー、女の子そのものじゃん!」

「ちょっ笑 やめてあげなって、本人は男子してるつもりなんだから」


グサグサと突き刺さる。蘭留は普通に男として生を受けたのに。ただ堪えて、嵐が過ぎるのを待つだけしかできない。

すると。


「アッアッ、デンシャ参りまーす」


なにやらブツブツと呟きながら、ひょろひょろの眼鏡が通りがかって、蘭留と女子たちの間に割り込んだ。


「うわ電車オタク」

「きっしょ、シッシッあっち行け」


女子たちに総スカンを食らうがどこ吹く風と済ましているのは、同じ高校に通う神威かもいうずら。同じクラスにはなったことがないけど、蘭留は知っている。


「おいオタク、お前臭いよ」

「2階3列4番50代!?」


特段変な匂いもしないのに言い掛かりを付けられたうずらは、なおもそこを微動だにせずネットミームを言い返す。それを見かねたか、もしくは端から視界に入っていないのか。女の子がひとり、単語帳を開きながらこちらへ通り掛かる。

肩で風を切って歩く彼女の名を、妹背牛もせうしかえでという。


「うわ、留高るこうの女じゃん」

「感じ悪……行こ行こ」


域内最賢と呼ばれる留萌るもい高校。その校章を見留めた同級の女子たちは、ヒソヒソ陰口を囁きながら去っていく。その様を見送りながら、妹背牛もせうしかえで神威かもいうずらにポツリと一言。


「相変わらずあなた下手ね」

「言ってろ」


うずらはそう返すと、振り向きもしないでさっさと立ち去る。

はっとして、蘭留は鶉に声をかける。


「あっ、あの!」


聞こえているはずなのに、鶉は行ってしまう。

蘭留は少しうつむいて、上目遣いに、助けてくれたもうひとりのほうを見る。


「あの……。」


妹背牛もせうしかえでは桜庭蘭留を一瞥して一言。


「あなたも、少しは変わりなさいよ」


そうすると、すぐに踵を返して行ってしまった。


蘭留は眉をハの字にして俯き、唇を甘噛む。

どこで間違えたんだろうと自問してみる。


「あはは……。そんなの、わかりきったことなのにね」


遠くに行ってしまったようで、その実、自分だけが過去に取り残されているだけだということも知りながら。

蘭留は、左のぽっけから一枚の写真を取り出す。


「もう、十年前…なんだ。」


板張りの短いホームの上。駅名には光が反射していて読めない。

桜庭さくらば蘭留らんるが笑っていて、そこへ飛び込むように映る神威かもいうずらに、妹背牛もせうしかえでが楽しげにピースをしている。6歳の思い出だ。


いいや、三人だけじゃない。


蘭留の隣、写真の中央に写る銀白の髪の色をした女の子。その子の顔には、不自然な白い光が差し込んでいて、よく見えない。

まるで蘭留たちを率いるように映り込むその少女を―――蘭留は覚えていない。


短く編んだ耳元の後ろ。白い脚。

萌葱色もえぎいろをした鳥羽根の髪留め。


「ひゃっ」


頭痛が走る。だ。

断片的な記憶を手繰り寄せようとするたびに、鈍い痛みが頭に走る。その度に一瞬だけ、あの少女の髪先が見えるのだ。

蘭留がこの写真を拝殿の奥で見つけた日からずっと。


「もぉーっ、わかったよぉ!」


もう2ヶ月ずっとそれが続くものだから、とうとう蘭留は決意した。立ち上がった蘭留は、偶に瞬く髪先の靡く方へと歩みだす。少し怖かったけど、途中でお祓い棒――御幣ぬさを取りに戻ってからは、足を止めなかった。


2時間ほど歩いただろうか。路盤の上で、気づけば浮かぶ光の珠に囲まれていた。

集まったそれは、蘭留をある場所へといたずらにいざなう。導かれるままに蘭留は足を進めると、やがて参道の前に立った。

蘭留の家よりも、ずっと小さな神社だ。


「?」


雨が降り出した。

参道に連なる木々を透かして萌葱色の陽差しが降りる中、霧雨が舞う。狐の嫁入り――光の粒々が蘭留を急かすように、舞い始めたのだ。

鳥居を抜けて、砂利を踏み越えて、石段へ足をすすめる。石段も本鳥居も白みを帯びて輝き、この足元を掬うように包んでいる。


ふと顔を上げれば、本鳥居の先の境内にはひとりの女の子の背があった。


「…久しぶり。」


少女は後ろ髪を揺らす。

短く編んだ耳元の後ろが覗く。


「また会えたね」


先をばらした銀白色の髪をさらりと翻して、振り向くその瞳は翠色。


「……あ」


手に握った御幣ぬさを取り落してしまう。

甦る記憶。いいや、栓を切ったように溢れ出てくるといったほうが正しいか。

奔流、もしくは濁流。強烈な痛みとともに時間が巻き戻る。

少女は微笑む。


「ずっと待ってたよ。十年間、キミを、ここで。」

「なん…で…、」


蘭留を見てその子は、翠色の瞳をちょっとだけ見開いた。

けれどすぐに目を細めて笑う。


「ねっ、思い出してくれた?」


思い出す?

そうだ。

ぽっけから一枚の写真を出して、そこに映るのを見る。不思議な白い光は失せて、代わりにくっきりとした翠色みどりいろの瞳が輝いていた。

眼前の少女が、そこにいた。


呆然と立ちすくむ。

なんで、忘れていたんだろう。こんなに大切な記憶を。


「ずっと待ってたんだよ?

 キミが…思い出してくれることを、ずっと。」


震える手で少女の手を握ろうとする。

蘭留の差し出した手は、そのまま空を切った。


「ぇ……」

「あはは、やっぱりさわれないよね」


さみしげに少女は笑う。像を現世ここに投影してるだけだから、と。

ふと少女は、とてとて石段を降りて線路の上へと乗ると、そのすぐ先に建つ鳥居によりかかってみせた。


「だからね、境内ここから外には行けないんだ。

 10年前のあの日、列車がここに来なくなってから。」


境界を繋ぐ列車は二度と来ない。


「でもね」


しゅるりと少女は髪留めを解く。

ほのかなルピナスの香りとともに、銀色の髪がふぁさっとばらける。それから蘭留の手首を取って、少女は髪飾りを結んだ。


「キミが迎えに来てくれた。」


手首に結ばれた羽根の形をした髪留めは、歌詠鳥のように鮮やかな萌葱色もえぎいろ


「ねぇ、連れ出して?」


少女は手を差しだす。

まるで雲をつかむように蘭留はその手を取る。

それから――10年ぶりに、この鳥居を潜った。


「わわっ?!」


蘭留は少女の手を引いて走り出した。

そよぐ海風。潮の匂いに誘われて、あの日の記憶が蘇る。


名前を、阿分あふん駅といったか。

物置みたいな待合室に、板切れのホーム。朝夕に2人しか使わない、仮乗降場あがりの小さな小さな駅。小学校の裏手にあったからだろうか、四人にとってそこは格好の遊び場で。今はもう随分変わってしまった四人を、長く繋ぎ止めていた場所だった。

そこへ蘭留は向かう。


「………あれ。」


記憶を取り戻した蘭留が見たのは、十年前とは程遠い駅の姿だった。

かつて乗降台として使われていた木の板は朽ちていて、その上に残っているのは、かつて駅名を提げていた鉄パイプの枠組みだけ。

かつて四人で写真を撮ったその駅は、十年前になくなった。


「ここって…?」


変わり果てた光景に、つい自問してしまう。

困り気味の表情で少女のほうが答えを返す。


「阿分駅、だよ?」


その現実を突きつけられて、ようやく蘭留は認める。

自分が犯した過ちを。


「あのね、蘭留ね。」


あの夜、衝動的に動かなければ。

あの世界に踏み込まなければ。

君がランの身代わりになる必要なんてなかったはずなのに。


ランね、君のこと……殺しちゃったんだ。」


あの日はちょうど、君が七歳になるはずの日だったんだ。








それから、どれほど歩いただろう。

「違うよ。それは違う。」「私が君のことを助けたくてやったの。」――そう少女は否定したけれど、蘭留は力なく首を振った。すると少女は「来て」と、蘭留の手を引いた。


「なんであの神社は、境界を繋ぐトリガーが列車だったんだと思う?」


歩みながら、少女は蘭留へ尋ねる。


「え?」

「それはね、この神社があの列車――留萌線るもいせんを祀ってるからなんだ。」

留萌線るもいせん?むかし、神社の前あそこを走っていた?」

「まだあるよ」


少女は立ち止まる。

2時間強くらいか。『留萌駅』と書かれた、大きな建物の前に立った。


深川ふかがわを出て、ここ留萌るもい駅を経て、神社の前を通って、終着の増毛ましけに至る。

 留萌線はね、十年前、留萌ここから先、増毛ましけへ向かう末端部分が廃止になったの。」


話を戻そっか、と少女は駅へ入る。


「あの神社は、明治時代に名もなき漁師たちが建立したんだ。」


少女は少し息をつく。

この北海道を開拓した原動力は鉄道であった。鉄道で原生林を切り運び、殖民を進めて、富を産物を運び出した。明治の時代、鉄道は繁栄の代名詞だった。


「地域の繁栄を祈って鉄道を祀った。少なくともそういう時代があったの」

「…だとしたら、君は」

「参道には列車は二度と来ないのに、私の魂が境内あそこに宿り続けられるのも、まだ留萌線自体は息をしているからだよ。」


だからね、と少女は待合室の掲示板に張り出されている新聞を指す。


『留萌線の維持を巡り最終協議』


残った深川-留萌の区間も利用状況は好転せず、とそう続く紙面。

ごくりと息を呑んで、蘭留は問う。


「宿り先を喪ったら、どうなるの」

「私の魂は神界からも消えて…また生まれ変わるの。」


『市は維持の断念を決定。存続委員会も夏までに解散』

紙面にその文を見た瞬間、嗚咽ともつかない小さな声が漏れた。


「だからね。君があの境界を越えずとも、近いうちに決まっていた運命なんだ。」


違う。問題なのは、このままだと少女が完全に消えてしまうことだ。

せっかく再会できたのに、それでは意味がない。

蘭留は一つの結論に至る。


「なんとか…留萌線の廃止、防いでみる」





・・・・





「花火大会?」


瀬越駅の跡地から程近く。日本海を望む図書館の窓際の片隅に、6年前と変わらずやはり妹背牛もせうしかえでは腰掛けていた。


「うん。どこで申請とか出せばいいのかなって」


昔から、わからないことは彼女に聞くに限る。


「花火大会って…まず、なんでよ」

「楓ちゃ…、妹背牛もせうしさんは、覚えてるかな?十年前まで花火大会があたこと」


しばらく逡巡して、彼女は手を打つ。


「そういえば、あったわね…。」


なんだかとても楽しかった記憶があるわ、と彼女は付け足す。そこに一瞬期待して、懐からあの写真を出して見せたけれど、それは思い出せないようだった。

蘭留もまた同じようなもので、少女の名前だけはまだ思い出せない。


「参加させてくれないかしら?」

「?」

「花火、もう一回見たいし…何より、この写真のこと思い出したいの。」


図書館から海側に下り坂を降りれば、汐風靡く旧瀬越駅のホームがある。

人が降りなくなって6年が経つホームの上に、神威かもいうずらが待っていた。


ウズ……神威くん。ごめんね待たせちゃって」


蘭留がちょっと叫ぶと、鶉は顔を上げて――


「げ」


神威鶉は、桜庭さくらば蘭留らんる妹背牛もせうしかえでを認めた瞬間そんな声を上げる。

楓も楓で、蘭留に止める暇も与えず、すたすたと鶉の方へ歩いていくと、鶉と向かって面と立つ。


「あなたがいるなんて聞いていないのだけれど」


ささっと鶉は蘭留に駆け寄る。


「なぁおれ鉄道維持のイベント企画って聞いてホイホイ来たわけだけどなんでこいついるの」

「かえ…妹背牛さんのこと、嫌いになっちゃった?」


十年の時が経ってしまって、蘭留は全然わからない。


「因縁がある」


細くくびれた腰に手を当てながら、楓は鶉を見据える。居心地悪そうに鶉はボソッと呟いた。


「だいたいなんなんだよ、名字通り牛みたいな乳しやがって」

「なにか言った?」

「げ」


そんなふたりに、目尻に涙をにじませながら蘭留は嘆く。


「もぉぉ、ふたりとも!十年ぶりなんだし仲良くしようよぉっ…!」





・・・・





「ねぇオタク」

「はいオタクです」


妹背牛楓の心無い声に、神威鶉は淡々と返事する。


「ホームページいつまでにできるかしら」

「2徹して明後日。それより早くは不登校でもしなきゃ無理だ。そっちは?」

「収益予測は一通り計算して報告書にまとめたわ。」


留萌駅の待合室では高校生同士がノートPCを突き合わせている異様な光景が広がっていた。


「ふたりともぉ!役所で貸与手続きしてきたよ!」

「ありがとう桜庭くん。」

「ふたりは順調?」

「微妙なところね」


蘭留の問いに妹背牛楓はそう返す。


「スタンプラリーはなんとかなりそうね。あいつが提案した、廃線跡を使っての足漕ぎトロッコもぼちぼちよ。」


そこへ飛び込む神威鶉の声。


「違う。勝手に略すな。正式には『留萌駅から増毛方面への廃線跡を利用した足漕ぎトロッコによる軌道上サイクリング』だ」


路線維持のために蘭留たちが立ち上げたイベントは大きく3案。

駅巡りのスタンプラリー、足漕ぎトロッコ、そして――


「問題なのは、桜庭くん。あなたの提案した花火よ」

「……やっぱり?」

「火薬の申請とか、花火師さんの確保とか、市外を出て飛び回る必要が出てくるわ。」 


蘭留は頷く。


「やらせて、ぜんぶ。」

「あなたに任せるのはいいけれど、体力足りるかしら?」

「大丈夫だよ。蘭留だって成長したもん」


額に手を当てると、楓はパン、と紙束を蘭留の頭に当てた。


「申請書類。書いて、深川の総合振興局おやくしょに持っていってくれるかしら。」


はじめは呆然とした蘭留も、ぱっと笑顔を咲かす。


「……うん、任せてっ!」


書類を受け取った蘭留は、ペンを片手に跨線橋を渡る。

これからこの留萌線に乗って深川へ出るのだ。



「ねぇ、いつからあの神社にいるの?」

「いつから……、かぁ」



蘭留の問いに、少女は細い指を小さな顎に置いた。


「人間として生を受けたのは17年前のことだけど、魂自体はもっと前からあるの。

 私がここで生まれたのは、いつだっただろ?」


跨線橋から眺める構内は広い。

けれどその広い広い停車場にいるのは、たった一両の列車だけ。


「私の一番古い記憶はね、ひっきりなしに響く汽車の音と、たくさんの旅人が行き交ってる風景なの。」


少女は静かに語りだす。


「ね、きみ。あそこに案内看板があるの、見えるかな?」

「どれ?」

「深川行きは1番線と2番線から乗れるよー、って書いてあるやつ!」


___のりば案内___

 深 川 方面 ① ②

     方面 ◯ ◯

  ・  方面 ◯ ◯

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

そう書かれた看板を少女は指差した。


「見えるけど…」

「もう少し目を凝らして」


言われるがままに近づいていって見ると、あることに気づく。


「テープが貼って…ある?」

「うん。光の加減で、下に書いてあった文字が見えたりするよ」


今にも消えそうな蛍光灯を頼りに、テープの下に隠れる文字を読んでいく。


___のりば案内___

 深 川 方面 ① ②

 増 毛 方面 ① ③

羽幌・幌延方面 ④ ⑤

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


「え……、これって」

「昔はね、ターミナル駅だったんだよ。留萌駅ここは」


たった2つしかホームがない駅を見下ろしながら、少女は追憶する。


「5番線までプラットホームがあって、東と、西と、北へ線路が伸びる大きな駅だったこと。私ね、覚えてるんだ」


それから彼女は少し淋しげに笑った。


「それが、こんなに寂しくなっちゃうんだもん。」


北へ伸びていた羽幌はぼろ線は、もう30年も前になくなった。

この駅からまだ先へ伸びていた留萌線の末端も、6年前に廃止された。

ここには、小さな小さな終着駅が残っているのみである。


「いつ生まれたかなんて、時間が経ちすぎちゃってわからないや…」


1日たった40人しか使わないにしては、大きすぎる駅舎が。

1日8本しか列車が来ないにしては広すぎる構内が。

1両編成しか止まらないにしては長すぎるホームが。


切なくも静かに、かつての繁栄を物語る。





「♪〜♫〜♪〜」


少女の鼻歌に乗せて、ディーゼルエンジンが唸る。

ガラガラガラ、と音を立てて単行列車が留萌駅のホームを滑り出した。


『本日もご利用くださいましてありがとうございます。

 普通列車、深川行きです』


車内には、蘭留と少女のふたりだけ。


「ん〜っん」


少女が伸びをするのといっしょに列車は加速して、ときたま車体に、伸び放題で線路へ張り出した枝を擦らせつつ走っていく。


「汐風の香り、もうしないんだね」


ふと、呟いてしまう。

乗り慣れた留萌線だけど、ずっと昔、あの日々ごと閉じ込めた列車ディーゼルカーの記憶は、確かに潮の匂いがしたのだ。


「ん。留萌線はもう、海のそばを走らないから。」


隣に座る少女は頷く。


「こんなにガラガラなのも、めったになかったよね」


昔はもう少し人が多くて、あたたかくて、何より美しかった。


「…けどなんかね、懐かしいな。」


少女はそう言って、目を閉じながら蘭留の肩にもたれかかる。

蘭留の身長は低いけれど、それは少女も同じだから。

傍からなら、仲の良い小さな男の子と女の子に見えるかもしれない。もうそんな日々は、終わってしまったのだとしても。


「――また、始めればいいんだから」


どこへともなく漏らした蘭留の呟きも、天井に回る古い扇風機に運ばれて、窓から留萌線の風となって散る。


ずっと――こんな時間が続けばいいのに。








「予算どれほど市から持ってこれた?」

「聞いて驚きなさい、全額よ。」


だから、足掻く。


「地域振興イベントでしょう。血税出さないなんて言わせないわ」

「さっすが楓ちゃん!」


足掻く。


「軌道サイクル車は美唄町から貸与合意来たぞ、来週留萌駅に届く」

「プレゼンの準備は大丈夫なんでしょうね、うずら。」

「平気だ」


藻掻く。


「この廃線跡を利用した軌道サイクリングによって、街にはコレほどの経済効果をもたらし――」

「先例はあるのかね」

「陸別町なんかどうでしょうか。あの町では何年間か旧銀河線を…」


役場を、振興局を、材料を、技師を訪ねて、道内を飛び回った。


「観客の動線は確保したんだよな、ラン。」

「感染対策ってどういうのがいいかなぁ」


運命を覆すために。


「はーい景品こちらになります!」

「こちらならんでください〜」


最前線で。


かえで、収支は!?」

「赤字なわけないでしょう。百万単位の黒字よ」

「すっ…げぇ」

「この最終報告を出した暁には。役場をあっと言わせてやるわ」


企画、運営、決算まで、周囲の大人の支援も借りつつやり抜いた。


「花火は31日打ち上げ。まだ時間はあるわ」

「なんたって全部の締めだから、ね」

「よぉっし、ここまで来たら盛大にやっちゃおーっ!」


蘭留たち四人は、遥かな空に手を伸ばして。


「「「「絶対に、やり遂げよう」」」」


そうして、その手は―――







『JR北海道、留萌線の線区について来年度は国に支援を求めないと表明』



空を切る。

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