なんちゃって・おまたせしました・さりげなく

「結局。あれってなんだったんですか?」


 いつもどおりの黄昏書店だ。つとむさんはコーヒー入れている。隣には隆司りゅうじくんがおとなしく絵本を読んでいる。もどってきた平穏に心底安心できる場所。まあ、最初から勉さんがなんとかしてくれればあんな思いをしなくてもすんだのだけど。


 傷口がうずく肩に反対の手を持っていく。傷口と言ってもそんなものは跡形もなく黄昏とともに消えていった。不思議なものだ。あれだけ騒いでいたのにも関わらず口裂け女の話題はすっかりあの町から消えていった。


 でも、亡くなった人はいなくなった。存在自体なかったことになった。それこそこの肩の傷跡みたいに。


「名前のない物語だよ。最初にそう説明したじゃない」


 おまたせしました。そう言いながらコーヒーをいれたカップを差し出しながら勉さんは呑気にそんあふうに言う。


「信じないですよ。そういう側面があるのも事実でしょうし、きっかけはそうだったかもしれない。でもそれくらいならなんな事件にはならずに人知れず収まっていたんじゃないんですか」


 名前のない物語が悪さするのは理解できる。でも口裂け女だ。一度に複数目撃されたり、実際に殺されるほどにことが大きくなるなんて自然ではありえないはずだ。でなければ、とっくにこの世界は名前のない物語に壊されてしまっている。


「まあ、わかっているんでしょう。聞いてくる以上。それにたすくくんはその力の一端に触れているし利用している」


 さりげなく、こちらがやったことを聞き出そうとしている辺やっぱり全部わかっているのは勉さんのほうじゃないかと思う。


「口裂け女はいつだって楓を襲うことはなかったんです。それだけですよ」


 最初に会った時も、決着をつける時も口裂け女は楓に興味も示さなかった。あれだけ騒いでいたのにも関わらずだ。


「だから楓が名前のない物語を創造しているんだと思いっただけです。そしてそれが出来るなら、僕の力も創造できると思った」

「そう。それが読み手の力。語り部とは違いますが物語の力に干渉できる数少ない力です。語り部と読み手は紙一重とも言われていますが一番の違いはその力をコントロールできるかできないか。楓さんは無自覚で口裂け女を誇張していってた。おそらく最初に友人の弟さんが襲われたのがよっぽどショックだったからだ。それからというもの口裂け女のことだけを考え続けていた」


 それが名前のない物語の力を増幅させ続けていたというのか。


「その結果があれってこと」

「勉さんは最初からわかってたんでしょ?なんで黙ってたんです?」


 わざとらしく驚いた表情をする辺、確信犯なのだと思う。


「佑くんが気がつくかどうかで世界の存亡が決まったかもしれないからね。最初に言ってしまったらその賭けすら出来なかった。それだけだよ」


 世界の存亡?自分にそんな重大なものがかかっているなんて信じられない。


「それって……」

「なんちゃって。深く考えないで。気がつけるかどうかの賭けを友人としていただけだよ」


 ごまかしているようにも見えるが突拍子もない話のほうが信じられない。勉さんが教えてくれないなら気にする必要はないのかもしれない。


「はぁ。わかりましたよ。で、どっちに賭けたんです?」

「お礼だけ言わせてもらうよ。ありがとう」


 それは賭けに勝てたからなのか、それとも今回の依頼を無事にこなしたからなのか。どちらにせよ差し出されたコーヒーはいつもどおり美味しくて、とりあえずは考えるのはやめようと思った。

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