第58話 言葉に敏感になる
ちょっと心身が疲れてくると、どうでもよいことを考えてしまう。
世の中、好き勝手言う人が溢れていて、それをどうしたって受け止めきれない自分がいる。かと言って反発するのかというと、それもできないで平気なフリをしている。それはそれで息苦しいかというと、そんなに悩んでないというか、悩まないことにしているという方が正解に近いかもしれない。
ふとTikTokを見ていたら、「HSPであることをカミングアウトした芸能人」みたいなのが目に止まった。あんまり深くは考えてなかったけど、ADHDとかASDとか最近よく聞くけど多分そういう類のものだろう、と何気なく読んでみた。
とある歳下の知人で発達障害であることを打ち明けてくれた子がいて、僕はそういうことに関しては抵抗がない。べつに今の世の中でそういうことを差別してはいけない風潮だからというわけではない。誰だってダメな部分もあれば、その分いいところもあると言うと綺麗事に聞こえてしまうかもしれません。
だけど、自分にだって抜けてるところや苦手なことあるし、それを鬼の首を取ったように文句言ってる奴の方がどうかしてる、って思うわけです。
話が逸れてしまったので戻しましょう。
最近はCookieとかで、こちらがちょいちょい検索してる傾向なんかがバレちゃって、動画見てて偶然見たのではなくて必然とその記事に巡りあったのでしょう。
初めは他人事のように目を通していましたが、なにやら思い当たる節がある。
・大きな音が苦手
・些細なことで大きなリアクションしてしまったり、驚いたりする
・友達と遊んでいる時間は楽しいが、帰宅するとどっと疲れている
・映画や音楽に感情移入しやすい
・他人から言われた些細なことをずっと気にしてしまう
などなど。
こういうのもあった。
・何気なく楽しそうに暮らしているが、頭の中では1日で何回もブチギレている
んー。言われてみれば、そういう気もする。
だからと言って、いつもムスッとして付き合い難い人間かというと多分真逆で、周りの人たちは「僕のことを誰とでも親しくなっちゃう人」と見ているだろう。だから接客業とかやってるわけで、それは自分自身も天職まで言うと大袈裟だが、まあ向いているんではないかと続けているのだ。
『オノダさんって、悩みなさそうですね』
このセリフはよく言われる。
それについて、なんにも悩みがなさそうに見せている自分と、まああんまり悩まないけどね、という両方の気持ちが混在している。
言ってくる相手にもよる。そう言われて嬉しい場合もあれば、「よくそんな言葉を言えるなぁ!バカにしてんのか!」と頭の中でブチギレている場合もある。
相手の気持ちも考えないで、「オノダさんって〇〇ですよね」と性格を決めつけられるのも嫌いだ。でも、そういう自分は「〇〇する人って△△だよなぁ」と他人を分析してしまう癖もある。
そんなことを考えてると、自分は我儘で性格が悪いのかなぁ、と思ってしまう。嫌われたくなくてニコニコしているけど、どこかで俺のこと嫌ってくれて結構!とも思っている。とてつもなく矛盾した考えだ。
でも、これってみんなそうなんじゃないか、と思う。それが普通なのかなぁ、とも。
僕もHSPって診断されたわけじゃないし、だから大丈夫とか、僕はそれじゃないとかではなくて。僕の中では発達障害と呼ばれるものは、病気ではないと解釈している。性格であったり、気質というか。怒りっぽい、忘れっぽい、みたいな感じなのではないか、と。
症状によって薬で緩和されたりするというのも聞く。「薬」と聞くと病気なんかと勘違いする人も多いと思うが、僕なりには頭痛持ちの人が頭痛薬を常備薬としているのと差はないと考える。
そんな簡単なもんじゃない!と、これを読んで不快に感じた人もいるかもしれない。「障害」のことを全くわかってない!と。
僕もそういうことに対しては浅はかな知識しかない、むしろあまり知らないで発言してしまっている。
そんな記事を読んだだけで、自分もそうかもしれない、と言えば簡単に考えてると思われるだろう。
僕もHSPでありたいと思っているわけでもなく、HSPなんかじゃない、そんなの俺じゃない!と否定してるわけでもない。
ただ、なんとなくその記事を読んだ時、ホッとした。
なんとなく腑に落ちる部分があったのだ。もし診断を受けたら違うかもしれない。多分、違うのではないか。でも、ちょこっとそういう気質はあのかな、と思った。
他人に言われた些細な言葉を、「この人、どういうつもりで言ってるのか」と腹を立てたり、疑ったり。時にはずっと根に持っていたり。
相手が謝罪してきたことが、「怒ってるところ、そこじゃねえんだけど」と、なぜ怒っているが伝わりにくかったり。
相手がどう受け取るかわからなくて、話をする時いちいち前置きが長かったり、また前置きが長過ぎて何を言おうとしてたかわからなくなったり。
言葉って凄く難しい。
意味は優しい言葉でも、シチュエーションやイントネーション、言う相手によっても攻撃的に聞こえてしまうこともある。こちらの意図と逆の意味で伝わってしまうこともある。一方を庇おうとすると、もう一方を責めることになってしまう時もある。場合によっては総スカンだ。
顔が見えてれば、相手の表情によって話し方を探ることができる。
でも不特定多数の人の目に触れる、こういう言葉は相手がどう捉えているかぎ確認とれない。
でも、僕はそんな危険に晒されている言葉を使う「物書き」というものを目指している。現職の販売員も、言葉を使う仕事だ。
なんで物書きなんかに憧れたり、言葉を使うような仕事をしているのか。やっぱり、そういう言葉一つに敏感であることで、ひとつひとつの言葉を大事にしてるんだと思う。それを面白いとさえ思っている。
時に言葉に裏切られたり、痛い目に遭うことはあっても、悶々と考えてしまう自分を嫌いになれない。
以前、なんで小説を書いているのかわからない、わからないから書いている、みたいなことをこのエッセイで書いた気がする。
なんの解決にもなっていないけれど、この悶々としたことを書き続けていくのだと思う。もしかしたら、答えに辿り着かなくてもいいのだと思っているところもある。
こんな駄文でも、どうやって受け止められるのだろうか、こんなこと書いたらいけないか、別の意味に取られたらどうしよう、と迷いはある。迷って気を遣っている反面、どう捉えられても結構、と腹を決めてるのが半分。
結局、何が言いたいかわからなくなってきた。
普通だけど普通じゃない、変わってるけど変わってないような人物像ばかり書いている。
いい奴と悪い奴。色んな登場人物を描いたつもりが、全て自分の中にある人物像のような気がしてならない。
ダラダラと書いてしまったが、現在、次の作品を模索中であります。とは言え、連載中の『アットホームアサシン2』が止まったままなのですが......。
多分、この調子で2023年も書き続けていこうと思ってます。
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