勝つとて、失うとて
@KAMY4
焦るとて、偽るとて
コウロゼンは焦っていた。額に汗を浮かべ、机に向かっている。次の領土獲得のための作戦を練っているのだが、もう時間がないのである。半年後には出軍だ。しかし、心配の種は相手国ではない。彼の姉、クジャクアオである。恐ろしく頭の切れる頭脳明晰な姉に常に一歩先を行かれている。次の領土拡大で手柄を上げなければ、また大きく差がついてしまう。二人そろってこの帝国の政権を握る父親に呼び出された時の言葉が頭を離れない。
「お前は勉強もよくできるし他国の王子など目でもないくらい上出来だ。二つ上の姉よりはできていない。このままだと、わかるな?」
その時のクジャクアオは感情のない紺碧の眼で床を見つめていたが、微かに口の端が上がるのを彼は確かに見た。彼らの関係は良好とは言えず、常に意見がぶつかってきた。彼女の意見は人々の感情や伝統を無視しがちだったが、同時に誰もが驚くような斬新で、なおかつ「勝てる」ものだった。コウロゼンが姉に対する嫉妬と闘争心を頭から引き離そうとしたときに、ふいに戸が叩かれた。
「コウロゼン様、お食事の時間です。」
コウロゼンは上の空で二つ返事をするとまた作戦を練り始めた。紙に字を走らせながら、ふと思った。今宵は集いではないか。
「すぐに行くと伝えてくれ。」
集いとは、二か月に一度、屋敷の者を集めて食事をし、親睦を深めるとともに会議を行ったり、政治の意見交換をしたりする場でもある。食事さえ一緒にとらないあのクジャクアオとも顔を合わせる数少ない機会である。
「なにを着ていくか‥」
箪笥を開け服を選ぼうとするが、集いとなれば一刻の猶予もない。普段の食事ならよほどだらしのない格好でなければ問題ないのだが、今日は正装しなければならない。それに遅刻とは。
慌てて部屋着を脱ぎ、着替え終えると橙色の帯を締め、長い廊下を走り階段を駆け下りる。高く積み上げられた皿を抱える仕えにぶつかりそうになり詫びながらも、大食堂の前にたどり着いた。呼吸を整え背筋を伸ばすと戸の両側にいた衛兵が押し開ける。
「こんばんは、皆さん。遅れて申し訳ありません。」
大勢を前にし、通る声で呼びかける。大多数は寛大に微笑み、父親のギンススタケはここに座りなさいと、自分と妻の間の座席をたたいた。そこに歩いて行こうと足を進めた瞬間、冷酷な碧い目にとらえられた。クジャクアオだ。ゆっくりと薄い唇が開かれる。
「またそなたは遅刻か…食う間も惜しむほど今度の遠征に切羽詰まっているのか?」
彼女の仕えの何人かがくすくすと笑う。母親のアワフジははらはらした顔で二人を見つめている。
「いえ、今宵が集いだということを忘れておりました。ところでクジャクアオ殿も遅刻なさったとお聞きしましたが?」
さっき通りかかった仕えに聞いたのだ。コウロゼンは遅れたことを必ず姉にとがめられることを知っていた。静まり返ってしまった大食堂にクジャクアオの言葉が響く。
「そなたのように帯の結び目を逆さまに締めてしまうほど慌てふためいていた、と誰が申した?」
コウロゼンは驚いて自分の帯を見る。確かに逆さまだ。赤面して直すと、父親の早く座れというまなざしがあった。
「それでは皆の者、待たせたな。大いに食べてくれ。」
ギンススタケの言葉で、部屋に食器の音と団欒の声が再び響き始めた。
「コウロゼン」
柔らかい声が隣の席から聞こえた。
「はい、母上」
薄い紫の眼を見る。
「クジャクアオのことは姉上と呼びなさいと何度も言ったではないかえ?」
一声で上流貴族の出身とわかる話し方でコウロゼンに問いかけると、母親を挟んだ席から冷めた声が聞こえる。
「よいのです、母上。わたくしもコウロゼン殿を家族とは思ったことがありませぬから。」
アワフジは声を詰まらせる。
「二人ともわたくしから生まれた立派な姉弟だというのに…」
そこに少し離れた席から野太い声で、やめんかやめんか、と近づいてくる男性がいた。ベニヒ伯父だ。彼はギンススタケの実兄で、政権争いを自らおりて各地を旅している。中立の両親とは違い、無条件にコウロゼンに味方をしてくれる力強い助っ人である。
「こらこら二人ともお母上を悲しませちゃあいかん。それにクジャクアオ、みんなの前でコウロゼンに恥をかかせたらかわいそうじゃあないか。」
クジャクアオの表情は変わらないが口は開かれる。
「なるほど興味深い。家を捨てて遊びまわり、豪華な食事の時だけ戻ってくることよりも、帯の曲がりを指摘される方が恥だと。」
ベニヒ伯父はむっとする。
「なにもそういうことを言ってるんじゃあない。君はなにかと俺の過去を引っ張り出すが、失礼だぞ、やめなさい」
コウロゼンは心の中でほくそ笑んだ。いいぞ、あいつをもっと注意しろ。
「食事の場ではないかえ、やめなさい」
コウロゼンは目を閉じて眉間にしわを寄せた。母上、なぜ止めてしまうんだ…
ベニヒ伯父もアワフジの言うことを聞かないわけにもいかず、立ち去ろうとした。しかしクジャクアオは逃さない。
「居心地が悪くはないのですか。周りの視線が気にならないほど無神経ではいらっしゃいませぬよね?」
ベニヒ伯父は振り返って口を開きかけたが、やめた。
クジャクアオがとどめをさす。
「まだ怒っておりますよ、屋敷の者は。」
伯父が立ち去ったあとも怒りの収まらないコウロゼンは、立食をしている食卓へ足を運んだ。
「これはこれはコウロゼン様、前回の集いぶりでございますね。」
元々コウロゼンの仕えだったが、妹のベニキキョウが生まれたことで担当が変わった者が話しかけてきた。
「ああ、久しぶりだな。近頃のベニキキョウはどうだ。」
「もちろん、お元気で、活発で…」
仕えは、一番小さな食卓で癇癪を起して食器を壁に投げつけているベニキキョウを横目に苦笑いした。そこに陰気な仕えが一人会話に入ってきた。クジャクアオの仕えだ。
「将来が楽しみですな」
彼女の仕えはどうも嫌味ったらしいものが多い。
「それに…コウロゼン様もお元気そうで安心しました…」
さっきまで逆さまだった帯の結び目をチラチラ見ながら言う。怒鳴ってやろうかと思ったが、女性の仕えが一人やってきて、陰気な仕えの背中をたたいた。
「あんたこんなとこにいたのかい、アワフジ様がお呼びだよ」
それからコウロゼンのほうを見るとあわてて姿勢を正した。
「これは失礼いたしました、私としたことが気づかなくて‥」
「よいのだ、そなたも一緒に食事をしようではないか」
コウロゼンは、屋敷の者のほとんどと接触できる集いが気に入っていた。もちろんクジャクアオと会うのは遠慮願いたかったが。時間がたつと、ひとりまたひとりと仕えが減り、上級の仕えと、ベニキキョウ以外の家族が円卓を囲んだ。もうだいぶ遅い。
「コウロゼン、六月の領土獲得はどうだ、順調か」
細長い食卓の上座にアワフジと共に座るギンススタケが尋ねた。向かいに座るクジャクアオも何を考えているかわからない目でこちらを見る。コウロゼンはこの目が嫌いだった。
「順調です。明日にでも作戦は練り終わります。」
負けず嫌いな性格から、真っ白に近い作戦用紙を思いながら、嘘をつく。
「本当か?」
ギンススタケはにわかには信じがたいといった目で、見る。
「ええ」
それなら、とギンススタケは続けた。
「明日昼前に二人の作戦を提出してくれ。」
コウロゼンは焦った。出せるはずがない。
「アオはもう作戦は練り終わっているだろうし、問題ないな?」
クジャクアオは答えるまでもないといった表情でうなずいた。
「ところで」
今まで黙っていたアワフジが急に話し始めた。
「ある国があり、内戦があった。自分たちの軍には10万、相手には50万の兵がある。そなたたちならどう戦うか教えてはくれないかえ?」
コウロゼンは少し眠かったが、クジャクアオよりも早くはっきり答えた。
「隊全体で一つにまとまり、相手の軍の一部に対して大きな被害を与え、外側からは人間以外の戦力で攻撃を仕掛けます。このときに兵が散って攻撃すると勝ち目はありません。」
アワフジは興味深げに、ほうと相槌をうった。ほかの視線が必然的にクジャクアオにうつる。彼女の眼はコウロゼンを見て蔑み笑っているように見えた。そして視線を外して言った。
「寡戦においての戦法を語るときに、戦地の地形や特性、さらには相手の情報なしで挑むなど考えられませぬ。コウロゼン殿のように、即答など、」
クジャクアオはここまで一気にいうと、一呼吸して再度コウロゼンの眼を見た。
「言語道断」
上級の仕えたちが、流石といった表情でクジャクアオを見た。
「愚問だったかえ、そなたには。」
アワフジが少し残念そうに言った。
「いえ、母上。私の提示した情報をいただければお答えすることはできます。」
そこでギンススタケが助け舟を出す。
「ならば、この国の北部と南部として答えてみよ。」
「承知いたしました。」
クジャクアオは北部と南部の置かれている情勢を整理すると、見事な戦法を提案した。思わずコウロゼンの側近たちからも関心のため息が漏れる。だが、コウロゼンも黙っていなかった。
「しかし」
一斉に視線が集まる。声が上ずりそうになる。
「クジャクアオ殿の戦法は民意を無視しすぎです。クジャクアオ殿の作戦ですと、約6万の兵を失ってしまいます。しかし私の戦法でいけば、犠牲は4万です。」
クジャクアオを見つめて言い切った。だが彼女の口角はいじわるく上がった。
「6万の犠牲を出し、12万の捕虜を獲得する。4万の犠牲を出し、捕虜は無し。どちらが自分の軍にとって有益か…コウロゼン殿は算数がお苦手か」
腹の底に沸いた怒りが膨れ上がるのを感じた。
「そなたの教育係は、さぞ失望しているだろうな。はたまた民衆の気持ちを考えられる素晴らしいお方だと手をたたいて喜んでいるか、、」
姉のいびりはいつにもましてひどい。コウロゼンは怒りのあまり対角線上にいるクジャクアオに、先ほどまで甘味の乗っていた皿を投げつけたい衝動にかられたが、そんなはしたない真似はできないと思いとどまった。もうすぐ日付が変わる、というときにギギススタケが集いの終わりを告げ、皆各々部屋に戻っていった。コウロゼンはクジャクアオに目もくれずまっしぐらに部屋に戻り、文机に向かった。明日の昼までになんとしても戦法を打ち出さなければ。父上の期待を裏切ってしまう。いやクジャクアオに負けてしまう。昼までに。明日の‥。
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