免罪少年

星街 琉琥

免罪少年

「なんか、最近詰まんないなー。」

いつも通りの通学路で、親友の滝沢さとしは、そんなことを言った。今までに何百、何千と往復を繰り返してきたその道を、今日も沼井は、親友の滝沢と帰宅する。何ら変わらぬ日常は、小学生にとっては、途方もなく退屈で、煩わしい以外の何でもない。

ただ、そんな家と学校を繋ぐ橋渡しに過ぎないその道で、一つ、滝沢はいつもとは違うことをしてみる。

足元に落ちていた石ころを手に取ったさとしは、何か、とても楽しそうなことを思いついた顔をしていた。

「さとしくん。どうしたの?」

沼井の問いかけに、全く反応を示さないさとし。石ころを地面に転がすと、一歩二歩と、後ろに下がる。

「まあ、見てろって。」

さとしは地面に置いた石ころに狙いを定めると、えいっと、助走をつけてひと蹴り。それは華麗な放物線を描き、数メートル先のアスファルトに着地する。

「さとしくん、それ面白そう。僕もやっていい?」

「うん、いいよ!」

そういって滝沢は、蹴った石ころを回収すると沼井に手渡す。沼井は新しいおもちゃを買ってもらったかのようにワクワクした表情で石ころを貰うと、地面に置いて思いっきり蹴り上げる。

石ころは、さっきさとしが蹴った時よりも、大きく軌道を描き落下する。そこまでは良かったのだが次の瞬間。石ころは鈍い音をたてて、道のそばで停車している車に激突してしまった。幸いにも中に人がいる様子はなかったが、高そうな車に塗装が剥げるほどの傷をつけてしまった。

沼井は、状況を理解するととんでもなく怖い顔になる。

それを見た滝沢は「バレなきゃ大丈夫っ」と軽く慰め、この事は二人だけの秘密にしようと言って、二人はその場から逃げるように立ち去った。


その後の数日間、沼井は気が気ではなかった。ちょっと先生に話しかけられるだけでも変な声が出てしまうほどには怯えていた。常に考えていることと言えば、あの時のこと。あの場所に防犯カメラはなかったか、周辺に人はいなかった、そんなことだ。

しかし、そんな沼井の心配も数日たったころにはほとんど覚えていないほどだった。

一週間後。かなりの日数が経っていたが、何のお咎めもなかった沼井は、あの時のことは誰にもバレてはいないと、高を括っていた。

けれども、それはその日の放課後のことだった。

沼井と滝沢はクラスが違ったため、いつもどちらかが教室に出向くことになっていた。運よく沼井のクラスはホームルームが早く終わり、急いで滝沢のクラスに足を運ぶ。

「まだ、終わってないのかな?」

沼井は待ちきれずに、教室の後ろの扉についている小さな窓から教室内を覗く。まだホームルームは終わっていないようだ。しかし、どこか様子がおかしい。

滝沢を含むクラスメイト全員が深刻そうな面持ちで先生の話を聞いている。何事かと、興味津々に耳を扉に立てる。

「先週の放課後、車に石をぶつけて傷をつけられたと近所から苦情がきた。心当たりあるやつは挙手しろ。」

 先生が怒った時の、怖い大人の声色で、滝沢の担任の教師は生徒たちに問いただす。

すると、「滝沢さとし君が石を蹴っているところを見ました。」と生徒の一人が声を上げる。あの時、見られていたのかと、沼井の顔は青くなり冷や汗が止まらなくなる。教師は「それは本当か」とその生徒に問いただすと、その生徒は首を縦に振る。

これはまずいことになったと、焦る沼井だったが、たった今、生徒が言っていた言葉を再度読み起こす。それと同時に沼井の心に一つの邪悪な感情が芽生える。確かあの生徒は『滝沢が石を蹴っているところを見た』と言っていた。もしかしたら滝沢を身代わりに自分だけ罪を逃れることができるのではないだろうか。沼井の黒い感情は抗う間もなくすぐさま行動へと移った。

「先生。僕も滝沢君が石を車にぶつけて逃げていくところを見ました。」

 沼井は教室の扉を開けてそう呟いた。この時、沼井は初めて滝沢のことを、上の名前で呼んだ。

自分でも最低なことをしている自覚こそあったが、そんな冷静な判断ができるほど沼井の思考に余裕はなかった。

「滝沢さん。終わったら職員室に来てください。」

 誰も沼井の言葉を疑わず、誰も沼井を怪しいとも感じず、先生のその一言でホームルームは終わった。

沼井はその場から逃げるように、滝沢の表情を確かめることもせず立ち去ると、それ以降、二度と滝沢の顔を目にすることはなかった。

 この日以来、沼井はどれだけ悪いことをしても誰にも責められず、疑われず、まるで沼井の行動すべてが他者に肯定されているような、何をしても許される。そんな体質になってしまった。

最初は沼井も、後ろめたさを感じていたが、日に日にその罪悪感情も薄れていき、いつしか沼井は悪いことをしても何も感じない。そんな人間になってしまった。


 それから数年の時がたち、沼井は高学二年生になっていた。この頃には自分の体質には、すっかり慣れていたが、同時に何をしても、誰からも何も言われないので、自分は周りに無視されているのではないかと孤独を感じていた。ちょうどこの頃から、沼井は日常的に犯罪に手を染めるようになっていった。

 最初は些細なことから始めた。

空き缶をそこら辺にポイ捨てしたり、コンビニのお菓子を一つ持ち逃げしたり。それでも特に何もなかったので、今度はあからさまに行列を抜かしてみたり、もっと高価なものをレジの前を素通りして万引きしたり、挙句の果てには学校の定期テストで堂々とカンニングをして見せた。

しかし、こんな調子で他人の気を引こうとしてきたが全く効果はなく、むしろ沼井はどんどん人の道を外れていくだけであった。


そんなある日のことだった。今まで沢山の悪事を繰り返してきた沼井だったが、全くと言っていいほど誰からも咎められなかったので、ついに何か大きなことをやってやろうと考えていた。

心の中で殺人だけはしないと決めていた沼井は、殺人以外で何か大規模な悪事がないか考えてみた。

真っ先に浮かんだのは、町中の窓ガラスを片っ端から割って回るというものだった。町の至る所に防犯カメラが備わっている今の時代、すぐに住所と犯人が特定されてしまう。

しかし、そんなことなど、何をしても許される沼井には関係のないことだ。

次第に、この悪事をやり遂げることで、自分の存在を世に示せることができるのではないかと考えるようになった。

そうと決まれば早速、沼井は行動に移した。当たり前のようにホームセンターで長めのバールを、レジを素通りして持ち出すと、次に町の下見を開始した。手っ取り早く一夜で町の窓ガラスのほとんどを割ることが目的なので、最適なルートを確認しておきたいのだ。持ち出したバールを肩にかけ、スマートフォンで町の地図を確認しながら進む。勿論、どれだけ物騒な物を持ち歩いていても、沼井には関係ない。バールを片手に近所の交番のお巡りさんに元気よく挨拶することだってできるのだ。


そしてついにその時は訪れた。真夏の夜は湿気が多く、時より肌を撫でる夜風が心地よく感じた。服装は動きやすい且つ、ガラスの破片で怪我をしないよう、全身ジャージ姿である。

深夜1時を知らせる携帯のアラームと共に、沼井は走り出すと、昼間にマッピングした通りの、道順で家の窓ガラスを割り始める。

激しい音を立てながら砕けたその窓ガラスは、光の結晶となって辺りに散らばる。勿論、寝ている人をガラスの破片で傷つけるわけにはいかないので寝室は極力避けて、割る前は周りに人がいないかを確認してから割っている。三件目の家の窓ガラスを割ったところで、騒音に目が覚めた家の主が玄関に出てきたりもしたが、沼井の姿を目撃しても顔色一つ感じず、何も見つけられなかったような表情で室内に戻っていく。沼井はまるで自分が、透明人間になったかのような錯覚に陥ったが、今となっては慣れた感覚でもある。

そんなことを考えながらも、沼井は作業を続ける。一枚、また一枚と、窓ガラスを割っていく。かつてない罪悪感が心にしみるが、同時に心地よくも感じる。自分が罪を犯すたびに、誰かが自分に注目してくれているような、狂気じみた興奮を感じる。

回数を重ねるごとに手際が格段に良くなっていく。2~3時間ほどかかるつもりだったが、ほんの一時間半でほぼすべての家の、窓ガラスを破壊することができた。後は、最後の一枚の窓ガラスを勢いよく粉々にしたところで、沼井の目的は達成される。沼井は両手でバールを構えると、一度深呼吸をして、それから勢いよくバールを振る。ひときわ大きな音を立てて飛び散った、窓ガラスは沼井の目標の達成を意味した。


それから少し時間が経って午前6時。町を一望できる建物の屋上で、沼井は、人々が夢から覚めるのを眺めた。人々の表情にワクワクしながらも内心、結末は想像できていた。

町は大パニックになった。それもそのはず、朝起きたら家の窓が割れまくっていたら普通驚く。

しかし、それだけであった。

警察署に駆け込むわけでもなく、犯人捜しをするわけでもなく。

やがて、何事もなかったかのように日常は再開されたのだ。やはり沼井の悪事は誰にも認知されない。先ほどまでの達成感はすでに微塵も残ってはいなかった。

沼井はどこか煮え切らない表情を浮かべると、バールを大通りのそばの茂みに投げ捨て家に帰った。


その日の学校は、町中の家の窓ガラスが割れていた、という話題で持ちきりだった。

なんでも『日本に接近している台風のせい』なんだとか。今朝のニュースでは、台風は沖縄のさらに南の方にいた気がするが、どうやって東京の町に猛威を振るったのだろうか。勿論そんな疑問を抱くものは沼井を除き、誰一人としていなかった。

その日の学校も平和的で、日常的で、特に何か特別なイベントが起こることもなく、計六時間の授業を終えるとそのまま家に帰った。

そんないつも通りの日常の再開に、イレギュラーが発生したのは、その日の夕方のことだった。お茶碗を片手に家族と夕飯を共にしていると、ふと目を引いたのはテレビのニュース番組に映し出された、見覚えのある場所。

『今朝、八玉市市内の国道で、給油車を含む自動車四台の爆破事故が発生しました。この事故による重傷者は七名、軽症者十二名、死者は・・・。』

「この近くか。怖いなぁ、最近何かと物騒で。」

 父親の声がニュースの音声を遮って、その先が上手く聞き取れなかった。

 ただ、体中の体毛が逆立つような感覚と、冷や汗にも似た悪寒を感じ、おかずを取った箸の動きを止める。

『警察は路面に落ちていたバールが事件の原因とみて捜査すると共に、防犯カメラの映像から所有者の特定をする方針です。』

 ニュースレポーターがたった今読み上げた一言。この一言を聞いた沼井は、突如として後悔の念にさいなまれた。

この一文さえ聞かなければ、またいつも通りの変わらない日常を送ることができたであろう。

けれども、それはもう叶わない。平凡な未来の想像が泡沫となって消えていく。


箸から酢豚が転げ落ちる。


 沼井は立ち上がると家を出て、夏の夕日を走り出す。理由はただ一つ。本当に自分の行いが人を殺めてしまったのかを自分自身の目で確かめたかった。

日はまだ落ち切っておらず、黄金の光が目を焼く。日中の暑さがまだ滞留しており、灼熱の熱気が肺を焦がす。道を横断するカゲロウを踏みしめて、ただひたすらに走る。

ここまで心の底から何かを知りたいと思ったのは初めてだった。それゆえに足を止めることができない。好奇心や怖いもの見たさとは違う。自分のせいではないという安心が欲しかった。自分は誰も殺していないという証拠が欲しかった。

たとえそれが逆に自身の心を破壊するものだったとしても。

ただそれだけの為に、少年は走り続ける。息を切らし死ぬ気で走ったその先に。ついに沼井は例の場所へとたどり着いたのだった。


そこにあったのは、事故を生々しく描くブレーキ痕。車両は撤去こそされていたが、確かにこの場所に数台の車両が重なって存在していたと、思わせる黒い痕跡。そして、そこら中に散らばる無数の光の粒。飛散したガラス片は、日が沈んだ世界で地面にきらめく星を見せる。

その場にあった全てがこの場所で起きた事故の存在を肯定していた。一目見ただけで、間違いなく車を運転していた人たちは死んでしまったであろうと感じるほどの、酷く凄惨な痕跡が残っている。

間違いない。ニュースで見たのは確かにこの場所だ。そして今日の、まだ日が昇るか昇らないかの時に、バールを投棄したのもこの場所で間違いない。

近所の人もニュースの記者もすでに撤収していて、辺りには数人の警察官だけが残っている。

沼井はバールを投げ捨てたはずの茂みを見つけると、犬のように駆け寄り、草を左右にかき分けて必死にバールを探す。身長の三分の一ほどの大きさのバール。それほど探すのに時間はかからないはずだが沼井は時間をかけ念入りに探す。同じ場所を何度も何度も何度も。草むらを切り開いては閉じて、を繰り返す。

しかし五分ほど経ったころには、沼井は探していた手を止めて悟りを開いていた。ここに探していたものはない。あるわけがないのだと。

目の前が真っ暗になり呆然としていると、ふと全身が眩い光で照らされた感覚と共に、肩に手が乗せられる。驚いて振り向くとそこにいたのは懐中電灯を持った一人の警官だった。ついにこの時が来たかと、覚悟したが警官は優しい声で一言。

「君。今日はもう遅いし親も心配しているだろう。帰りなさい。」とだけ言い残しその場から去っていった。警察官のその優しい声と、高校生にもなる少年を心配する情け深い心に、沼井の心は罪悪感ですりつぶされていく。

今にも、ぐちゃぐちゃになった心の残骸を、吐き出してしまいそうだ。

この体の重さはさっきまで走っていた時の疲労の蓄積か。それとも、心が砕けて抜け殻のようになってしまったのか。そんな問いに対する答えも、ろくに出てきやしない。それほどまでに頭も回っていないのか。

 沼井は、やっとの思いで立ち上がると、ふらふらとした足取りでその場を去る。とにかく、一刻も早く、その場から離れたかった。


 そこからの記憶はあまりない。絶望と憔悴の混ざった足取りで夜遅くまで町を徘徊し、これほどのことをしてしまったにもかかわらず、探しに来た母親は『心配したんだよ。』と沼井のことを抱きしめた。疲労と涙と心からの罪悪感が、沼井に今までにやってきた悪事の全てを、母親に白状させたが、相手にされず軽くあしらわれてしまった。

今まで沼井を守ってきた体質は、今となってはただただ無情な、一人で抱え込むには、あまりに大きすぎる罪悪感を与え続けるだけのものとなっていた。


 次の日。なかなか起きてこない沼井を心配し、部屋に起こしに来た沼井の母だったが、そこに沼井の姿はなかった。驚いた沼井の母はふと机の上に置かれた一枚の手紙を見つけるとその中身を開いた。


『罪を償うということは、人に決めてもらった罰をただ受けることではなく、自分自身が真に償うべきものを理解し己を正当に裁くことであった。ただ、こんな簡単なことをはき違えたばかりに。

これから私は人のいない所で生きる。己の罪を償うために。今まで育ててくれてありがとう。これからも末永く。』


 それから沼井は二度と戻ってくることはなかった。

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