一方通行

おにやは朝に起き、エスプレッソコーヒーを淹れ、冷めて飲める温度になるまでそれを放置する。空いた2時間のスケジュールを確認した彼は、ベランダに繰り出し、東雲と、丸い朝日をそのサングラスに収めると大きく息を吸い込んで伸びをする。


彼にとってこの高層マンションは愛の巣だった。


「はんじょう、特性の野菜ジュースだよ……」と、おにやは如雨露を傾けると、白く照り返るはんじょうの植木鉢に注ぎ入れた。少し萎びたはんじょうはそれを無言で受け入れると、みるみる内に元気を取り戻して、何度目かも解らない異議を呈する。「おにや、もうやめよう……」


植木鉢に咲き誇る向日葵の、その花弁のみがはんじょうの顔にすげ変わっている。彼はおにやに「管理」され、「生かされて」いる。けれども、おにやはその言葉を聞き入れる事は無かった。都合の悪い言葉を悉く無視してしまう。シャットダウンされる。彼は自身を肯定する言葉しか聞き入れる事が出来ない。この場には被害者しかいなかった。だからはんじょうは「それ」を受け入れるのだ。最も、受け入れようが受け入れまいが、結果は同じなのだが……


「はんじょう」おにやはサングラスを掛けている。しかし、はんじょうには涙に滲むおにやの双峰がありありと浮かんで見える。おにやははんじょうの植木を持ち上げると、室内に戻ってゆく。ダイニングテーブルに置いて、エスプレッソを啜ると、彼は滔々と語り出した。


「産卵には後何か月かな? 今日の水には死んでしまった君の脳漿をミックスしたものを使ってみたんだ。僕は今日も元気でいるよ。だからね__」


また始まった。とはんじょうは思った。稚児がぬいぐるみにするが如き一方通行のディスコミュニケーション。


__何時からだろう? そうはんじょうは考えた。オリジンの「はんじょう」が死んだ。それはおにやにとって自らの肯定者が居なくなった事を意味した。降りかかる否定の言葉。おにやはその全てを自己肯定の言葉に脳内変換して、そして、壊れてしまった。


裕福な親の仕送りを糧に、高層マンションの最上階に引きこもる死んだ日々。彼がベッドに隠される様に落ちていた一粒の種子を見つけるのは当然の帰結だった。


「これは……?」おにやは先輩から譲り受けたシャンデリアの黄ばんだ様な暖色に透かす様にして仰ぎ見る。その日、おにやは初めて外に出た。出て、植木を買った。


はんじょうを手入れるおにやの手際は明らかにこなれている。霧吹きを巧みに振りかけて、ペーパータオルでそれを拭き取り、氷や肥料を適切な位置に埋め込む。その熟練のテクニックに、はんじょうは情けなく絶頂した。


「__っ、ふぅ……」はんじょうの顎が割れて、小さな種子が滴り落ちる。おにやはそれを誇らしげに拾い上げると、そっとついばむ様なキスをした。「__これで、又一緒に居られる」


ドアの外にはおにやを案ずる加藤純一、そして馬場豊が居る。彼らの叫び声も、厳重なドアの前にはかき消されて、そしてもしかき消されずとも、おにやはそれを聞き入れる事は無いだろう。決して。そして彼らは警備員に捕らえられて、終ぞ現す事は無い。


はんじょうはおにやを見上げた。気付けば涙を流していた。彼は度々嘆くのだ。「愛してるよ、おにや」と。おにやはそれを虚ろな目で見つめる。

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