糸電話は声をつないで
麦野 夕陽
1話完結
いつからだろう。毎日おなじ夢をみるようになった。
真っ暗闇にわたしが立っている。地面も空もわからない。黒く塗りつぶしたような世界。自分の身体だけが浮かびあがって見えるだけ。手のひらを確認するように下をむいて気がついた。
白い何かが、物体がおちている。ちょうど足元。
しゃがみこんでよく見れば紙コップだった。何の変哲もないシンプルな、悪く言えば面白みのない紙コップ。
座ったままひろってみる。360度観察すると、底にしっぽのように何かのびている。
糸だった。これまた何の変哲もない白い糸。家庭科の裁縫の授業でつかいそうな糸。
見れば、ずっと先まで続いている。さっきまでは何もなかった空間に糸がのびている。白く浮かびあがってはいるが、限度はあって数メートル先からは闇にまぎれてみえなくなっていた。
出来心だろうか、夢のせいだろうか。わたしは何ともなしに紙コップを耳にあてていた。
──聞こえる。なにか、聞こえる。
それは、赤子の泣き声だった。それも今産まれたばかりの、産声のような。糸をつたって聞こえてきた。紙コップが震える。
そこで、目が覚めた。
暗闇にわたしが立っている。また同じ空間。同じ糸電話。
今日は、幼い女の子の楽しそうな声が聞こえてきた。言葉として成り立ってはいるが、なにを言いたいのか意味をよみとれない、子どもの未熟な話し方。おそらく、保育園でならった童謡の話をしている。自慢するように歌をうたう。
「♪♪ あれぇ、もしもしぃ」
こちらに語りかけている。紙コップを耳からはずし口にあてる。返事をしようとした。「上手だね」と。けれど夢の中のためか声が出てこない。喉に力をこめても一言もでてこない。もどかしさを募らせた。
そして目が覚める。
次の日もまた夢を見る。糸電話を、つなぐ。
昨日よりも相手の話し方がしっかりしていた。例えるなら、小学生くらい。
「学校で鼻歌うたってたら、その曲わたしも好き!って! 友だちできた! ♪♪」
聞こえてきたメロディには覚えがあった。ツインテールが特徴的な少女がうたう曲だ。私も大好きな歌。その少女を好きになったきっかけの曲。
この子もきっと、その少女が、音楽が好きなのだ。顔は見えずとも楽しそうな歌声からわかる。心の中で一緒にメロディをなぞった。
夢のなかの糸電話の先にいる女の子は、日に日に成長していった。
いつだって楽しそうに、糸電話に語りかけていた。
「今日は卒業式でした!」
「明日は、中学校の入学式です! 制服だ〜」
ある日までは。
その日もいつものように紙コップを耳にあてる。女の子の一日の報告が少し楽しみになっていた。こちらまで笑顔になるような明るい声。
なのにその日、いくら紙コップを耳にあてても声がしない。糸がたるんでいるのだろうか。ピンと張っても、つなぎ目を調整しても何も聞こえない。
ひとことも聞こえないまま、夢からさめた。
同じ夢をみる。しかし、声がしない日々がつづく。それでも紙コップを耳にあてる。糸電話の先の女の子が元気にしているのか、気が気ではなかった。日に日に不安はつのっていく。
その日も座ったまま目を閉じて糸電話をつないでいた。今日もこのまま、なにも聞こえないまま、目が覚めてしまうのだろうか。
ふと、声が聞こえてきた。話し声ではない。それは、泣き声。
いつかの産声ではない。悲しみにくれて泣いている声。
泣き声はどんどん大きくなる。楽しげな声とはほど遠く、心の内を訴えるような、そんな声。
胸が押しつぶされそうになる、悲痛な涙。
大きくなった泣き声は叫びにかわる。その瞬間、声がぷつりと途切れた。
糸をピンと張る力が抜ける。見れば糸が地におちている。
切れてしまったのだ。唯一、あの子と私をつなぐ糸が。
このまま目が覚めてしまえば、もう二度とこの夢はみられない気がした。
そんなの、そんなこと。
紙コップをそっと地面におく。そして、糸がつづく方向へ歩きだす。
糸のすぐ隣を、踏まないように動かさないように歩く。
糸電話で返事ができない、声がでないならば、会いにいけばいい。糸の先には必ず相手がいるのだから。もっと早く気づくべきだった。
長い長い暗闇を歩く。途中で目が覚めないことを祈りながら歩きつづける。
1キロメートル、2キロメートル、数えられない、わからない。
「どうかそこにいて」と願いながら歩をすすめる。
どれくらい歩いただろう。糸の切れ目が見えた。そしてすぐそばに何か転がっている。
拾いあげると小さなぬいぐるみだった。ブルーグリーンのツインテール少女のキーホルダー。チェーンがちぎれている。
顔をあげると少し離れた場所に切れた糸電話と、制服姿の女の子がしゃがみこんでいた。ひざに顔をうめていて表情は見えないが背中が震えている。泣いているのだ。
ゆっくり歩みよると、女の子のそばには学生かばんとノートが転がっていた。
ノートのページが破れている。描かれているものはすぐにわかった。あのツインテールの歌い手だ。
破られたページの片方は、女の子が手に握りしめていた。これはきっと、自分で、破いたのだ。あのキーホルダーも、自分で、投げた。
女の子の前に屈む。
私の存在に気づいた女の子がゆっくり顔をあげた。
ぐしゃぐしゃの泣き顔でもはっきりわかった。
「──あなたは、私だったんだね」
夢の中で、初めて声をだすことができた。
そこで思い出す。ずいぶん久しぶりに自分の声を聞いた。──現実も含めて。
──あの子ずっと歌ってるよね
──知ってる? あの歌、オタクが好きな曲なんだよ
──え〜きもちわる〜い
私は、自分の声に蓋をした。二度と、歌えないように。
バカにされないように。
自分の大好きなものを、貶されないように。
糸電話の糸を切るように、自分の声を、切った。
私は小さく歌いだした。ずっと歌いたかった歌を。大好きな歌を。
久しぶりの自分の声を確かめるように。自分が大切にしていたキーホルダーを優しくつつみこんで。
歌声がもうひとつ重なる。目の前の泣き顔の女の子が歌っている。
かつての私。
女の子がメインメロディを歌い、私は別のメロディを歌う。大好きな曲、ハモリを練習した過去。暗闇にふたりのハーモニーが響く。
歌うことって、こんなに、楽しかったっけ。
そうだ。楽しかった。こんなに楽しかった。
思い出した。やっと、思い出した。
過去の自分のことも、大好きな歌も。
気づけば涙があふれていた。目の前の女の子とふたり、一緒に泣いている。
名残惜しくも、歌が終わる。
目の前の私がほほえむ。涙がかわいた顔で、優しく笑う。
真っ暗闇だった空間がどんどん明るくなり、あたりが真っ白に光る。まぶしさに思わず目を閉じると、次に開いたときには自分の部屋のベッドの上だった。
上半身をおこし、喉に手をあてる。寝起きでカラカラの喉。
「……あ…………」
声が、でた。ずっと出ていなかった声。出せなかった声。中学生だったある日、突然失った声が。
「また、歌える──」
そのことに声が震える。涙がこぼれる。
まだ朝早く、外が薄く明るくなってきた時間。自分の部屋のタンスを開ける。全然使っていない引き出しの奥を探れば、出てきた。目に入らないようにずっと仕舞いこんでいたものたち。
チェーンのちぎれたキーホルダー、破れたイラスト、糸が切れたふたつの紙コップ。保育園児の頃につくった糸電話。
私はテープを取りだして糸をつなぎ合わせる。きっと糸電話としてはもう機能しないけれど。
キーホルダーとイラストもテープで修復する。
「もう忘れたりしない」
そうつぶやいて、まだかすれる声で鼻歌をうたい部屋の扉を開けたのだった。
糸電話は声をつないで 麦野 夕陽 @mugino
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