5.キャンプ一日目(ハイキング前に不穏な空気)-1

 バスが走りだして一時間半弱。ほぼ予定時刻通り目的地へ到着した。

 途中の休憩でちょっとしたもめ事が数回起きたが、大した事ではなかったので詳しい説明はしない。

 ただその事で、龍治は疲労を少々感じ始めていた。


「龍治様……」

「あー、大丈夫大丈夫。だからそんな顔するな、柾輝」


 起こるべくして起きたいさかいである。確かに疲れはあるが、気にするだけ損と云うもの。

 二泊三日の遠出を一学年全員で行っているのだ。普段より気分が高揚して当たり前、いつもなら気にならない事が我慢出来ないのは仕方がない事だ。

 小競り合いが起きた場合。喧嘩が起きた原因追求よりも、その場をとにかく静めてしまう方が早いと龍治は考えている。

 常日頃からやんちゃ行為をするような奴ら相手なら、お灸を据えるくらいはした方がいい。しかし場の雰囲気に当てられてやらかした子の場合は、「それはやめなさい」と止めればあっさり正気に戻って自分の行動を反省するものだ。実際それで済んでいる。

 その数がちょっと多かっただけで。


「黄門様の印籠になったような気分だけど」

「水戸のご老公様になった気分ではないのですか?」

「俺が出た途端パッと終わるからな。印籠だろ」


 ご老公はもめ事の前に出て行っても、「田舎爺の分際で生意気な!」とか悪役に罵られる事が度々ある。しかし印籠はその場へ出た途端、全員恐れおののくのだ。

 龍治が出て来た瞬間に「しまった!」と顔色を青くして争いをやめる子たちにとって、龍治は水戸黄門と云うより印籠ではないかな、と思うのだ。


「……あんまり水差すのもどうかって思うんだけどなぁ」

「そうでしょうか? 喧嘩はする方が悪いと思います」

「火事と喧嘩は江戸の華って云うじゃないか。盛り上がりに水を差してる気もする」

「龍治様……」


 何故だか僅かに切なげな色を見せながら、柾輝は、


「気にしすぎです」


 ――キッパリと云い切った。それも真顔で。

 一刀両断の勢いで云われてしまったので、龍治は「そ、そうか」と納得の言葉を云うしかなかった。


「ただいまー。あれ、どうしたの?」


 お手洗いに行っていた玲二が戻って来た。柾輝にタジタジしている龍治に気付いたのだろう、首を傾げながらそう云った。


「いや、何でも」

「龍治様のお心配りの深さについて少々」


 間違いではない気がする。

 玲二は分かって無い様な顔で「ふーん?」と云っていたが、すぐにぱっと楽しげな顔になった。


「早く出発したいねっ。僕、ハイキングって初めて!」

「そうなのか?」

「崖を登らされた事はあるんだけど」

「そ、そうなのか」


 齢十にして、中々ハードな経験をしているようだ。

 崖登りはしたけどハイキングはまだ、と云う人は珍しいのではないだろうか。禅条寺家の教育方針なのであればとても怖い。岡崎家といい勝負だ。

 かく云う龍治は崖を登った事もなく、山に入る事すら初めてである。

 家族旅行で高原や森に行った事はあるが、その近くにあった山には入らせて貰えなかった。危険だからと云うのもあるだろうが、両親としては、せっかく家族で旅行いきぬきに来てるのにわざわざ疲れる事をしたくない、と云うのもあったかも知れない。


(まぁ、ゼンさんの記憶にはあるんだけど……)


 別にゼンさんはアウトドア派な人ではない。自然を嫌ってはいなかったし、テレビで雄大な景色を見るのは好きだったようだが、自ら行きたいかと云われたら首を横に振る人だった。

 アマゾンはテレビで見るもの。大自然は映像で充分。実際に行ったら死ぬ、と云う感じだ。


(インドア派の文系にありがちだな……)


 ゼンさんの記憶にある山登り及びハイキングは、今回の龍治のように学校行事によるものだった。小中学校の記憶を漁ると、林間学校の記憶が出てくる。

 龍治と同じく、自然豊かな山にバスで来て、川で遊んだり強制的にハイキングさせられたり、カレーを作ったりキャンプファイヤーを囲んだりしている。

 なかなか楽しい記憶なのだが、強制ハイキングだけ酷い事になっていた。

 ゼンさんは特別ひ弱でもなければ運動音痴と云う訳でも無い。極普通な体力と能力の持ち主だったように記憶は語る。体力テストでは平均よりちょっと上、くらいの成績を取っていた。

 しかしそのゼンさんが、途中でひぃひぃと息を荒げ「もうやだ吐く」と云って泣きながら山を登っている。凄い所を登らされたなゼンさん、と龍治は思わずにはいられない。

 険しい坂道など、出っ張った岩に足をかけ、ロープを掴んでぜいぜい云いながら登ってる。そして泣きながらヘロヘロになりながら、それでも最後まで登り切り山頂でぶっ倒れたゼンさんは凄いと龍治は素直に思ったし感激もした。

 不撓不屈ふとうふくつ。自分も彼女のように、最後まで諦めない人間になりたいものだ。

 前世と違い、龍治たち向けに先生方が用意したハイキングコースは、そのような過酷なものではない。

 景観を壊し過ぎない程度に整えられた九十九折つづらおりの道を、景色を楽しみながらのんびり歩く、と云うものだ。距離はそれなりにあるが、途中で休憩所がいくつも用意されているし、傾斜が高くないので子供やご老体向けの爽やかコースとでも云うのだろうか。

 ――ゼンさんの記憶が「ズル……舐めてんのか」と冷ややかに云った気がする。今「ズルい」って云おうとしなかったか? この記憶。


「今回の希望者は僕らと二班だけだそうですね」

「勿体ないよな」

「だよねぇ。せっかく山に来たんだから登らないと!」


 しかもこのハイキング、希望者のみである。

 上流階級の子女の皆さんは、汗を流しながら山道を登るなんてしたくないそうで。毎年、山頂付近にある宿泊施設へはロープウェイで行く子供がほとんどだった。

 わざわざハイキングをするのは、龍治のような変わり者か、玲二のようなお家の教育方針が荒っぽいかのどちらかである。


(うちも反対はされたんだけど、押し切ったんだよなー)


 母からは「山道を歩くなんて危ない事、させられません」と切なげな顔をされ、父からは「怪我をしたらどうするんだい」と苦り切った顔をされたが、自力で登るったら登るんだと駄々を捏ねた。それはもう盛大に。

 柾輝の目が生ぬるかったが仕方ない。穏便に説得なんてしようとしても、過保護親バカな両親には効果が薄いのだ。こちらを丸め込もうとしてきて、むしろ分が悪い。

 いっそごねた方が希望を通しやすかった。それもそれでどうなんだ、と思わなくもないが。

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