3.幸子伯母さまと喫茶デート-3

「で、龍ちゃん、話って何? うちのがまたなんかやったぁ?」

「やらかしてるのは毎度の事ですので、いちいち云いませんよ」

「ごめんね。悪い子じゃないんだけど、悪意はあるのよ」

「伯母様、フォローになってません」


 ほほほ、と品よく幸子は笑う。

 もう、と呟きながら、龍治はカフェオレと一緒に注文したクリームロールにさくっとフォークを差した。たっぷり詰まったクリームとふかっとしたスポンジを口に入れると、強い甘味が口に広がる。このダイレクトさが良い、と龍治も伯母も思っていた。

 龍治も伯母も、育ちのお陰か舌は大変肥えている。しかしグルメではない。美味しいと思うものは美味しいとはっきり云う。

 例えそれが、上流階級の人間からすれば安すぎて顔を顰める様なものであってもだ。

 彼らにとってはファストフードなど論外である。人の食べ物ではないとさえ思っているだろうし、そう考えるようになる環境で生きているのだから仕方がない事だ。

 そのような中で、伯母は幼い頃から“そう云う食事”に興味津津だったらしい。隙を見て抜け出して、とあるハンバーガーショップでハンバーガーとシェイクを食べて一気に目覚めたそうだ。「こんなに美味しいものがあるなんて!」と。

 しかし周りに同調してくれる相手はいない。むしろ、「そのように下賎な物を口にするなんて!」と叱責される始末。

 伯母は長い間、仲間のいない寂しさを抱えていたのだ。

 長い孤独の末、甥っ子が――前世記憶有と云う反則技とは云え――同じ嗜好持ちであったなら、それは可愛かろうなと龍治でも思う。幸子からもベタベタに甘やかされている自覚はあった。


「最近じゃ反抗期真っ盛りでねぇ。母親の云う事なんて聞きやしないのよ」

「そうなのですか?」

「内心じゃ口うるさいババア呼ばわりだと思うわねぇ。まったく、皆して甘やかすから」

「風祭のおばあ様もですか?」

「あのばーさん、むしろ甘やかし筆頭よ。私の事はさーんざんいびって来たくせに」


 龍治の記憶にある“風祭のおばあ様”、つまり眞由梨の父方の祖母は、躾けに厳しいお局様のようなおばあ様、と云う印象だ。龍治自身は叱責された経験はないが、風祭の者が厳しい言葉を浴びせられているところを何度か見た事がある。


「そりゃ龍ちゃんの事は可愛いわよ。うちのお母様そっくりだし、優秀だし、優しくて良い子だし」

「そうですか?」

「そうそう。お義母様たちの世代にとって、うちのお母様って憧れの存在だったのよぉ。アイドルって云うの? 高嶺の花ーみたいな。お友達になりたい、親しくなりたい、って熱烈に思ってたお嬢様が山といたらしいから。まぁ娘の私から見ても、美しくて気品があって優しい方だったわね」


 確かに肖像画で見たお祖母様は美しい方だった。顔貌かおかたちは母のクローンだと思っている龍治からすれば、「お祖母様そっくり」と云う評価は疑問だ。色は確かにトレースしているけれど。


「って、話がそれちゃったわね。で、話って眞由梨の事じゃないの?」

「あぁ、えっと眞由梨の事なんですけど――」


 龍治は今日学校であった事や、眞由梨が本気で自分を「龍治の真の婚約者」と思っているのではないかと云う危惧を伯母へと伝えた。

 話している最中うんうんと頷き、たまにチーズケーキやカフェモカを口に運んで黙って聞いてくれていた幸子は、話が終わると「あー……」と気の抜けた声を上げる。


「ごめん、それ、私のせいもあるかも……」

「えっ」

「正確に云えば、こうして龍ちゃんと仲良くしてるから?」

「あー……」


 龍治もまた、幸子と同じ気の抜けた声をあげた。


「勿論、一番の理由は莫迦旦那を始めとした風祭の人達のせいだと思うわよ? 散々甘やかして、眞由梨をけしかけてるしね」

「本当ですか?」

「本当よ。ったく、あの莫迦。私を嫁に貰えただけで満足しときなさいって話なのに、欲張って自分の娘まで綾小路に押し込むつもりなのよ?」

「それは……父が許さないでしょう」

「許さないって云うか、もうバッサリ切られてるわよ」

「えっ」


 それは初耳だった。

 驚く龍治に、溜め息を交えながら伯母は続けた。


「花蓮ちゃんが婚約者だって発表された後にね、お祝いに行くとかいいながら、うちの眞由梨の方が相応しいとか売り込みに行ったのよね」

「あーぁ……」

「あら龍ちゃんったらお察し顔。でもその通り。治之にね、きっぱり云われたのよ。「君の所には私の姉である幸子を行かせた。なのにまた君の娘を龍治の嫁に取れと? 綾小路にとって君たち風祭は、そこまで必要な対象ではない」って」

「うっわぁ……」


 つい口から苦い声が漏れる。

 諦めの悪い風祭伯父に対してか、それとも、姉の嫁入り先を「必要じゃない」と切り捨てた父に対してか――両方だろうと自覚して溜め息をついた。


「ま、私が風祭へ嫁に入ったのは、時勢とか各家の事情とか色々絡んでたからねぇ。治之にとっては、姉の私さえ無事ならそれでいい、くらいの気持ちよ。いざとなったら私を出戻りさせて風祭潰すくらいするわね。あの子、あぁ見えて……って云うか、見た目通り怖いから」

「その父をあの子呼ばわり出来る伯母様も怖いですよ」

「だって唯一の姉弟だもの。強気にもなれるわよぉ」

「はぁ……」

「私だってあの莫迦旦那に愛着がない訳じゃぁないし、産み育てた子供達は可愛いから、弟にそんな事して欲しくないけれど」

「俺も良心がとがめるので止めて欲しいです」

「本当にね。でも、うちの莫迦旦那もいい加減どうにかしないと」

 

 大きく溜め息をつく伯母に、龍治は首を傾げる。

 伯母は僅かに疲労を滲ませながら、流し眼で龍治を見た。


「治之にばっさり切られたのに、諦めきれないのね。眞由梨をけしかけてるのは、龍ちゃんさえなびいてくれれば、花蓮ちゃんと婚約解消、うちの眞由梨を真の婚約者に、って考えてるからなの」

「伯母様の旦那様に対してなんですが……殴っていいですか」

「私がもうぶん殴ったわよ」

「さすがです、伯母様」

「それでも諦めないのよね。その根性、別の事に使って欲しいわ。旦那以外の連中は、「可愛い眞由梨の初恋を叶えてあげたい!」とか変な方向に面倒くさくなってるし」

「め、面倒くせぇっ……!」

「まったくよ。それで、まあ、私と龍ちゃん仲いいじゃない? 眞由梨もそれは知ってるから、誤解と思い込みに拍車をかけてる気がするのよね」

「あぁー……」


 伯母とは食友しょくともと云う奴なので、伯母甥関係を横に置いても仲がいいのだが。

 自分の好きな相手と自分の母が仲良しならば、いらぬ期待を抱くのも仕方がない事だったか。


「……伯母様と食事やお茶を共に出来ないのは、辛いですが」

「私も辛いわ龍ちゃん……。龍ちゃんだけが私の同士なのよ……!」

「伯母様……!」

「龍ちゃん……!」


 思わず互いの手を握り合った。伯母と甥ではなく、さらに同い年であったなら、別れを惜しむ恋人のように見えたかも知れない。

 実際は味覚の近い食友との一時の別離を嘆く、庶民舌食いしん坊ズなのだが。「カフェ・ド・マリエ」ともしばしの別れだ。哀しい。


「……しばらく、会うのは控えましょう」

「えぇ。本当に辛いけれど……眞由梨が目を覚ますまでは……!」

「父に気付かれない程度に、うまく彼女を拒絶してみせます……!」

「お願いね龍ちゃん……。あの、世の中全部自分の思い通りになるって思ってるから……、現実、思い知らせてあげて頂戴!」

「お任せ下さい」


 母親なのに娘の教育甥に任せるな、と思われるかも知れないが。時には他人が知らしめる必要があるのだ。

 さらに云えば、幸子は娘が憎いわけでも可愛くないわけでもない。男三人の後に生まれたたった一人の娘と云う事で、むしろ溺愛してる節さえある。

 しかしその溺愛は、周囲のせいで甘やかしの方向へ行かなかったのだ。

「ここで私まで甘やかしたら、娘は将来大変な事になる」と我が子の為に心を鬼にし、自ら悪役になると決めた人なのだ。

 善人ぶるのは誰にでも出来る。誰だって自分をよく見て貰いたいし、褒められたいと云う欲求があるからだ。しかし大事なモノの為に、自ら悪者になれる人は少ない。

 伯母はそう云う意味でも、龍治にとって尊い人だった。


(俺も大変だけど……伯母様や眞由梨の為にも、目を覚まさせないとなぁ)


 ほったらかしにして善い問題ではない。近いうちに手を打たなければ。

 別に、邪険に扱われた花蓮や柾輝の仇も一緒に討とう、などとは思っていない。勿論思っていない。そんな外道な事を、この綾小路龍治が思う訳がないだろう。

 ただ、ゼンさんの記憶が――


「ははは、そう云う小娘は放っておくと付け上がるからね! そろそろ圧し折っておいた方がいいよ! 皆のためにも! 将来のためにも! 本人のためにも! お姫様症候群いい加減にしろ!」


 と、かなり私情に走っているので、この荒ぶる記憶を鎮めるためにも頑張るかぁ、と龍治は思うのであった。

 それはそれとして。

 前世の自分、お姫様症候群女に苦労したのだろうか。私怨がすごかった。


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