219 選ばなかった未来は

 田中は無事だろうか──ふとそんな事を思って京子は手を振る。

 別れる前に決めた、『こっちへ来て』の合図だ。けれど少し待っても彼は姿を見せなかった。

 空間隔離かくりに入る直前に右手を上げて『事務所へ連絡して欲しい』の合図を送ったが、それが届いていたかどうかは微妙な所だ。


 東京駅は何事もなかったように、いつも通りの日常が流れている。

 しのぶの姿も消えていて、松本も視界には入って来ない。崩壊した隔離壁かくりへきの気配が満ちていて、そこから追う事も難しい状況だ。


 時間はもう夕方の五時に近かった。隔離壁の耐久は15分程だろうと言っていたが、実際は30分近く中に居たようだ。


 足元に転がるコーヒーの缶を拾い上げて、京子は側のゴミ箱へ捨てると長い溜息を吐いた。


「忍さん……」


 もう一度辺りを見やるが、やはり彼の姿はない。

 覚悟してきたつもりだが、忍の語った過去は想像よりも重かった。彼が敵だという事実がかすんでしまいそうになるのを、やよいや佳祐けいすけの死が食い止めている状態だ。

 本部で待っている綾斗あやとたちに報告しなければと思うのに、戸惑った頭が冷静になってはくれなかった。

 自分がもし忍の境遇だったら──と置き換えて色々と考えてしまう。


 だから、予想外に現れた彼の姿を見て安堵あんどが零れ落ちた。


「綾斗……」


 アルガスを出てから大分時間が経っているせいで心配をかけてしまったのだろうか。

 どうやら外は雨が降っているらしく、綾斗はずぶ濡れの傘を片手に京子を見つけてホッとした表情を見せる。


「来てくれたんだ。ありがとう」

「田中さんから隔離壁に取り込まれたって連絡が入ったんで」


 私服姿の綾斗は、「お疲れ様です」と仕事モードの挨拶をする。


「良かった、田中さん無事なの?」

「らしいですよ。さっき松本さんに会って、医務室に居るって教えて貰いました」

「松本さんってあの松本さんって事? 会ったの? 大丈夫だった?」


 やはり彼はここに居たらしい。

 バーサーカー同士の鉢合はちあわせなんて穏やかに済むとは思えないが、綾斗は「平気」とうなずいた。


「京子さんはどうでした? そっちも戦闘にはならなかった?」

「うん。話しただけ。宣戦布告の予告をされちゃった。覚悟しなきゃね」

「そうですか。今以上に対策を取っていなければなりませんね」

「うん──」


 頷いたままの顔を上げることが出来なかった。

 

「他にも何かありましたか?」

「私、戦えるかな」


 声の端が震えて、綾斗に片腕でそっと抱き締められる。とんとんと背中を叩かれて、顔の見える位置まで離れた。


「京子」


 そう呼んだ彼は、恋人モードなのだろうか。

 

「綾斗は忍さんがサメジマ製薬の社長の養子だったって知ってた?」

「うん。京子がそれを聞かなかったって事も、彰人あきひとさんから教えて貰った。だから、京子のそんな顔の理由も想像は付くよ」

「──ダメだって分かってはいるんだけど」

「戸惑う気持ちも分かるけど、向こうが攻撃を仕掛けて来るなら、俺たちはキーダーとして仕事しなきゃ。相手を殺す為に戦うんじゃないでしょ?」

「守るため……だもんね?」

「バスクとして育った境遇を不幸と言う言葉で完結させない為に、桃也とうやさんが長官として頑張ろうとしてるんじゃない?」


 桃也は『自分のようなバスクを増やしたくない』と言ってキーダーになった。

 出生検査をすり抜けたバスクを保護しきれずに居る事は、アルガスの課題だ。忍も被害者の一人で、松本も同じ気持ちになってしまったのかもしれない。


「桃也さんが長官になるのは、最高の選択肢だと思う。それでも京子はあの人に同情するの?」

「忍さんの考えが破滅的だって事は分かるよ。だから、同調するわけにはいかないよね」


 能力を維持したまま銀環ぎんかんをしない選択は暴走を助長じょちょうするだけだ。


「うん。立ち止まる事なんていつでもできるから」

「私、立ち止まるまでいけるかな」

「迷うってのは、まだ進める証拠でしょ? 俺は全力でサポートする。もう駄目だって思ったら辞めればいいよ」

「そんな事……言わないでよ」

「そういう選択肢もあるって事だよ。もしそうなっても、俺は京子の側に居るから」

「…………」


 キーダーで居たくて桃也と別れた。なのに今は少しだけ、立ち止まる未来の選択肢もアリなのかと思ってしまう。


「色んな道があるのかな」

「そう思うよ」

「うん。私、今日ここへ来て良かったと思う」

「なら良かった」


 京子は綾斗の手をぎゅっと握り締めて、「ありがと」と緩んだ表情を向こうへと逸らした。






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