174 後悔

 九州支部からバスを乗り継いで、京子たちは福岡タワーを横目に海へ出た。

 すぐ後ろには町の風景が迫る都会の海だ。奥行きのない砂浜は、道路から入って海辺までがあっという間だった。


 ざっくりと砂浜を踏みしめながら歩いて、湾に伸びる堤防の手前で佳祐けいすけは青い空を仰ぐ。


「良い天気だな」


 海開きはまだだが、いだ海へ飛び込んでいきたくなる気温だ。

 時間が早いせいか休日の割に人もあまりいなかった。

 暗い未来など想像もできないような澄み渡った空に腕を伸ばし、京子は海風をいっぱいに吸い込む。


 不安は晴れないままだが、ここへ来て少しだけ気分転換ができた。

 そんな京子とは対照的に、修司しゅうじは海を向いたまま黙る佳祐の背中を見据えながら、スッキリしない顔を浮かべている。


 修司に佳祐の話はしていない。けれど今朝見せた佳祐の気配に思う所があるのだろう。

 佳祐は、海を見て何を考えているのか。

 沈黙に耐えられず、修司が声を掛ける。


「今日はこれからどうする予定ですか?」

「あ? まぁのんびり考えようぜ」

「のんびり、って……」


 肩越しに振り向いた彼の頬に、絆創膏が覗く。


 冬に佳祐が東京へ来た時も、京子は二人で海へ行った。

 事故で亡くなったという妹の話をした表情が重なり、京子はしんみりと息を呑み込んで佳祐の横に並んだ。

 彼はきっと、理由があってここに来たのだろう。


 佳祐は暫く何も言わなかったが、やがて京子を一瞥いちべつすると力を抜くように微笑んだ。


「俺の親はアホだったんだ」


 穏やかな波音に耳を澄ませ「聞いてくれるか?」と語り出したのは、彼の過去だった。


「金ってもんは人を狂わせるもんでな、俺の養育費で親は贅沢三昧だったんだ」

「……え?」


 突然の話は、京子や修司には想像もできない程に壮絶だ。


「キーダーは15歳まで養育費が払われるだろ? 他の奴等は勉強やら何やら習わされたって愚痴を言うけどよ、俺はその金で何かを学んだ記憶なんてねぇんだよ。ギャンブルやらブランドやらでアイツらが家に居る事さえ殆どなかった。飯を食えねぇ日だってザラだったからな」


 粛々しゅくしゅくと吐き出される憎悪に京子は目を見開いて、ぎゅっと汗を握り締める。修司も後ろでその話を黙って聞いていた。


 ──『俺はお前等みたいに頭良くねぇんだよ』


 前に佳祐がそんなことを言っていた。耳にした時は深く考える事もなかったが、その理由を知った途端、身体の内側がザワザワと騒ぐ。

 初夏の青空の下、ここだけ空気が重く揺らいだ。


「クソみたいな親だったが、キーダーになれば妹を守れると思ってたんだ。けど、俺が14の時、親父が妹に手を上げた。流石にそれには親戚も騒いでな、俺たちは婆さんの家に行く事になったんだ」


 『妹』と聞いてゾッとしてしまう。佳祐の妹は、彼がアルガスに入る前に事故で亡くなったのだ。

 『事故』と聞いて漠然と交通事故を思い浮かべていたが、それだけを指す言葉ではないと実感して、京子は「佳祐さん」と言葉を挟む。その続きを聞きたくなかったからだ。

 けれど佳祐はやめてはくれなかった。


「ここで全部話させてくれ。持って行きたくねぇんだよ」


 それが彼の最後の覚悟のように聞こえてしまう。


「そんな──」

「婆さんの家に居る時、さっきお前が話した女に会った」

「四国……って事ですか?」

「あぁ、そうだ」


 パチリ、パチリと頭の中で話が繋がっていく。

 四国、妹、事故、暴走事件──

 その答えを佳祐が告げる。


「四国でバスクの暴走が起きて、妹が巻き込まれたんだ。俺はキーダーなのに、何もできなかった」


 佳祐は自分の左手首についた銀環ぎんかんを握り締める。

 彼の零した後悔が、全ての始まりだった。


「銀環さえなければ、俺は妹を守れたかもしれない」


 





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