172 頬の絆創膏

 佳祐けいすけが仲間かどうかを尋ねて、彰人あきひとはその答えをくれなかった。

 今九州に居るんだと言った時ににじませた彼の動揺は、何に対するものだったのだろうか。


 監察員かんさついんの仕事に踏み込もうとは思わないが、京子の頭の中はずっと佳祐やしのぶの事で一杯だった。


「忍さんがやよいさんのかたきなら、私は忍さんと戦うって事だよね」


 そういえば、バスク時代の修司しゅうじもホルスの安藤りつと仲が良かった。アルガスに来たばかりの彼にその正体を話しても、すぐに受け入れてはくれなかった程だ。

 自分も忍に取り込まれそうになっていたのだろうか──実感はないけれど、そんな事を考えてしまう。


「同じなんだね」


 ぽつりと呟いて空を見上げる。

 少し距離があるはずの海の匂いがフワリと漂った気がした。

 強い日差しに手をかざすと、視界の端に佳祐の姿が現れる。集合時間にはいつも早めに来る彼の習慣を狙って、京子も15分前に待ち合わせ場所に来ていた。


 佳祐がてきには見えない。

 監察が動いている今、余計な詮索せんさくをするのも無駄だと考えて、疑う気持ちは一旦胸に閉じ込めた。


「おはようございます、佳祐さん。今日も宜しくお願いします」

「おぅ、早ぇな。修司はどうした?」

「私が先に来ちゃったんで、まだ部屋だと思います。時間までには来ると思います」

「そうか」


 佳祐は昨日と変わりない夏の制服姿だ。

 ただ左のほおに絆創膏を見つけて、京子は「あれ」と首を傾げる。明らかに小さいサイズのせいで、赤い切り傷が上向きにはみ出ていた。


「怪我したんですか?」

「あぁ、ちっとな」


 「気にすんな」と笑って、佳祐は絆創膏の上から傷を撫でる。


「ところで。私、佳祐さんに聞きたいことがあって」

「何だ?」

「佳祐さんって15歳でアルガスに入る前、四国へ行った事ってありますか?」

「はぁ? 何でそんなこと聞くんだ?」


 あまり触れられたくない話題なのだろうか。佳祐は面倒そうに顔をしかめる。


「最近偶然会った女の人が、その頃に高松でキーダーに助けられたって話をしていたんです。爆発が起きたとかで──歳の頃を考えると、佳祐さんかなと思って」

「あぁ──んな事あったな」

「やっぱり!」


 佳祐は否定しなかった。

 少し驚いた顔をして、「けどなぁ」と首をひねる。


「大した事なんてしてないぜ? ここに入る前で力も使えなかったしな。その女がぎゃあぎゃあ騒ぐから、キーダーだって言ったんだ。そしたらコロッと態度変えてよ、今度はきゃあきゃあ騒ぎ出したんだ」

「身分証見せて貰ったって言ってたのは、そういう事だったんだ」


 正月に会った彼女がはしゃぐ姿は容易に想像できる。今と全然変わっていないようだ。


「佳祐さん、四国に行ったのは旅行かなんかだったんですか?」

「母親の実家があってな、あれはホントに偶然だったんだ」


 そこで急に佳祐の表情から笑顔が消えた。

 何だろうと思ったが、建物から激しい足音が響いて、二人で同時に振り返る。


 ガラス扉の向こうに現れた修司が、大慌ての様子で外へ飛び出て来た。


「せ、せーふっ!」

「残念、アウトでした。遅いよ修司」

「えぇ」


 時計を見ると、9時の集合時間に対して一分だけ針は前に進んでいる。


「すみません、佳祐さん」

「まぁ、今日は大目に見てやるよ。次はねぇからな?」


 落ちる位に頭を下げた修司に、佳祐は優しかった。

 佳祐は不愛想に見える事も多いが、怒鳴ったりする姿を見た事はない。


 「ありがとうございます」と頭を上げた修司が、佳祐の絆創膏に気付く。


「あれ、佳祐さん怪我してる。美人と揉め事ですか?」

「どうだろうな」

「修司、変なこと聞かないで!」


 昨日の今日で、修司もすっかり佳祐に慣れていた。

 最初は仕事の事以外ほとんど話していなかったのに、もう本部でのノリと同じになっている。


「すみません、佳祐さん。修司ってばいっつもこんな調子で」

「構わねぇよ。そうだ、お前等今日は打つ練習しに行くって言ってたけど、先に海へ行くぞ」

「海……ですか?」

「山へ行くのはその後で良いだろう?」


 急な予定変更に戸惑ってしまうのは、昨日綾斗あやとへ伝えた予定と行き先が異なってしまうからだ。

 『朝から演習場へ行く』というのはあくまでも予定で、東京に居る綾斗にはあまり関係のない話だが、妙に心がモヤモヤとしてしまう。


「天気も良いし、俺が行きてぇんだよ」


 「行くぞ」と背を向ける佳祐を追い掛けると、


「京子さん」


 小声で呼ばれ、シャツの袖を後ろから修司につままれた。

 佳祐との会話とは打って変わって、真面目な視線が佳祐の背中を見据えている。


「分かってる」


 京子も囁くように答えた。

 修司の言いたいことは分かる。佳祐がここへ来た時から、京子もその異変に気付いていた。


 彼を取り巻く気配が尋常じゃないほど強いのだ。直前で力を使った証拠だろう。

 けれど佳祐はそれを隠す様子も見せない。


 頬の傷とその気配が何を意味するのか。

 そんな会話に気付いた佳祐の心の動きを、二人は読み取ることはできなかった。



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