159 彼女からの絵葉書

 綾斗あやと美弦みつるが空港から戻るのとほぼ同時に、ここ数日降り続いていた雨がようやくポツリポツリと止む気配を見せた。

 駐車場から走る綾斗を、軒下に下ろした美弦が迎える。


「行ってて良かったのに」

「気にしないで下さい」


 美弦は青みの混じる灰色の空をぼんやりと眺めて、中へ入る綾斗を追い掛けた。

 建物の中は冷房が効いていて、汗をひんやりと吸い取ってくれる。


「こんな事言うの良くないのは分かってるんですけど。私、修司はもうどこにも行かないのかなってちょっと期待してたんです。けど甘い考えだったなぁって」


 階段を上りながら、美弦が溜まっていた気持ちを零した。


「あれから2ヶ月以上経ってるし、無理もないよ。俺に何かできれば良いんだけど、こればっかりはね」

「分かってます。それより、綾斗さん私に何か隠してませんか?」

「えっ?」


 急に突き刺すような視線を向けられて、綾斗は息を呑んだ。

 3階に着いたところで足を止めた彼女を、困ったなと振り返る。


「どうしてそう思う?」

「綾斗さんが京子さんを心配するのは分かります。恋人なんですから。けど、いつもよりその度合いが大きいって言うか、心配しすぎな気がして。それって修司が一緒だからって事じゃないですよね?」


 京子が修司と二人で行く事に抵抗はさほどない。今その話をされて、ほんの少しの嫉妬心を悟った程度だ。

 今回の視察で一番の不安は佳祐けいすけとの接触に尽きる。美弦や修司に要らぬ心配をさせまいと黙っていたが、普段通りに振る舞っているつもりでも、いつも側に居る彼女の目を誤魔化すことはできないようだ。


「美弦には敵わないな」


 綾斗は「仕方ないか」と苦笑して、辺りに人が居ないのを確認した。


「やよいさんの件があるから、他の支部に行くのを警戒しちゃうんだよ。九州に限らずね」


 この返事は用意していた。美弦は良く周りを見ていて、こうなるだろうと予測していたからだ。

 案の定、ど真ん中を突かれた。久志ひさしと佳祐の事を話すつもりはないが、他の支部への警戒は嘘じゃない。


「それは、私も考えていないわけじゃないです。けど、キーダーが犯人かもしれないなんて事、本当にあるのかしら」

「第三者的なバスクが犯人だと名乗り出てくれれば、それで済む話なんだけどね。真実が掴めないうちは不安だけど、疑ってばかりもいられない。無事に帰って来るのを待とう?」

「はい」


 納得しきれない顔で、美弦が唇を小さくとがらせる。


「昨日、修司は楽しそうだったんですよ。向こうではラーメン食べるんだとか浮かれちゃって。何であんなにお気楽でいられるのかしら」

「美弦に心配かけたくないんじゃないの? 京子さんも元気そうに振舞ってたよ」

修司アイツと一緒にしたら京子さんに失礼ですよ。修司は天然なんです……ったく」


 プリプリと怒る彼女の話を聞きながらデスクルームへ向かうと、部屋の前で一人の施設員が「お疲れ様です」と二人を迎えた。今年入ったばかりのショートカットの女子だ。


「どうした? 俺たちに用だった?」

「はい。あの、京子さんに手紙が届いていて」

「へぇ。俺預かっておくけど、何だろう」


 制服姿の彼女は、胸の前で握り締めていたポストカードを綾斗に差し出す。


「ありがとうございます。それじゃ、宜しくお願いします」


 にっこりと頭を下げ、彼女は事務所へと戻って行った。

 「絵葉書ですか?」と美弦が綾斗の手元を覗き込む。私用の郵便物がここに届くのは珍しい事だ。


 横浜のランドマークタワーを背にした夜景が印刷されたポストカードの裏には、川崎の住所が書かれている。『たもがみきょうこ様』までは達筆な大人の字だが、下にあるメッセージ欄には鉛筆書きの子供の文字が並んでいた。


『かのです。空こうで会ったのおぼえていますか? こんどまた会いたいです』


 これでもかと散りばめられた花のシールに、思わず和んでしまう。


「これ多分、正月に空港で会ったって言ってた子かな。京子さんがキーダーだって気付いて、ついてきたらしいよ」

「京子さんと子供って、想像つかない組み合わせですね」


 その時の事を京子に聞いたのは、ついこの間の事だ。

 キーダーだという事と名前を相手が知っていれば、手紙を送ることは難しい事じゃない。


「京子さんに送ろっか」


 綾斗はデスクルームに入ると、スマホのカメラを起動させて撮った写真をメールに貼りつけた。



   ☆

 その頃北陸支部では、久志ひさしが机に座ったまま声を震わせていた。

 技術部は薄暗く、パソコンのモニターの明かりがその表情を照らしている。


「ふざけるなよ……」


 この二ヶ月で伸びきった髪を無造作に掴んで、久志は込み上げる怒りのままにマウスを机上に叩き付けた。

 二ヶ月ずっと探していた答えに辿り着いて、燻ぶっていた炎がボゥと勢い良く立ち上ったのだ。






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