139 薬の誘惑

 なみなみと入ったレモンサワーのジョッキをテーブルの上に握り締めたまま、京子は今日あった事を一つずつ説明していく。酔う前にきちんと済ませておきたかった。

 いつもの居酒屋の奥にある個室仕様の小上りは、アルガスの四人が占領中だ。


「……その人が何となく昼間写真で見た人と似てたなと思って」

「偶然にしては出来過ぎてる気もするけど、相手が能力者だって事に変わりはないもんな。それ勘爾かんじさんには言ったのか?」


 既に乾杯は済んでいて、颯太そうたは京子の正面の席で半分飲んだビールのグラスをコツリとテーブルに放した。


「爺にはまだ。けど長官には綾斗あやとから話して貰いました」

「来週の頭には戻るそうです」

「けど仮に本人だとしても、松本さんはトールなんじゃねぇの? サードや監察の調査がどこまで入ってるのかは知らねぇけど、事実ならどうなるんだ」


 「そうですね」と相槌あいづちを打つマサは、難しい顔で唐揚げを頬張っている。

 彼は監察員のリーダーでもあるが、サードにまでは関わっていない。


「宇波さんは元気かって聞かれて、間違いないと思ったんです。けど、私の勘違いかもしれないし……何かあんまり広げると大事おおごとになっちゃう気がして」

「直感は大事だよ。ふと感じた事が答えに繋がるなんて良くある話だからな。黙ってる方が良くねぇよ。あの人は確かに宇波うなみさんとは仲良かったと思うけど……今はホルスってことなのか?」


 肘をついた手に額を押し付けて、颯太そうたが険しい顔で唸る。

 レモンサワーの入ったジョッキの中でカランと氷が溶ける音がして、綾斗が「飲もう」とビールのグラスを突き出した。

 京子は「うん」と小さく乾杯する。


「いただきます」


 少し薄まったレモンサワーが体中に染み込んでいった。

 色々解決していない事ばかりだが、溜まった疲れが抜けていく気がする。勢いのままゴクゴク飲むと、颯太が「男前だな」と目を丸くした。彼と飲むのは初めてだ。


「コイツはいつもこんなんですよ」


 苦笑いするのはマサだった。京子が酒を覚えたての頃は、彼が良く面倒を見ていた。

 綾斗は空になったビールを追加で頼んで、メニューをめくる颯太に「どうします?」と声を掛ける。


「じゃあ、この純米酒を二合お願いします。お猪口は四つで」

「四つ!?」


 マサが「オイ」と音にならない声で、綾斗に目配せする。サワーの後に日本酒を入れればどうなるかなんて、京子本人だって分かっている。

 けれど、醜態を知ってか知らずか「飲むだろ?」と颯太に尋ねられて、京子は「勿論!」と答えた。飲みたかったからだ。


「大丈夫?」

「うん。ちょっとだけね」


 気が気でない綾斗にニコリと笑い掛けて、京子はようやく先付の小鉢に手を出した。

 「分かった」と綾斗も半ば諦め状態で話を先へ進める。


「ところで颯太さん、俺にも松本さんの写真見せて貰っても構いませんか?」

「あぁ、綾斗くんも見ておいて」


 颯太はスマホで写した集合写真のデータを開いて、綾斗へ差し出す。

 京子はそっと彼に身体を寄せて、横から画面を覗き込んだ。


 もう二十年以上も前の写真と数分会った男との記憶を照らし合わせると、自分の直観に自信がなくなって来る。

 泣きボクロのある人は山のように居るし、記憶さえ曖昧になってきて、京子は写真から目を逸らした。


「京子ちゃんの会った相手が本人かどうかなんて今はいいよ。それより相手が言ってた薬の話が先じゃないか? 本当にホルスの持ってる薬がトールの力を蘇らせるものだとしたら、まずは今までトールにした能力者をリスト化して頭に入れとかないと」

「ホルスに狙われる可能性があるって事ですもんね。若しくは、もう手に落ちているか」

「そういう事だ。アルガスがトールにした能力者は、DNA型を調べられてるからな。昼間のどざえもんがトールだって言うなら、検死で誰か分かるだろ」


 颯太は「でもなぁ」とあごの髭を撫でる。


「血液やらのDNAで人工的にキーダーを作れないのは、俺の居る頃から結論が出てるんだ。隕石事件の前の事だぞ? 何人のバスクが犠牲になったと思ってんだよ」

「噂で聞いた事はあるけど……アルガスもそういう事してたんですね」

銀次ぎんじだってヤバかったんだ。解毒剤を飲んでアレだぞ? ノーマルだからって言えばそれっぽく聞こえるけどよ、トールなら絶対平気だとも言えねぇだろ? ……って、雅敏まさとしくん?」


 隣でぼんやりするマサに運ばれて来たお猪口を突き付けて、颯太は「おい」と苛立った。


「これから父親になる男が、そんなものに惑わされるなよ。薬なんて麻薬だからな?」

「……すみません」

「マサさん、その薬飲みたいって思った?」


 颯太もマサも元キーダーだ。颯太は自らの意思で力を消したが、突然変異でそうなったマサがキーダーに戻りたい気持ちは、手に取るように分かる。


「そりゃあな。けど、そんなことする訳ねぇだろ」


 マサは重い目を漂わせて日本酒を啜る。

 綾斗は「少しだけ」と半分注がれたところで手を引いた。そんなタイミングに合わせて、レモンサワーを飲み干した京子が空のジョッキをテーブルにドンと鳴らす。


「私にも下さい」


 にっこりと手を伸ばす京子は、いつの間にか出来上がっていた。

 隣に綾斗が居ると、つい油断してしまう。

 「イケる口だな」と颯太が、お猪口の縁ギリギリまで酒を注ぐ。恐らく彼は、京子がそれを少しずつ飲むと思っていたのだろう。


「いただきまぁす」


 まさか一口で行くとは考えなかった筈だ。


「綾斗、俺お前の事尊敬するわ」


 マサが口元を引きつらせる。颯太は唖然とした顔で、「悪いな」と綾斗に謝った。


「京子ちゃんて飲めるのに弱いのか」

「いつもの事なんですけどね、今日はちょっとペース早いんで次はレモンサワーに戻して貰います」


 そんな男三人の会話は、京子の耳を右から左へふわぁっと通り過ぎた。








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