129 馴染みの警部

 ハッキリ言って地獄だった。

 突然飛び込んできた出動要請に、京子はキーダーになって以来一番の恐怖を味わった。

 周りの警察関係者は淡々と作業を進めていくばかりで、京子との温度差は激しい。


「警察官って、こういうの率先そっせんして見に行かなきゃならないんだよね。尊敬しちゃう」

「配属にもよると思いますけど、それが仕事ですからね」


 横たわる亡骸に戦々恐々とする京子を傍らでサポートする銀次ぎんじは、有難いくらいに冷静だった。海風になびく癖のある髪を後ろへとかき上げて、眼鏡の奥の目を細めた。


「水死体どころか、焼死体、バラバラになったやつとか、想像が追い付かないような物も出て来ますよね」

「想像させないで。銀次くんは平気なの?」

「いや俺も正直キツいです。けど、女子にカッコ悪いとこ見せられないんで」

「そういう風に言えちゃうの凄い」


 銀次の言う一つ一つの死体を頭に浮かべて、京子はブルッと身震いする。


「あの、もう閉まって頂いて構いません」


 京子は側に居た鑑識かんしきの男に「ありがとうございます」と頭を下げた。

 こんな状態だけれど、ここに来てやるべき事は済ませることができた。

 男は言われるままに仕事をして、その場を離れる。


 京子は潮風をいっぱいに吸い込んで、重く息を吐き出した。


「それで、京子さんが見てコレはどうだったんですか?」

「能力者……だと思う。キーダーではない筈だから、バスクって事だよね?」

「確定じゃないんですか?」

「そうだとは思うんだけど。死んでもこんなに気配が残るのかなと思って」


 亡骸からの気配は、現場に来てすぐに感じ取ることが出来た。

 対象物に触れなくてもそれが分かるようになって、今程に有難みを感じた事はない。


 けれどこれは腐敗が進んでいて、亡くなった直後ではないのだ。

 やよいの葬儀に行った時、彼女の亡骸からはそんなもの微塵みじんたりとも感じる事はなかった。魂を失ってまで気配を隠していたとは考えにくい。


 キーダーとバスクの差は銀環の抑制よくせいによる数値的な問題だけで、その質に大差はないはずだ。


「銀次くんと同じだったりして」

「薬で、ってことですか?」

「分からないけど……キーダーかバスク以外に能力者が居るとすれば、次に来るのは銀次くんのようなって事にならない?」

「……まぁ、そうですね」


 きまりの悪そうな顔で返事をする銀次の背後から、小柄な男がこちらへ向けてやってきた。

 パトカーの横で固まっていた警察官の輪から現れた彼は、警視庁警部の森脇もりわきだ。

 制服ではなく自前のスーツ姿の彼は、パンチパーマのような緩い癖毛がトレンドマークの、京子にとっては顔馴染みの人物だった。


「森脇さん、お疲れ様です」

「やぁ、京子ちゃん。どうだった?」

「ウチの管轄ですね」

「やっぱりね。まだちゃんと調べた訳じゃないけど、死斑しはんとか見て溺死じゃないだろうって話だ」


 つまり死んでから海に捨てられたと警察は踏んでいるらしい。


「アルガスで引き取らせていただきますが、その前に検視官けんしかんに調べて頂いても宜しいでしょうか? できれば解剖まで。最近変な薬が出回ってる噂もあるので、念のためですが……」

「あぁ、まことさんから聞いてるよ。キーダーになれる薬だっけ? そんなの使った所でコピー人形に変わりないのにな」


 アルガスは死体に関しての扱いは弱い。そこを踏まえて、森脇は「分かったよ」と頷くと、京子の後ろに居る銀次の手首に目をやった。


 ふと銀次の呼吸音が京子の耳に届く。感情を見せない無関心な目が、森脇を凝視していた。


「君に会うのは初めてだね。まだ若そうだけど、キーダーではないのかな?」

「うちの見習いです。今日は私の助手として連れてきました」

「え……」


 ニュアンスは違うが、「合わせて」と銀次に合図する。

 「はい」と覚悟を決めるように頷いて、彼は改めて森脇に挨拶した。


小出こいで銀次です。よろしくお願いします」

「あぁ、宜しく。警部の森脇です」


 京子が森脇と会うのは、去年の春に起きたジャスティの騒動以来だ。

 強面こわもてで部下には厳しいが、京子たちには気さくに話をしてくれる。京子が入った頃は既にアルガスの担当をしていて、『大晦日の白雪しらゆき』も当時刑事だった彼の計らいで公にならずに済んだのだ。

 だから彼は桃也とうやの事も詳しい。


「最近会ってないけど、桃也は元気?」


 森脇は懐かしむように微笑んで、彼の話を口にした。




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