117 お姫様抱っこ

 それは拷問ごうもんのようだった。

 はたから見れば『お姫様抱っこ』されている状態だというのに、彼の繰り出す一歩一歩の衝撃がダイレクトに腹の中をかき混ぜて来る。


「うぅ……」


 胃の中の物がせり上がって来る感覚を必死にこらえて、京子は颯太そうたにしがみ付いた。

 彼を相手にこんなことをしても良いのかという気持ちはあるが、頭痛と吐き気のせいで思考が上手く働いてはくれない。


「京子ちゃんの部屋ソファだけだったよな? 医務室までちょっと頑張って」

「ちょっと……?」

銀環ぎんかん外すよりは楽な筈だから、耐えて」


 浩一郎のアルガス襲撃で大舎卿だいしゃきょうが一瞬だけ銀環を外したことがあるが、あの時も大分苦しんでいた。

 颯太が京子を横抱きしたまま3階まで駆け上がっていく。宙に浮いた階段からの眺めは恐怖以外のなにものでもなく、京子は「ヒィ」と目をつむった。


「颯太さん、これより酷かったんですか」

「多分な。俺はキーダーを辞められるって思ったから我慢できたけどな」


 一度も休まずに医務室へ駆け込んで、京子はベッドの上へそっと下ろされる。


「吐くか?」

「まだ……大丈夫です」


 揺れが収まって、少しだけ頭が冷静になる。この気持ち悪さと頭痛は二日酔いの症状に似ていた。それも酷い時の数倍の威力だ。

 吐き気が強まって背中を丸めると、颯太が銀色の洗面器に新聞紙を入れて京子の枕元に置いた。


「病気って訳じゃないから落ち着くまで耐えろとしか言えねぇけど、眠れるなら眠っときな」

「ありがとうございます。あの颯太さん、綾斗あやとが帰ってきたら大丈夫だって伝えておいて下さい」

「何が大丈夫なんだよ。甘えときゃいいだろ? それに好きな女がそんな事言ったら、男ってのは余計に心配すんの。分かってねぇな」


 颯太は医務室の冷蔵庫から水のペットボトルを取り出して、京子の頬にピタリと当てた。

 

「冷た……」


 全身がその温度に驚く。けれどすぐに心地良いと思えたのは熱があるのかもしれない。

 「持ってな」と言われて、顔の横に握り締めた。薄っすらと湿る表面に、ほおが吸いつく。


「いいか、言いたい事言わなきゃ続かないのは京子ちゃんが一番良く分かってんだろ? 綾斗は京子ちゃんに我儘わがまま言われて嫌がる奴じゃねぇよ」

「……期待しても良いのかな」


 昔、セナにも似たようなことを言われた。綾斗には本音をぶつけることができるだろうか。


「あれ、でも結構言ってるような……」


 普段の自分を振り返って、京子は首をひねる。


「それで良いんだ。アイツは期待なんてしなくても、血相変えて飛び込んで来るだろうよ」

「だったら、嬉しいな」


 にっこりと笑んだ颯太にホッとした途端、キツめの頭痛がドンと響く。

 京子はそのまま目を閉じた。



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