71 恋人同士に見えるかもしれない

 東北から戻って、東京駅の改札前で突然彰人あきひとに抱きしめられた。


「ええっ」


 同時に彼の気配が立ちのぼる。京子は急な事態に動転して、手から滑り落ちそうになった封筒をぎゅっと握り締めた。


「彰人くん?」

「ごめんね、ちょっと我慢してて」


 彰人は申し訳なさそうな顔をして、慌てて離れようとする京子の腕を掴み、その胸に引き戻した。彼の手が京子の髪を押さえて、そっと耳元に囁きかける。


「気配、感じてる?」

「あ、彰人くんの気配凄いよ? どうしたの?」


 それどころの話ではないが、京子は必死に彼の行動の意図を探る。

 この二日間、ずっと側に居たのに感じられなかった彼の気配が、意思を持ったように突き刺さって来る。今にも戦闘が始まってしまいそうな熱量だ。


「僕の事じゃなくて。少し遠いけど──」

「あ」


 言われて初めて、小さな気配を感じた。パニックの頭が一気に仕事モードへ切り替わる。


「けど、この体制は……」

「ただの恋人同士に見えるだろうね……っていうか、攻撃されそうになった気がするんだけど、気付かなかった?」

「攻撃?」


 京子はハッとして彼を見上げるが、想定を超えた近距離に慌てて下を向く。


「気付けなかった。ごめん、庇ってくれたんだよね」

威嚇いかくしてるつもりが、ただこうして抱き締めるだけになっちゃったかも」


 状況に変化が起きていないという事は、挑発されたという事だろうか。

 いつも冷静な彼が動きを見せる程の事態に、京子は気付くことができなかった。


「敵なの?」

「分からない。何か見られてるような気がしたんだけど、気のせいかな」

「彰人くんが間違える事なんてないんじゃないかな」


 彼の腕の中で辺りを警戒するが、人の流れはそんな二人にチラチラと好奇な目を向けて来るばかりで攻撃的な空気を放ってくる様子はなかった。


「キョロキョロしないで。僕だって絶対じゃないよ」


 遠くに感じた気配はあっという間に消えて、彰人が「そろそろかな」と腕の力を緩める。


「急にごめんね。誰かを助ける事ってあんまり慣れてなくて」

「ううん、ありがとう」

「何もなくて良かったけど、京子ちゃんはもう少し感覚尖らせた方が良いよ」


 少し厳しめに言って、彰人は困惑した顔で京子を見つめた。

 京子は広げた掌に顔を落として、微かに力を発してみせる。力を失った訳ではないし、そこに広がった気配を読み取ることはできる。

 これでも少しは努力してきたつもりだが、浩一郎に記憶を消されていた数年前に感覚が戻ってしまった気がして、急に怖くなった。


「前みたいになったのかな」

「そうではないと思いたいけど」


 彰人は強めていた気配を散らして、周囲を見渡した。

 放出するのも消すのも一瞬だ。


「もう大丈夫……かな。けど、油断しちゃ駄目だよ?」

「うん。あ、手紙ぐしゃぐしゃになっちゃった」


 咄嗟とっさに握り締めた茶封筒が、シワだらけになっている。慌てて引き伸ばそうとするが、元通りにはならなかった。


「ごめん、大事なものなんだよね?」

「中身が読めれば問題ないよ。だから、彼に届けてあげて」

「わかった」

「じゃあ、くれぐれも変な奴に絡まれないように。何かあったら連絡して」

「うん。彰人くんも──死んじゃだめだよ?」


 彼に言われた言葉を同じように返した。

 もしさっきの気配が敵であるなら、標的が自分だとは限らない。普段から掴みどころのない彼は、さよならの度にもう会えないような気がしてしまうのは事実だ。


 この2日間で、彼の額の傷を何度も目にした。3年前のアルガス襲撃で、京子が攻撃して付けたものだ。あの時敵だった彼は今仲間になって、こんな近い場所に居る。

 誰が敵で誰が仲間かなんて、紙一重なのかもしれない。


「そんな顔しないの。最後の別れじゃないんだから」

「彰人くん、私の心読めるでしょ」

「だったら苦労しないよ。けど、いつだって会いに行くから。僕たちは幼馴染で親友なんだからさ」

「そうだね、分かった」


 改札の向こうに消えていく彼を見送って、京子は封筒を手にアルガスへ向かった。



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