65 訓練だと思えばいい

「京子ちゃん、起きれる?」


 彰人あきひとに肩を揺すぶられて、意識が少しずつ戻る。

 京子は平野の店のカウンターで目を覚ました。肩に掛けられた毛布は、店に常備された客用の膝掛けだ。

 日が変わった店内に他の客の姿は無くなっていて、京子はぼんやりする目を擦りながら「ごめんなさい」と謝った。


「気にするな。それより気分はどうだ? 気持ち悪くはねぇか?」

「はい、大丈夫です」


 平野に差し出された白湯を口に含んで、ほっと息をつく。

 トータルで考えると結構アルコールを飲んでいたつもりだが、思いのほか頭もハッキリしていた。


「京子ちゃんが酔っぱらってる所見たかったんだけど。僕と一緒だと素面しらふみたいなんだね。気を許して貰ってないのかな」

「そんなことない……とは思う。緊張はしてるかな」

「正直でいいね」


 彰人は幾分饒舌じょうぜつだが、あまり顔には出ていない。


「けど、これからどうするの?」

「京子ちゃんが良いなら、二人でどっか行ってもいいよ」

「それは──やめておこうかな」


 二人きりというシチュエーションは遠慮したいと率直に思った。悪い意味で平常心を保てなくなりそうな気がする。

 けれど帰る場所の当てもない状況で、寝床を確保せねばならない。


「残念、なんてね」


 彰人は悪戯めいて笑うと、入口に掛けてあったコートを京子に手渡した。


「さっきホテルに行こうって話になって電話してみたんだけど、季節柄どこも混んでてさ。平野さんが三件目で諦めちゃって。それで、彼の家に行く事になったよ」

「家?」

「そう。平野さんの自宅。そんなに遠くないらしいから」

「オヤジの一人暮らしだぜ、覚悟しとけよ」

 

 テーブル席の椅子を上げていた平野が最後の一脚をくるりと回して、「行くぞ」とジャケットを羽織った。


「宜しくお願いします」


 今回の突発的な宮城の旅は、彼が居てくれるお陰でうまく行っている気がする。

 程なくしてタクシーの運転手が入口から現れ、三人は町外れにある平野の家へと移動した。



   ☆

 平野の誘導でタクシーは目的地に停車する。

 窓からその建物を見上げて、京子は「あっ」と目を見開いた。


「どうしたの?」


 隣に座っていた彰人が、開いたドアから下りつつそのマンションを見上げる。

 少々年数の経った感じが否めないコンクリート剥き出しの外観に、京子はもう忘れかけていた記憶を頭の隅から引きずり出した。


「私、ここに来たことあるよ」

 

 バスクの平野を確保するため、綾斗あやとと仙台に来た時だ。支部が調べた住所から辿り着いたのがこの場所だった。

 人の居る気配はなくダミーかもしれないと疑ったが、そうではなかったらしい。


「平野さんの家、本当にここだったんですね」

「アルガスが嗅ぎ回ってるって知って、別ん所に隠れてたからな」


 ニヤリと笑う平野。

 真夜中の廊下に足を忍ばせて、彼はその扉の前で止めた。十二階建てマンションの三階に並ぶ、ちょうど真ん中の部屋だ。


 開いた扉の奥へと促され、京子はふと足を止める。

 ぼんやりしていた頭が急にその状況を警戒した。


「彰人くんと、平野さん……」

「何だ、おかしな事にでもなるとか考えてんのか? ザコ寝なんて訓練だと思えばいいだろ」


 察した平野が声を押さえて笑う。


「訓練……そうか」

「姉ちゃんが一番強いんだから、心配なんかいらねぇよ」


 そんなことはないだろうと彰人を振り返ると、彼は「だね」と目を細めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る