29 最初と最後のクリスマスイブ

「ええっ、それってプロポーズされたってことですか?」


 翌日アルガスのデスクルームに、美弦みつるの声が響き渡った。

 余程暗い顔をしていたのだろう。昨日何かあったのかと心配されて正直に桃也とうやのことを話すと、案の定彼女は取り乱す程に驚愕した。


「そんな声出さないで!」


 「シーッ」と慌てて指を立てると、美弦は「すみません」と両手で口を塞ぐ。パチパチッと目を瞬かせて、高まったテンションを抑え付けた。


「ちょっとびっくりしちゃって」

「まぁ、しょうがないよね」


 突然結婚の話となれば驚くのも無理はない。

 普通ならここで『おめでとう』と祝福されるのだろうが、朝の様子を見られてしまっては美弦が押し黙るのも当然だ。

 シークレットとは言いながら桃也のサード行きも思った以上に広まっているようで、彼女もその状況を考慮した上での反応らしい。


「そんな顔になっちゃうよね、ごめん」


 美弦はしゅんと肩をすくめて、首を横に振った。


「返事はしたんですか?」

「ううん。仕事が終わったら一旦帰るから、その時にって」

「そうなんですか」


 ふと時計が目に入って、京子は入口を一瞥いちべつした。就業時間になっても、部屋には二人きりだ。


「そういえば、修司は?」

「アイツなら今日まで学校です」

「そっか。高校違うんだもんね。修司って楚山しなやまだっけ」


 昨日が東黄とうおうの終業式だった事は覚えていて、てっきり二人とも今日から冬休みなのだと思っていた。大学生の綾斗あやとは数日前から休みに入っていて、今日は予告通り久志ひさしの所へ行っている。


「修司、大学どうするかって聞いてる? 美弦はそのまま上がるんでしょ?」

「勿論です。修司も戻ってきたらウチの学校受ければいいのに、無理だって言い張るんですよ?」


 東黄学園は、中等部から大学まで『著しい学力の低下』さえなければエスカレーターで上へ行く事ができる。しかし考査ごとの評価がシビアで、まぐれで入学できたとしても卒業まで残るのは難しいだろう。

 バスクからキーダーになった修司は、かつての桃也達がそうであったように、春から一年間北陸支部へ訓練に行く事になっている。だから美弦も彼と一年を離れて暮らさなければならないのだ。


「東黄は偏差値高いからね。私も高校は東黄だったけど、大学に行ってまで勉強する気になれなくて、別の短大に行ったの」

「京子さんも高等部の卒業生だってのは聞いてましたけど、そういう事だったんですか」

「うん。だから、修司にも無理強いはしないであげて」

「はい──」

「一緒に通いたいのは分かるけど、恋愛も勉強も仕事もそれぞれ別の物だからね。私は結婚しようって言われて即答できなかった。何て言うのが正しかったんだろう」


 桃也は三年に上がらないまま大学を休学している。もしサードになれば、このまま辞めてしまうのかもしれない。

 一緒に居る事、結婚する事、お互いがキーダーのままで居る事、そして桃也がサードを選ぶ事──全部叶うのが無理なのは分かっていた。


「私はキーダーを辞めるなんて絶対思いませんけど、京子さんはどうですか?」

「実はね、一回だけ辞めて付いて行こうって思ったの」

「そうなんですか?」

「うん。けどできなかった」


 京子は左手の銀環に顔を落とした。


「キーダーを辞めて、可愛い奥さんになんてなれないもん」

「私も、キーダー以外の未来なんて想像できません」

「ごめんね、しんみりさせちゃって。今日はイブなんだから、夜は修司と楽しんできてね」


 平気なフリをして美弦にそんなことを言ってみたものの、一人のクリスマスが寂しくないわけじゃない。

 アルガスからの帰り道、クリスマス一色に染まる駅を眺めながら、京子はぼんやりとホームへ入った。

 

 今年のクリスマスが一人だなんて、もうずっと前から分かっていた事なのに、桃也の帰宅に期待してしまったせいで、心のダメージが大きくなってしまった。

 「もぅ」と拗ねると、メールの音が鳴る。

 桃也ではないだろうと諦めるのと同時に、相手はすぐに予想する事ができた。


『メリークリスマス、京子さん』


 そんな短い一言に、雪を纏った大きなクリスマスツリーの写真が添付されている。


「タイミング良すぎ。雪……積もってるんだ」


 今日がクリスマスでなければいい──ついさっきまでの思いが少しだけ吹き飛んで、京子は彼に返事をした。


『メリークリスマス』




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