28 心が決まる瞬間

「俺、キーダーを辞めようと思うんだ」


 彼の出した答えに、京子は頭が真っ白になった。


「それって、トールになるっていう事?」

「そういう事。そしたら京子とずっと一緒に居れるだろ? だから──」

「駄目だよ、そんなの。本気なの?」


 跳び付くように腕を掴んだ京子の手を上から握り締め、桃也とうやは眉をハの字に下げた。


「本気のつもりだけど? 京子は俺と一緒に居たかったんじゃないの?」

「一緒に居たいよ。けど、それを選んで欲しかったわけじゃない」


 『待ってて』の言葉に期待したのは嘘じゃない。

 けれど彼の意見を退けるのは、『後継者にしたい』と誠に言われたからでも、佳祐けいすけに『キーダーのままで居させてやって欲しい』と言われたからでもない。

 彼が自分と居る事を理由にして、夢を諦めてしまう事が耐えられなかったからだ。


「サードにって言われて喜んでたけどさ、何で俺にって気持ちがずっとあったんだ。俺は自分の事ばっかりで周りなんか見えてない。そんな俺には勿体ない待遇じゃないかって。だから──」

「だからじゃないよ! 桃也が選ばれたんだよ? 私でも他のキーダーでもなく桃也がふさわしいって認められたんでしょ?」


 桃也との距離は離れてしまったが、もっと上に行きたいという彼の思いはここまで順調に来ているはずだ。


「まぁ、そうなんだけどさ」

「私は桃也にキーダーで居て欲しいよ」

「けどそれじゃ今までと変わんねぇだろ。サードになったら今までよりもっと会えなくなるんだぞ? だったら前みたいに俺がここから学校に通って、メシ作った方が良いんじゃないか?」


 キーダーを辞めて、学生に戻って、まぁまぁの企業に就職して同じ家で暮らす──彼の話すそんな未来は京子にとって魅力的に聞こえるし、そうなれば良いと思ったこともある。

 けれどキーダーになってある程度の地位を得た彼に、今更その選択を選んで欲しいとは思わない。


 再び抱きしめられた距離を裂くように、京子のポケットでスマホの着信音が鳴った。

 無視しようかと思ったが一向に鳴りやまず、桃也が「出ろよ」と促す。相手はマサだ。


「……出ない方がいいのかな」

「ここ来てんのバレたんだろうな。俺が電源切ってたから」


 監察員の彰人は銀環ぎんかんをしていないが、桃也のつけるそれもGPSは外されているらしい。

 桃也の表情から後ろめたい気持ちがあるのは分かる。彼の行動が突発的だという事は察しがついた。


「どうするの?」

「逃げられる訳じゃねぇし。貸して」


 広げた掌にスマホを託すと、桃也は面倒そうな顔で通話ボタンを押した。

 彼の片腕に抱かれたまま、京子は二人の会話に耳を澄ます。


「俺だ」

『やっぱソコに居たんだな。クリスマス前に申し訳ねぇが、仕事だ。九州に戻れ』

「行かねぇよ。キーダー辞めるって言っただろ?」

『はぁ? まさか本気だとか言うんじゃないだろうな。お前が現場に居なくてどうする』


 怒鳴るようなマサの声が、ハッキリと聞こえてくる。


「俺は行かないって決めたんだよ」

『この前のターゲットが動き出したぞ。お前が張ってたヤロウだぜ?』

「今更? マジかよ……」


 仕事の内容は京子には分からない。けれど、急を有する事なのだろう。

 桃也が途端に仕事モードの顔になったのに気付いて、京子は彼からスマホを奪った。


「マサさん、桃也には私から話すよ。行ってもらうようにするから」

『京子……すまねぇな』

「私だってキーダーなんだから」


 そう言って通話を切る。これが今の最適解だと思った。


「いいのかよ」

「だって、桃也も行かなきゃって顔してる。桃也の力で救える人がいるなら救ってあげて」

「なんでだよ。俺はお前の──」

「私の為になんて言わないで。桃也がキーダーを選んだ時、確かに寂しいって思ったよ? けど嬉しかったんだから。ずっと『大晦日の白雪』を背負ってた桃也が、前に進んだ瞬間だと思った。だから桃也は、あの日より前に戻っちゃ駄目だと思う」


 ──『桃也はキーダーになりたかったの?』


 そう尋ねて『あぁ』と答えた彼の照れくさそうな表情が忘れられない。

 

「失ったものは元に戻らないんだよ? 後悔なんてして欲しくない。会えなくて我慢してた三年間を無駄になんかしないで欲しいの」


 ふと桃也が口をつぐんだ。何か言いたげに開いた口が一度閉じて、諦めたように笑みを零す。


「俺がお前を失って後悔しないわけないだろ」

「桃也……」

「お前はそれでいいのかよ」

「私は、桃也が好き。側に居たいって思う。けど……」

「けど、今のままじゃ居られないもんな。俺はあの時みたいに「そうじゃないだろ」って自信持って言えねぇ」


 京子の気持ちを汲み取って、桃也が先にその答えをくれる。

 桃也がキーダーになって北陸へ発った時、同じようなやり取りがあった。

 あの時「帰ってきてね」と伝えた願いは、未だ叶わぬままだ。


「飯くらい一緒に食いたかったんだけどな。シチュー作っといたから食えよ」

「ありがとう。桃也のシチューなんて久しぶりだね」


 桃也は、今日の終わりがこうなることを予想していたのだろうか。

 彼はそこから改まった顔をして、京子の肩に両手を乗せた。


「京子、キーダーやめて俺と結婚しないか? 俺はキーダー続けるから。お前が俺のトコに来いよ」

「それは……」


 むしろ桃也が出した答えはそっちだったのかもしれない。

 京子の心が決まる瞬間だった。


「仕事が終わったら、返事聞きに帰ってくる。だから答えはそん時教えて」


 けれど返事をさせては貰えなかった。

 「分かったよ」と呟いた声は、息を吐く音と同じくらいに微かなものだった。




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