9 消された真実

 改札で見送る京子を、振り返ることができなかった。


 新幹線の窓際の席で、桃也とうやは流れる風景をぼんやりと眺めていた。

 都会を離れた辺りですっかりと日は落ち、海側の暗い空に昼間見た京子の傷跡が浮かぶ。


 部屋で着替えた時、京子の脇腹に大きな傷跡があった。春に起きたホルスとの戦闘で、桃也が応急処置したものだ。

 彼女は『大丈夫』と言っていたが、改めて目にした傷の深さに困惑してしまった。あの後、京子は別の戦闘で軽い脳挫傷も起こしている。


 キーダーにとって怪我が避けられないものだという事は十分に承知しているつもりなのに、いざ身近な彼女の痛々しい姿を見るのは辛かった。


 あのまま彼女の手を引いて一緒にここへ連れて来たら良かったのだろうか。

 キーダーを辞めて俺の所へ来いと言えば、もうあんな傷を作る事はないだろうし、今とは比べ物にならない程の時間を二人で共有することができるだろう。


「虫のいい話だよな」


 一緒に住んでいた一年半で、彼女がキーダーであることに誇りを持っている事を知っている。本人が言うように、あんな傷ではそれを捨てる理由にはならないだろう。


「畜生……」


 治った傷の深さを今更知って、側で支えたのが自分ではないのだと突き付けられた気がした。

 忙しさや未熟さを言い訳にして、彼女との時間を作らなかった罰だ。好きだという言葉だけで縛り付けて放っておいた罪は重いのだ。

 サードという選択に迫られて尚、今までの関係を継続させられたらと思っていた自分は浅はかだと思う。


 だから、けじめを付けなければならない。



   ☆

「そんな顔で帰ってくんな」


 新大阪駅に降りて、改札で待ち構えた佳祐けいすけが桃也を見るなり疲れた溜息を吐き出す。

 笑顔を取り繕った所で気分が晴れるわけでもなく、桃也は言われるままに緩めた唇をきゅっと諦めた。


「佳祐さん。俺、やっぱりあの話は断ろうかと……」

「今更悩んでんのか? この間はやる気満々だったじゃねぇか」

「……はい」


 正直に話す桃也を、佳祐は否定しなかった。

 けれど、「残念だな」と彼もまた本音を言う。


「俺がお前をサードにって勧めたんだ。お前はそれでいいのか? その力で人助けがしたくてキーダーになったんじゃなかったのか?」

「それは……そうなんですけど」


 それも嘘ではない。実際、気持ちはまだ不安定な天秤に吊るされたまま、はっきりとした答えを出せていない状態だ。


 通路の端にある土産物売り場の横で、佳祐が急に改まって「おい」と足を止める。


「佳祐さん……?」

「お前がどの道を歩もうと勝手だけどよ、俺はお前に本当のことを話しておこうと思う」

「本当のこと?」

「大事なことだ。俺はな──」


 佳祐が唐突に語ったのは、彼の『本当のこと』だった。


「……え?」


 けれどその衝撃を脳がきちんと理解する直前で、佳祐の大きな掌が桃也の額を鷲掴みにする。

 一瞬のことで、かわすことができなかった。目の前を白い光が包んで、みるみるうちに意識が遠退く──けれど数秒経たぬ間に引き戻された。

 

 一分前の記憶が無くなっている事に、桃也が気付くことはできなかった。


 一連の行動は、男同士のじゃれ合いに見えたのかもしれない。

 周りにはこんなに人がいるのに、その行動を不審がる人はどこにもいなかった。


「あれ。俺、どうし──」


 頭の中に霧が張ったようなモヤモヤした気分になって、桃也は額を押さえながら歩き出す佳祐に並んだ。


「長旅で疲れたんじゃねぇのか?」

「そうかもしれません」


 言われてみれば、朝から本部との往復で動きっぱなしだ。

 何か忘れてるのかと思ってスマホのスケジュール帳を開いてみたが、目新しい情報は見当たらず、明日の予定が点滅している。


「そういや俺も来週本部に行くんだったな」

「聞いてます。俺もその頃は一度九州に戻りますよ」

「おぅ、頑張れよ。明日も早ぇけどな、せっかく大阪まで来たんだ、これからタコ焼きでも食いに行こうぜ」

「はい」


 桃也は歯切れよく答える。

 記憶の底に沈んだ『本当のこと』を思い出すのは、全てが終わった後だ。




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