5 計画実行へのシミュレーション

 桃也とうやの事を美弦みつるたちに聞いた日の夜、彼からも同じ用件で一通のメールが届いた。上官たちに用があって、金曜日に数時間だけ本部に戻るらしい。


 そこから週末までの落ち着かない数日間で、別れ際のシミュレーションを何度したか分からない。

 本部で聞いた話では、桃也を乗せて来るコージがその足で長官を別支部へ送るという。

 彼の帰りが新幹線になるという事で、計画実行は駅のホームだ。扉の閉まりかけた、後戻りのできない一瞬を狙う。


 アルガス入口にあるガラス扉の前で、京子は護兵ごへいに見守られながら、ぴょんと建物の中へ飛び込んだ。


「うん、バッチリ」


 戦場にでも挑む気持ちで、当日の朝を迎える。


「おはようございます、京子さん」

「おはよう綾斗。今から学校?」


 階段の上から降りてきた綾斗に挨拶する。

 細身のジャケットを羽織った私服姿の彼は、アルガスに併設する宿舎に住んでいる。かつての京子がそうだったように、大学生の彼も美弦や修司もここから学校に通っていた。


「はい。この時間に京子さんが来てるなんて珍しいですね。桃也さんは十時過ぎの予定ですよ」

「そうなんだ。午前中とは聞いてたんだけど、綾斗の方が詳しいね」

「本部関連の予定はパソコンの共有フォルダに入ってますからね。その調子だとメールもチェックしてないんじゃないですか? たまには目を通しておいて下さいね」

「う、うん」


 パソコン作業があまり得意でない京子には、電源を入れる事自体ハードルが高い。ここ最近、レポートを書く時にしかパソコンを開いた記憶はなかった。


「そんな難しい顔しないで。じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 京子は綾斗を見送って、大階段へと踏み出した足を一度元に戻した。

 門へ向けて歩く綾斗の背中をガラス越しに振り返ると、感覚の鋭い彼が京子の気配を感じ取ったのか、ふと足を止めてこちらに顔を向ける。


「え?」


 驚いて京子が手を振ると、彼もまた手を振り返してきた。


「偶然……だよね」


 桃也を追って電車に飛び乗るのは、キーダーとしての自分を捨てる覚悟だ。そしたらもう綾斗と仕事することもなく、このアルガスにいる意味もなくなってしまう。


 そんな事して、本当にいいの──?


「やるって決めたでしょ?」


 待ち続けるのは今日で最後。

 揺らぐ決意を抑え付けるように、京子は胸に手を当てて階段を上った。



   ☆

 桃也に会うたびに、すぐまたサヨナラの瞬間を想像して寂しくなるのはいつもの事だ。

 けれど今日は普段と少し違っていた。

 計画が成功すれば、もう何ヶ月と離れることはない。


 屋上のヘリポートで桃也を迎えると、頭の中のシミュレーションに何度も出てきた彼が「ただいま」と短いタラップを降りてきた。

 シャツにぶら提げた緑のタイが、風でバタバタとなびいている。


 「お帰りなさい」と迎えた京子を、桃也が「久しぶり」と肩に抱きしめた。彼の匂いがいっぱいに広がって、泣いてしまいそうになる。


「久しぶりじゃないよ。ひと月だもん」

「まぁそうだな。今日はずっとオジサンたちんトコに籠るけど、帰りは一緒に駅まで行こうぜ」

「うん、嬉しい」


 駅までの同行は自分から切り出すつもりだった。


 ここまでは計画通り。

 全てが順調に進んでいる気がして、京子は桃也を報告室へ送った後、『頑張るよ』と朱羽あげはにメールを送った。


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