66 失恋した女子に告白すると、成功率は上がるのか。

「俺、朱羽あげはさんが好きです。助けてもらったあの日から、ずっと好きでした。そうじゃなかったら、俺は今ここにいませんよ」


 涙を忘れて驚く朱羽を、龍之介は自分の胸に抱き寄せた。

 ふわりとした感触と体温に高まる衝動を必死に隠す。


「私が高校生の男の子にときめくわけないじゃない」


 突き放すように言った彼女の両手が、ぎゅっと龍之介の背中を掴んだ。


「アルガスに戻る決心が着いたって言ったでしょ? それなのにどうしてみんな私を惑わそうとするのよ」

「みんな? どういう意味ですか?」

「さっきオジサンたちに呼ばれたの。無理にここへ戻らなくてもいい、あの事務所に今まで通り居てくれていいって……なんか調子狂っちゃって」

「えっ……」


 それは素直に喜んでいい事なのだろうか。

 龍之介の肩に額を付けたまま、朱羽は「うん」と頷く。


「私がここに居た頃とは事情が違うわ。ホルスが動き出してる今、キーダーの数を確保したいんだと思う。けど本当にそれだけなの? って勘繰っちゃって」

「朱羽さんはあの事務所に居たいんですよね? 上の人の考えは良く分かりませんけど、俺は嬉しいですよ」

「……確かに、それは本望だけれど」

「なら甘えていいんじゃないですか? 事務所に残る理由になるなら、それだけで十分な待遇だと思います」


 朱羽は全身を強張らせたまま、そろりと龍之介を見上げた。


「ほんと龍之介っていい性格してるわね」

「俺、褒められてます?」

「褒めてないわよ。けど、龍之介の気持ちは貰っておく。今はまだ、何も考えられないもの」

「朱羽さん……?」

「少しだけよ」


 空耳かと思えるくらい小さな声で囁いて、朱羽は龍之介の肩に額を預ける。けれど、その言葉通り一分も経たぬ間に彼女は龍之介を離れた。


「男の人に抱きしめられるって、こんな感じなのね。何か京子に嫉妬しちゃう」


 独り言のように言って、朱羽は「ありがとう」と少し落ち着いた様子で壁のスイッチを探した。急に明るくなった部屋に、龍之介は目を細める。


 朱羽に「どうぞ」とソファの向かいへ促されたところで、龍之介はテーブルの上に用意されたおにぎりの山を見つけた。


「平次さんが持ってきてくれたのね。そういえば何も食べていなかったものね」


 平次はアルガスの食堂長だ。

 龍之介は部屋の隅にある電気ケトルを確認して、「お茶淹れます」と座りかけた足を伸ばす。


 部屋が明るくなって、急に現実へ引き戻された気分だった。彼女の感触がまだ全身に残っているのに、全部夢だったのではと思えてしまう。


 薄いカーテンの掛かった殺風景な部屋は、朱羽の事務所より少し狭い。ロッカーに机に応接セットという最低限の事務的な家具たちは、彼女の個性がまるで感じられなかった。


「龍之介、お茶じゃなくてコーヒーを淹れてもらえる? そこにあるでしょ?」

「え、いいんですか? 朱羽さんコーヒー苦手なんじゃ」


 彼女が言うように、確かにドリップ式のコーヒーが茶葉と一緒になって籠に入っている。


「京子がね、勝手に入ってるのよ。私への嫌がらせなんじゃないかしら。けど、コーヒー飲むと眠くならないんでしょ? 今夜は長くなりそうだから」

「そ、そうですね」


 違う意味を頭に巡らせて、龍之介は手から滑り落ちそうになったケトルを慌てて掴んだ。

 朱羽は「大丈夫?」と悪戯な笑みを見せる。


「エッチなこと考えたでしょ」

「考えてません! ……少しだけですよ」


 表情を隠しきることができず、龍之介は朱羽に背を向けて正直に答える。彼女の足音が近付いてくるのが分かって、息を呑んだ。


「龍之介、私と一緒に来てくれない?」


 吐息を拾える距離で彼女は足を止め、龍之介はケトルを台に戻した。

 真面目な話だと思った途端頭が冷静になって、彼女の方へ身体を向ける。


「私が撒いた種だから、私がちゃんと決着を付けなきゃ。ただ、そこに龍之介が来てくれたら心強いなって思って」


 申し訳なさそうに眉を寄せる朱羽にそんなことを言われたら、断る理由など何もない。


「俺の親は駆け落ちして結婚したんです。だから、後悔しないように生きろ、実力行使は大事だって言われて育ったつもりです。だから俺は朱羽さんと行きます!」


 綾斗の憧れだという相葉紗耶香龍之介の母親は、のほほんとしたマイペース人間だ。それがピアノの前に座った途端別人のようになるのが、小さい頃は不思議でたまらなかった。やるべきことに真っすぐな人なんだと理解できたのは、ここ数年の話だ。


「私と駆け落ちするつもり?」

「そ、そのくらいの気持ちで」

「大袈裟よ。けど、ありがとう」


 そっと胸の前に伸びた彼女の手を、龍之介は両手できつく受け止めた。

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