35 二人の関係

 真っ昼間の町は道行く人の笑顔で溢れていて、さすまたを持ったまま走り出た龍之介に冷ややかな視線を送ってくる。

 けれど、誘拐された朱羽あげはの消息を掴もうとするのに必死だった。


 ガイアがバスクかもしれないと、朱羽はいつから知っていたのだろうか。あの桜の夜に鉢合わせた二人のことを思い出して、龍之介は眉をひそめた。


 一升瓶を構えて先に挑発したのは朱羽だった気がする。けれど龍之介には気付くことのできない何かのやり取りがあって、朱羽が急に怯えた表情を見せたのだ。


「その後は……どうだった?」


 忘れかけた記憶の断片を必死に手繰り寄せると、ガイアの言葉に辿り着く。


 ――『見逃してやる。次は覚えてろよ?』


 それは負け惜しみではなかったのか。ノーマルとキーダーじゃ向こうの分が悪いけれど、向こうがバスクだとしたらその力関係は逆転の可能性も出てくる。


「朱羽さん、何で……」


 あの夜の事を朱羽はアルガスに伝えていないと、京子が言っていた。


 駅の方角へ走り出した所で、龍之介はブレーキを掛けるように足を止める。

 探そうとした相手が、雑踏の中から突然目の前に現れたからだ。


「なんだ、貴方か」


 以前会った時と同じように目を細めて、刺青女ことシェイラは疲れ顔で溜息を漏らした。彼女の求める相手もまた、龍之介ではないようだ。

 釈然としない気持ちで彼女を睨み、龍之介は構えたさすまたを胸に引き寄せる。暑さとは別の気味の悪い汗が手の中にぬるりとした感触を与えた。


「前にあの女と居た男よね。この間の事故の時もウロウロしてたかしら」

「事故の時? あそこに居たのか?」


 雨の夜、朱羽がお茶屋の丸熊に頼まれて事故からの救出を手伝った時だろう。帰り際、朱羽が気にしていた視線は彼女たちのものだったのかもしれない。


 日の下で見ると、シェイラの首に貼り付いた龍が一層際立った。

 龍之介は、一歩二歩と詰めてくる彼女から数歩分の距離を保って後退する。しかし横を通る通行人がその物々しさにざわつき始めて、意を決して足を止めた。

 剣道は授業で数回やった程度だが、朱羽を真似てさすまたを構える。


「ガイアは居ないのか? 朱羽さんは無事なんだろうな?」

「部屋に何か置いていかなかった? 彼女はアイツと一緒よ。田母神たもがみ京子をおびき寄せるおとりなんだから、まだ生きてるんじゃないかしら」

「生きてる、って。二人はどこに居るんだよ」


 シェイラの返事は、朱羽の無事が保証できるものではなかった。


「キーダーなら、アイツを探し当てられるはずよ」

「交渉してる癖に、探させようってのかよ」


 シェイラはねっとりと微笑む。

 能力者同士は、互いの気配を感じ取ることができるという。


「そうやって慌てる姿が見たいと思うじゃない」

「趣味悪いんだよ! ガイアはバスクなんだろう? アンタもそうなのか?」

「私は力なんて持っていないけど、ガイアは使えるんじゃないかしら」

「かしら、って……」

「アイツからちゃんと教えられた訳じゃないもの。私に気でも使ってるつもりなのよ」


 首筋の龍を撫でながら、シェイラは他人事のように言う。


「アイツはね、私の為に戦ってくれるんですって」

「アンタの為に……?」

「私と、ウィルのためにね」


 彼女は笑っている。なのに龍之介を見据える瞳はとても冷ややかに感じられた。

 地下牢に居るウィルとシェイラの関係を垣間見て、龍之介の頭を何とも言い難い虚しさが通り過ぎていく。


「それって……」


 けれどシェイラは、ガイアの気持ちの代弁などさせてはくれなかった。


「ここで張ればキーダーが現れるんじゃないかって思ったけど、貴方には用がないのよ」


 シェイラは龍之介の手首を見て、乾いた溜息を漏らす。


「怪我しないうちに立ち去りなさい」


 鋭い声にビクリと反応した通行人が、シェイラの首筋に目を見開く。「ヒッ」と短く声を上げて、驚愕の表情を貼りつけたまま静かに距離を離していった。

 それは賢い行動だと思うし、シェイラの言うままに逃げるのが龍之介自身にとっても最善だという事をちゃんと分かってはいるつもりだ。なのに無駄な正義感が沸いて、龍之介は足を横に開いてその場所に留まる。


「京子さんをおびき寄せて、どうするつもりだよ。話し合うとかじゃないんだろう?」

「話し合いでウィルが戻って来るなら、私だって大人しくしているわ」


 ただの話し合いで牢から罪人が出れないだろう事くらい、素人の龍之介だって分かる。


「もう一度言うわよ、貴方は消えてちょうだい。私は手段を選ばないから」


 シェイラは裾がボロボロのショートパンツの後ろへと右手を潜ませた。




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