20 龍の刺青をした女

 食堂を見回す視線とぶつかった次の瞬間、彼女が「いたいた」と龍之介の所へ一直線に飛び出した。


「いらっしゃい、京子ちゃん」


 キーダーの田母神たもがみ京子だ。

 食堂長の本郷が手を上げて彼女を迎える。


「うわぁ。それって平次へいじさんのケーキ? いい匂い」


 「こんにちは」と龍之介に挨拶して、彼女はフワリと漂う甘い香りをいっぱいに吸い込んだ。『平次』と言うのは本郷のファーストネームらしい。


「さっき焼き上がった所だから、京子ちゃんも是非食べてって」

「やった。ありがとう、平次さん」


 京子は声を弾ませて、顔の前でパチンと手を合わせる。龍之介が挨拶を返す間もないまま、本郷が「ちょっと待ってて」と京子を残して厨房の奥へ行ってしまった。


「ねぇ、ここに座ってもいい?」

「どうぞ。えっと、あの、田母神京子さんですか?」


 まるで芸能人にでも話し掛ける気分で尋ねると、彼女は向かいの椅子に座って「そうよ」と大きな目を見開いた。


「会ったことあったっけ?」

「いえ、キーダーに詳しい友達がいるので」

「そういう事か。初めましてだもんね。何だか有名になったみたい」


 京子は肘を付いた手に口元を隠して、恥ずかしそうに微笑んだ。

 彼女に会ったことを伝えたら、銀次ぎんじはどんな顔をするだろうか。

 

 歳が近いせいか、雰囲気が朱羽あげはと似ているような気がする。ただ、二人とも強い力を秘めているようにも、敵を相手に戦っているようにも見えなかった。


 京子は手を膝に下ろし、じっと龍之介を見つめる。


「貴方が、相葉龍之介くんだね」

「はい、よろしくお願いします」


 龍之介が頭を下げると、本郷がトレーを手に戻ってきた。

 「いただきます」とフォークを掴む京子に「召し上がれ」と笑んで、彼は「ごゆっくり」と厨房へ引き返していく。


「平次さんのご飯は美味しいけど、スイーツも絶品なの」


 京子は龍之介に「食べて食べて」と促しながら、早速ケーキを頬張った。その表情で美味しいのはよく分かったし、実際食べると龍之介も「うまっ」と口に出してしまう程だ。


 あっという間に食べ終えて紅茶のカップを手にしたところで、京子が龍之介を再びジロジロと覗き込んできた。


「な、なんですか?」

「朱羽が連れて来る子ってどんな男の子なんだろうって思ったけど、本当に高校生とはね。修司しゅうじが自分より年下だって言ってて、ちょっと半信半疑だったの」


 その名前が昨日事務所で会った美弦みつるの恋人と繋がって、龍之介は「あぁ」と頷いた。


「あの、田母神さん?」

「名前でいいって。綾斗あやとにも言われなかった? 苗字だと慣れなくて」

「言われました。じゃあ京子さん、朱羽さんの助手は俺で良いと思いますか?」


 唐突だけれど、朱羽以外の誰かにそれを聞きたかった。あんな適当な面接でキーダーに関わる仕事を得たことが不思議でならない。


 京子はカップを持ち上げて「何か不安なの?」と首を傾げた。


「朱羽が決めたんだし、貴方も働きたいと思ったんでしょ? ならそれでいいんだよ。ずっとあの狭い事務所で二人きりになって仕事するんだから、相性って大事だと思う」

「俺と、朱羽さんの相性……」


 要らぬ妄想に掻き立てられて、龍之介はズボンを握りしめた。


「可愛い。顔真っ赤だよ?」

「か、揶揄からかわないで下さい」

「ごめん。けど、朱羽が選んだんだから自信持って。それに、昨日が初対面じゃなかったんでしょ? 朱羽と前に会ってたんだって?」

「はい。春に近所の堤防で俺がチンピラに絡まれてる所を助けてもらったんです」

「そんなことがあったんだ。それで今度は一緒に仕事するなんて、運命みたいだね」


 胸の前に両手を組んで目を輝かせた京子の左手の薬指に指輪があった。小さな石の付いた可愛らしいものだ。


「けど、あのコ能力を使ったんでしょ? 相手のチンピラも驚いたんじゃない?」

「あっ――」


 昼間公園で見掛けたアロハ男が脳裏を過って、龍之介は言葉を詰まらせた。


 ――『田母神京子か?』


 桜の夜、ヤツは朱羽を京子と見間違えた。言うべきか、言わぬべきか。それを言ったところで「へぇ」と流されてしまうかもしれないけれど。


「あの、京子さん」

「何?」

「俺、キーダーのことはあまり詳しくないし、京子さんが有名だからってことなのかもしれないんですけど」

「どういう意味? 何か気になることがあるなら話して」


 京子の表情が急に険しくなる。口調が怒っているようにさえ聞こえて少しだけ後悔するが、ここから引き返すわけにもいかず龍之介は二人の話を続けた。

 自分を狙ったチンピラが若い男女で、見るからにその手のタイプだったことを伝える。


「相手は人相の悪いスカジャンを着た男で、女は顔から首に掛けて龍の刺青いれずみがあったんですよ!」


 龍之介はてのひらで顔を撫でるジェスチャーをして、刺青の位置を示した。


「それで、その男が朱羽さんを京子さんだと間違えたんです」

「ちょっと、絡んできた相手って刺青の女なの?」


 京子の声が大きくなって、周りの視線が「何だ何だ」と集まってくる。「ごめんなさい」と謝った京子は興奮したまま龍之介へと体を乗り出した。

 これはではないと察して、龍之介は「はい」と顎を引く。


「シェイラ……」


 京子は微かな声でその名前を呟いた。

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