19 やって来た彼女

「一人で食堂に行ってもいいですか?」


 龍之介の好奇心に、綾斗あやとは「構わないよ」と快諾してくれた。

 偉いオジサンとやらに呼ばれた朱羽あげはが、ぷりぷりと不機嫌さを撒き散らしながら一人で上の階へ行ってしまったのだ。


「偉いオジサンって、朱羽さんに助手の提案をしてくれた人の事ですよね?」

「そう。本人は嫌がってるけど、朱羽さんはオジサンたちのお気に入りだから。彼女にとやかく言う相手じゃないから心配しないで。ま、俺や他の人じゃそうはいかないけど」

「そう……ですか」


 逆にそのオジサンたちに礼を言いたい気分になりつつ、龍之介は食堂の場所を聞いて「失礼します」と部屋を出る。


 アルガスは、東京湾に程近い場所に位置するキーダーの本拠地だ。もちろん一般人が気軽に入れる場所ではない。

 しかし興味津々に廊下を歩いたものの、朱羽が『大したことない』と言った通り特に目新しいものもなく、市役所にでも来た気分になってしまう。

 建物も古く、四階まであるというのにエレベーターは設置されておらず、龍之介は入口から伸びる大階段を二階へと上った。


 アルガスで働くキーダー以外の人間をまとめて『施設員』と呼ぶらしい。

 すれ違う人たちの殆どは綾斗の制服に似た青色のシャツを着ているが、腕に桜の刺繍が入っている人は彼以外に誰も居なかった。


 二階に着いて、右手に伸びる廊下の先が食堂だ。

 南に面した窓からは遠くに海が見える。休憩中の施設員が多い中、龍之介は端の席を選んでのんびりとスマホを開いた。


 『待っていて』と言われたが、それがどれほど掛かるかは分からない。

 大まかな時間を聞いておけばよかったと思いながら暇を持て余していると、龍之介は背後にふと人の気配を感じて画面を閉じた。


「君が朱羽ちゃんの助手の龍之介くん?」

「えっ。は、はいっ、相葉あいば龍之介です」


 慌てて相手を振り向くと、コック服を着た三十代くらいの男が穏やかに微笑んだ。


「驚かせちゃってごめんね。綾斗くんからこっちに来るって連絡が入ったから。僕はここの食堂長をしてる本郷ほんごうです。龍之介くん、甘いもの好き?」


 男は人懐こい笑顔で名乗って、手にした小さなトレーを龍之介の前に置いた。生クリームの添えられた三角の茶色いケーキに、紅茶の入ったティカップとフォークが乗っている。


「俺に? 食べてもいいんですか?」

「調度おやつの時間でしょ? 試作品なんだけど、コーヒーのリキュールが入ってるから、苦手でなかったら食べてみて」


 食堂とは縁のなさそうなカフェスイーツが、甘い匂いを漂わせている。


「コーヒーも甘いものも大好物です。ありがとうございます!」

「良かった。うちはさ、キーダーの誕生日になるとランチのデザートにケーキを付けてお祝いするんだよ。次の誕生日はコーヒー好きの奴だからね」

「へぇ。アルガスってもっと堅い所だと思ってたけど、そうじゃないんですね」

「緩いわけでもないけどね。キーダーは大変な仕事だから、食事の時くらい息抜きしてもらわなきゃ」


 龍之介が「いただきます」と手を合わせたところで、


「京子さん、お疲れ様です」


 廊下の方からそんな声が聞こえて、反射的に顔を向ける。

 「お疲れぇ」と笑顔で答える髪の長い女性が記憶の写真と一致した。

 それは銀次から前に見せられた古い証明写真と、さっき見たばかりの長髪の背中だ。

 シャツの袖に入った桜のマークを見つけて、龍之介は緊張を走らせた。


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