86 体当たり

 階段を二階まで一気に駆け下りて、修司しゅうじ彰人あきひとに言われた通りロビーからステージのあるホールへと重厚じゅうこうな扉を開いた。


 そこで目にした光景に愕然がくぜんとする。

 競技場とでも言わんばかりの広いホールが崩壊ほうかいしていたのだ。つい一時間ほど前までジャスティの華やかなライブが行われていたのに、廃墟はいきょにでも紛れ込んでしまったような錯覚に陥ってしまう。


 中央のステージへ向けて斜めに降りる観客席の一部は大きく円形に陥没かんぼつし、椅子はガタガタに乱れ、横に細長く伸びたステージは半分がえぐり取られている。一面に散乱する瓦礫が戦闘の壮絶そうぜつさを物語った。


 煙たい空気に混じって、大分強い力の気配が残っている。

 戦っていたのは、彰人たちが話していた九州のキーダーなのだろうか。

 けれど既にその姿はなく、沈黙に足をすくませながらステージ横で緑色に光る非常口の明かりを目指した。


 舞い上がった塵を吸い込んで、込み上げる咳を片腕で覆う。

 桃也の言う通り足元は悪く、瓦礫にはガラス片も混じっていた。それを爪先立ちで回避しながら降りていくと、自分の足音に突然別の物音が重なって、修司は全身を強張こわばらせる。


 力の気配に動きはないが、ホルスにはノーマルも多い。拳銃けんじゅうでも向けられたらと恐怖を募らせて周囲に視線を配ると、ステージ最前列中央の椅子に人の頭が飛び出ていることに気付いた。

 遠目に見る後頭部だけでは男か女かすらわからないが、声を掛けようとすると相手が先に動きを見せる。


 シートから灰色のストライプ柄がのっそりと生え、脂ぎった顔がこちらを振り返った。

 パンパンと手を叩きながら、呆れるくらいに満悦まんえつの表情で、近藤武雄こんどうたけおは「素晴らしい」とうなる。


「アンタか」

「いやぁ、実に良かった。楽しませてもらったよ」


 どっと疲れが増して、修司は溜息を吐き出す。興奮気味の近藤の賞賛しょうさんなど、さっぱり理解できなかった。


「楽しかったって、本気で言ってるんですか?」

「君は生きることに不器用な男なのか? 最高の舞台を前に、本気で楽しまなくてどうする。私は今も震えが止まらないよ」

「最高って、何喜んでるんだよ。怪我した人だっているんだぞ?」


 京子も律も深い傷を負ったし、このホールを見ても敵味方共に重傷者は出ただろう。

 それなのに、当の近藤は傷一つない。この事態を引き起こした彼が傍観者ぼうかんしゃでしかなかったことが腹立たしくてたまらなかった。


「アンタはアイドルを育ててるんだろ? その舞台がこんな事になって、何も思わないのかよ」

「壊れたものは直せばいいんだよ。なぁに、ここの修繕費しゅうぜんひくらい私が全部払ってやる。彼女たちの命も、観客の命もお前たちキーダーが守ってくれたんだろう? 私もこの通り無傷だ。感謝するよ」


 近藤は本気だ。修司が何か言ったところで、彼の胸には全く響かない。


「アンタが楽しけりゃいいのかよ」

「それは違う。エンターテイメントというのは、感動の共感が大事なんだ。それを世に与えるのが私の仕事だよ。君たちの力が欲しいと言っただろう?」

「アンタ、狂ってるよ」


 心から近藤の事をそう思うのに、ジャスティの少女たちは彼の下に居る選択をする。

 修司はステージの前まで歩き、近藤と向き合った。


「君のことをうらやましく思うよ。私もキーダーになりたかった。実に素晴らしい力だな」

「俺は……アンタにだけはこの力がなくて良かったと思うよ」


 ふんと鼻を鳴らして、近藤は「さて帰ろうか」と非常口へ向けて歩き出した。すれ違いざま、脂ぎった顔が「君も、もっと強くなるんだぞ」と笑う。


「ふざけるな!」


 その背中に叫んだ瞬間、修司の身体を殺気が駆け抜ける。


 頭上で何か物音がした気がした。

 けれど近藤は気付いていない。

 修司はハッと目線をあおいで驚愕きょうがくする。

 

 「あ!」と息を飲み込むのが精一杯。それ以上の言葉が出なかった。近藤の頭上で黒い金属のライトが揺れたのだ。

 戦闘の衝撃でネジが緩んだのだろうか。固定具を引き千切って、近藤へ真っすぐに落ちてくる。それは、修司の気持ちを代弁だいべんしているかのようだった。


 近藤を助けたいとは思わない。彼がこんな提案をしなければ、京子も律もあんな怪我を負うことはなかったのだ。


 けれど今、目の前に起きようとする悲劇の瞬間を、呆然ぼうぜんと見届けるわけにはいかなかった。

 頭より先に足が地面をる。しかし落下のスピードは想像を遥かに上回る。


 修司は近藤に体当たりするが、巨体は一歩よろけただけだ。「どうした?」と首を傾げつつ、修司の視線を追った近藤の目が恐怖に満ちる。


 盾を生成すれば良かったのかもしれない。

 けれど体当たりの衝撃に怪我の痛みが響いて、可能性も薄いその行為を選択する余裕など修司にはなかった。

 逃げることもできずに恐怖を叫ぶ。


「うわぁぁぁあ!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る