76 制服を着た彼
一階の観客及びスタッフは
この危機的状況に一万を超える観客が気付いているのかは分からないが、誘導員の中に制服姿のキーダーがいれば有無を言わさぬ強制力になるだろう。
四階の一番奥にある会議室の手前に、小さな血痕を見つける。
開け放たれた観音扉のすぐ奥に彼女の後ろ姿を見つけて、修司は足を止めた。
漂う気配に
遠目に中を覗くと、並んだ机の向こうに別の気配がある。
「入れば? 二人とも」
穏やかに響くその声を懐かしく感じた。
先に修司の視界に入って来たのは、テレビや電車の中刷りで見た事のある
律はべったりと血の貼りつく腕を強く押さえながら、彰人を見据えている。
この事実を知らされていた修司でさえ、紺色の制服を着た彼の姿に違和感を感じてしまう。
そんな空気を全く読まずに「よく来たな」と手を叩くのは、広い窓に映る夜景をバックにした近藤
「何よ……
律が威勢良く声を上げる。
ブレザーの袖口から覗く彰人の手のどちらにもキーダーの銀環はなかった。ただ、初対面の時にしていたものと同じ、つるりとした装飾のない銀時計が左手首に巻かれていて、修司は「あぁ」と眉を上げる。
「その時計が銀環の代わりですか?」
昔、能力を隠していた
「ご名答。別にこんなのなくても問題ないんだけど、上のオジサンたちがうるさいからね。
「久志さん?」
「まだ会ってないか。技術部の人だよ」
「銀環のないキーダーだなんて、おかしいじゃない。制服なんか着て、私を
「騙そうとしてるんじゃなくて、もう騙したんだよ。前に言ったでしょ? アルガスの技術部はレベルが違うんだ。制服は滅多に着ないけど、今日は一般人も居るから紛れないようにってお達しが出てさ」
そういえば山へ行った時に、彰人がアルガスの技術部の話をしていた。あの時はまさかそこに繋がりがあるとは想像もできなかったけれど。
「じゃあ貴方は、仕事だから私に近付いてきたの?」
「そう。最初から君は僕の敵なんだ。僕はキーダーで
怒りの衝動に
「君がバスクでホルスを選んだなら、その位のリスクを負うのは当然でしょ?」
「貴方、私を馬鹿にしてるの? じゃあ、あの山に来たヘリも貴方が指示したものだったっていうの?」
「そうじゃないよ。あそこに行く事は、君が僕を呼び出した時点でアルガスに伝えていたけれど、僕がアレをさせたわけじゃない。たまたま通りかかった仲間の、ちょっとした悪ふざけだ。僕も驚いたからね」
あのヘリに乗っていたのは京子だと聞いている。だから、駅で彰人が電話していた相手は彼女だろうと修司は思った。
京子が様子を伺いに来たことは、キーダーになった立場で聞くと仕事のように思えるが、彰人はそれを「悪ふざけ」だと言う。
微笑んだ彰人の瞳が猟奇的に光る。口をつぐんだままの律に、彰人は首を傾げて見せた。
「君だってホルスのことを隠していたでしょ? 僕がキーダーかもって気付いてたんじゃない? だから、修司くんを先にホルスにしたかったんだよね?」
「そんなことないわ!」
声を張り上げた律の気配が高まって、修司は慌てて身構える。
「そんなに興奮すると暴走するよ――させないけどね」
彰人の注意に顔を背ける律。
ゆっくりと気配が収まっていく。銀環がないからだろうか、京子や桃也と比べて律が放出させる気配の
律は昔恋人を戦いの中で失ったという。その悲しみで暴走しそうになったところを、
「君が事を急ぐから、僕も大変だったんだ」
「何言ってるのよ。貴方がキーダーの訳ないじゃない。キーダーはあんなに強くないのよ? 貴方の強さはキーダーのものじゃないわ」
「僕はバスク上がりなんだよ。二年前のアルガス襲撃は、僕と父が起こしたものだ。敷地の鉄塔が二本倒れたのを覚えてる? あれをやったのは僕だからね」
律の瞳が大きく見開く。修司は綾斗の言葉を思い出し、「あっ」と声を漏らした。
「もしかして、京子さんが長官の胸像を吹っ飛ばした相手って、彰人さんだったんですか?」
「そんなこと聞いたの? 京子ちゃんは自分から言わないだろうから、
修司は「はい」と答えると、彰人は「あれは驚いたよ」と額の端を指で撫でた。
「そうか、それは素晴らしい。いいよ、その力。ぜひ欲しいね」
もはや風景だった近藤が突然パチパチと手を叩いて、肩で風を切りながら前に出てきた。
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