62 彼の部屋

 資料庫を後にして、今度は自分の部屋へと荷物を運び込む。

 キーダーの自室として修司に与えられたのは、マサの部屋からつ六つ離れた一番奥の角部屋だ。入口の扉に『保科修司ほしなしゅうじ』のプレートを見つけて、気恥ずかしさを感じてしまう。

 それとは別に本部の敷地に隣接する宿舎にも部屋があり、全ての運び込みが終わったところで別の仕事があるという桃也とうやと別れた。


 シンとした部屋にメールの着信音が流れて、ライブ会場入りしたゆずるから写真が送られてくる。

 ジャスティメンバーが大きく印刷された看板の前で笑顔のポーズを決める譲は、黄色いハッピ姿で両手に太いサイリウムを握り締めていた。

 『あと一時間!』という本文に、興奮が伝わってくる。


 こことは別世界だなと思いながら、修司は『楽しんで』と返事を返した。



   ☆

 それにしても今日のアルガスは人が少なかった。

 人がまばらな食堂を不思議がって、修司はカツカレーを食べながら「今日は静かですね」と、目の前で食事する桃也に尋ねる。


「仕事でみんな出てるんだよ。俺は待機たいきだけど」

美弦みつるも仕事なんですか? そういえば他のキーダーにも会っていないような」

「そう。朝からな」


 美弦の帰りが遅いとは思っていたが、そもそも今日は学校に行っていないらしい。


「キーダーの仕事って色々あるんですね」

「暇な時も多いけどな。机仕事より、自分の身体作りが重要。大体事件ってのは予告なしで起きるものだろ? 引っ越しも終わったし、今日はゆっくり休めよ」


 ごちそうさまと手を合わせる桃也に引っ越しの礼を言って、修司は食後のほうじ茶にほっと息をついた。

 先に立った桃也がカウンターで食堂のマダムと何やら話をしている。修司はお茶を飲み干して「どうしたんですか?」と会話に入り込んだ。


「あぁ、いや。お前の伯父さんのご飯届けなきゃってな。俺、今急ぎでやることあってさ」


 カウンターに乗ったカツカレーのトレーをはさんで、「私も今、ここを離れられないのよ」と残念そうにマダムがこぼす。席もガラガラだが、キッチンもワンオペだ。


「それなら、俺が行ってもいいですか?」


 これはチャンスだと思った。荷物に颯太そうたの下着がまぎれていて、届けてもらおうと思っていたところだ。

 きっと断られると思いつつダメもとで聞いてみると、予想を反して桃也が「じゃあ頼む」と快諾かいだくしてくれた。



   ☆

 颯太の下着を適当な紙袋に突っ込んで、すぐに部屋を出る。

 キーダーの自室は食堂から階段を挟んだ反対側に並び、一番奥が修司の部屋だ。

 それぞれのドアに付いたアクリルプレートには、ここで会ったキーダーの名前が書かれている。

 綾斗あやと、京子、そして大舎卿だいしゃきょうの名前にテンションを上げて、最後が修司の借りていた『佐藤雅敏さとうまさとし』で途切れる。そこから階段までは空き部屋が続いた。


 これから始まるかもしれないキーダーとしての生活を妄想しながら一つずつ部屋を確認して、修司はふと足を止める。


 マサの隣の部屋だ。


 空室だと思っていた無地の白いプレートがわくから横にズレていることに気付く。

 そんなもの気にせず、早く颯太に会いに行けば良かったのかもしれない。


 些細な好奇心が修司の手をプレートへと伸ばしたのは、反対側に何か文字がぼんやりとけて見える気がしたからだ。

 けれどプレートを裏返した時、修司は「えっ」と頭が疑問符ぎもんふで埋め尽くされてしまう。


 重大な罪を犯してしまった気分になって背筋がぞっとしたのは、そこに聞き覚えのある名前が記されていたからだ。


「この人が、何で……。キーダー……なのか?」


 冷静さを失って、取り落としそうになったプレートを元の位置へ戻すが、修司はもう一度裏返してその名前を確認する。

 見間違いだろうと思ったが、そうではなかった。


彰人あきひとさん――」


 『遠山とおやま彰人』。

 それは、りつと共に山へ入ったあの男の名前だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る