51 好きだという気持ち

 昼までの青空が嘘のように、空が曇天どんてんへ変わる。いつもより暗く感じる夕暮れの街を、修司しゅうじは軽トラの助手席からぼんやりと眺めていた。


 桃也とうやと二人でマンションへ戻る。

 昨日の朝に家を出たままの状態だ。見慣れた筈の窮屈きゅうくつな風景に名残惜なごりおしさを感じていると、「また来ればいいんだからな?」と桃也は開いたドアを荷物で固定する。


 着替えや学校の支度を詰め込む用にと持参した五つのダンボールでは足りず、大きな旅行用のスーツケースもパンパンになってしまった。八割方が自分のもので、残り二割は颯太そうたの着替えだ。最後に両親の写真をバッグのポケットに入れ、玄関のブレーカーを落としてから部屋を出る。


 桃也は優しい人だった。

 釣り目のせいか無言でハンドルを握る横顔は機嫌が悪そうにさえ見えるのに、いざ話してみると初対面の修司にも色々と気を遣ってくれる。

 行きの車内、修司は過酷な訓練の体験談に黙って耳を傾けていたが、帰路につく頃には会話をする余裕が出てきた。


 暗くなる車内に流れるFMが、首都高に入るタイミングを見計らったようにジャスティの軽快な音楽をかなでる。


 メロディに乗せて音にならないリズムを刻むと、桃也が「ジャスティ好きなのか?」と尋ねた。

 決してゆずるのような『アイドルおたく』ではないんだと主張したいところだが、「あんまり詳しくはないですけど」と、当たり障りのない程度に肯定する。


「友達がファンで、聞かされてるうちに好きになったっていうか」


 美弦に叩かれたほおがヒリと痛んで、修司はぎゅっと手を押さえ付けた。

 桃也は「へぇ」と少し長めに返事して、修司を一瞥いちべつした顔を再び進行方向へ向ける。


 曲が終わり、お笑いタレントのトークを聞き流しながら街を見つめていると、ビルの隙間から白銀の高い塔が見え始めた。

 七年前に起きた『大晦日の白雪しらゆき』の慰霊塔いれいとうだ。大分距離はあるが、無駄にライトアップされているせいで、それが意味する悲劇など忘れて綺麗だと見入ってしまう。


「桃也さんはどうしてキーダーになることを選んだんですか?」

「俺?」

「はい。桃也さんもバスクだったって聞いたんで」


 今なら話してくれる気がして、率直に聞いてみる。

 桃也は何か考えるように下唇を噛んだ。

 断られる覚悟もしたが、彼は「なりたかったから」と答えをくれる。


「ずっとなりたいと思ってたんだ。けど、色々あって踏み切れなかった。そんな俺の背中を押してくれたのが京子なんだよ」

「恋人同士なんですよね?」


 昨夜の京子を思い出して、失言だったかなと口を結ぶ。「まぁな」と答えた彼もまた、スッキリしない笑顔を作りながら眉尻を下げた。


「最近ずっと会ってなかったけどな。仕事すればする程やらなきゃいけないことが増えて、アイツに会うことが遠回しになっちまう。やっとキーダーになれて焦ってんのかな」

「キーダー同士の恋愛って難しいんですか?」

「美弦のこと言ってんの?」

「え? あ、いえ……例えの話です」


 真意のど真ん中を突かれて、修司は思わず否定した。

 桃也は吹き出しながら「そんなことねぇよ」と目を細める。


「キーダーだからとか言うのは、言い訳だと思う。恋愛なんて気持ちの問題だよ」

「桃也さん……」


 寂しげな桃也の言葉。

 急に息苦しくなった車内に、桃也が「悪い」と謝って、横のパワーウィンドーを少しだけ下ろす。細い隙間を抜けていく温い風に、修司は息を吸い込んだ。


「色々考えることばっかでさ。久しぶりに京子の顔見たら、やっぱり好きだって思った。少しの間だけど戻ってこれたのは、お前のお陰だ。ありがとな」

「それなら良かったです」

「あぁ。ところでお前、今日俺に会って、俺の事どんな奴だと思った?」

「桃也さんですか? どんなって……優しい人だと思います」


 突然の質問に、感じたままのありふれた言葉で答えてしまう。

 もっと気の利いた返事をすればよかったのだろうが、それ以上の言葉もすぐには浮かんでこなかった。


「そっか。好きな女も満足させられない俺に、大分高評価してくれるんだな」


 桃也は笑いながら、「そんなんじゃ駄目だぞ」と注意する。


「悪いことする奴は大抵優しい顔してるから、先入観を持つなよ。イメージや憶測おくそくで判断するんじゃなくて、疑うくらいが丁度いい。俺なんてそんな優しい人間じゃないぜ?」


 律の笑顔が脳裏をよぎる。ふわりと笑う花のような彼女がホルスだなんて未だに納得できないし、騙されたとも思いたくない。


「キーダーになる決心が付かない気持ちはわかるけど、俺の敵にはなるなよ?」

「そんな、敵だなんて――」


 なるわけないだろうと言い掛けて、修司は息をのんだ。

 自分の選択肢は三つだと思っている。キーダーとして律の敵になるか、律の仲間になってキーダーと戦うか。もう一つはトールとして全てから逃げるか。

 一番楽であろう三つ目を選ぼうとは思えないけれど。


 車が首都高を降り信号に止まったところで、桃也が横から修司を覗き込んだ。


「京子がお前のトレーナーに俺を選んだ意味が分かったわ。適任か。アイツ……」


 苦笑交じりに声を立てて桃也が笑う。

 「そうなんですか?」と尋ねると、桃也は「あぁ」と答えて再び軽トラを発進させた。


「俺は初めてアルガスに来てから、キーダーになるまで五年かかったからな」

「五年もですか? どうしてそんなに……」


 『なりたかった』筈のキーダーを選ぶために、気が遠くなる程長い時間を費やした理由なんて、想像することもできない。

 桃也は「色々な」と言葉を濁し、それ以上その事を語ってはくれなかった。


 高峰桃也――彼が『大晦日の白雪しらゆき』を引き起こした張本人だと修司が知るのは、あと数日先の事だ。



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